• ベストアンサー

本当の幸せとはどんな幸せですか。

 本当の幸せとは、どんな幸せですか。詳しく教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.11

私が思うに、本当の幸せは個人の中にあるものなのではないでしょうか? いかに現状を受け止め、それをどれだけ幸せだと感じられるか、なのではないでしょうか。 心が豊かでどんな状況下においても幸せと感じられれば、それこそ本当の幸せではないかと感じます。 私は心は豊かという程ではありませんが、私自身、体に障害を持ち辛さを乗り越えた後の特別な事は何も無い普通の日常生活で、過去に無いくらいの幸せを感じました。 両親がいて、兄弟がいて、大好きな人達に囲まれて、私はなんて恵まれているんだろうと、心底幸せを噛み締めました。 本当の幸せってこういうことを言うんだろうな‥と思いました。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございました。参考になりました。心が、豊かに人を常に敬っていて慈愛も出来ていてそんな幸せに近づいていきたいたいです。私もそんな幸せに近づいていきたいです。有り難うございました。

その他の回答 (12)

  • since2005
  • ベストアンサー率43% (150/346)
回答No.13

我思う故に我あり 有名な言葉ですが、つまりそういうことです。 物質は単なる質量で、「在る」だけである。 自分の肉体を含め、物質の存在全てを否定しても、否定できないものは? 唯一「思考」です。 「魂」などとも表現出来ましょう。 頭の中で全てを否定する。 否定している自分の思考は確かに存在する。 つまり、我々が思うから、全ての事象は意味付けられるのです。 「死」1つとっても、ある人には「不幸」で、ある人には「幸」なのです。 「生」もある人には「幸」で、ある人には「不幸」となることもあります。 つまり、絶対的な「幸」は存在しないと言えます。 幸せは我々の心がある事象を意味付けた末の、相対的な評価に過ぎません。 「本当」に付いても同じ事が言えます。 真実と事実は異なります。 我々が意識できるのは事実のみです。 事実が真実であることは多いです。 でも、たまたまです。 事実が真実では無いことも真間あります。 もしそうでなければ冤罪なんてものはあり得ません。 つまり、少なくとも自分が「本当」だと認識すれば「本当」になります。 少しの疑いも挟まないほど「本当」だと思えば、それが「本当」です。 信じる者は救われる、です。 あなた自身が、疑いも挟まないほど「本当」だと信じ、「幸せ」だと感じたその瞬間、それは本当の幸せであり、次の瞬間「でも」とよぎった瞬間そうでなくなります。 こう考えると、「本当の幸せ」はあなたの中に在りあなたの中に無い、存在と言えるでしょう。 日に照らされてのみ存在する陰のように、常に付随的で、相対的なものであると言えるのではないでしょうか?

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございます。参考になりました。本当の幸せは自分の中で、平和で常に敬っていて慈愛をもつと言う結論に達しました。その事が、「でも」とよぎらない自分の最終なのだと気づきました。回答有り難うございます。

noname#31063
noname#31063
回答No.12

喜びは悲しみよりも深いとニーチェは云いました。 つまり深い悲しみの後、それを乗り越えた時はさらに深い喜び(幸せ)があるのです。 幸せの後で悲しい出来事がくると、より一層現実は辛く映るものですが、どんな悲惨な不幸な過去があっても今幸せだと、不幸を笑って話せますよ。 幸せとは、喜怒哀楽の波の高低差があるほど、それがひっくるまって今が幸せであるなら本物である。 「若いうちの苦労(理不尽と戦う)は買ってでもしろ」という言葉がありますが、理想的な生き方というわけではなく、本当の幸せを実感するためには良い経験になるのだな~と。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございました。参考になりました。今つらいと思っていることは成長段階なのだと気づきました。本当の幸せを手に入れるまで自分を信じて頑張っていきたいと思います。有り難うございます。

回答No.10

ぜったい的幸福ただ生きていること自体が嬉しくてたまらないことと私は聞きました。 相対的幸福 宝くじが当たった時 試験にうかった時など… わかりずらいかもですが…すみません

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございます。参考になりました。心理的に真理になる日まで日々精進していきたいと思います。回答有り難うございました。

回答No.9

人に必要だとされることです。 人に感謝されることです。 「ありがとう」と言われると、とても幸せな気持ちがしますよ。 人の目に見えないところで努力を重ね、誰がどんな事で困っているのかを知ってください。 その部分を補い、人が便利になれば、貴方も幸せに慣れるでしょう。 私はボランティア活動に明け暮れていますが、「ありがとう」をいっぱい言って頂いて、私は幸せです。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございます。参考になりました。素直な純粋な気持ちを一生大事にしていきたいと思います。有り難うございました。

noname#18860
noname#18860
回答No.8

以前も投稿したものですm(_ _)m 私が考える幸せは「目標」ではなく「結果」だと思います。 人は幸せを追い求めて探し続ける。 結婚なんかがいい例で「お嬢さんを必ず幸せにします」なんていうのは 挨拶の常套句になっていますよね? (それが達成されるのは、別として^^;) 幸せの中にいるときって本当は皆、気がついていないかも知れない。 でもいろんなものを失ったり、去ったりしたあとで 「あのときは気がつかなかったけど、今考えると幸せだったんだよな」 と、今更ながら気がついたり。。 新婚ホヤホヤのふたりは、きっと「幸せすぎて、困っちゃう」と すべてが薔薇色に見えてしまうでしょう。 でもそれは、長続きしないんですよね。 旦那さんの帰宅が遅いと、勘ぐったり子供でもできれば いつまでも密月を送ることもできず、家事に育児に追われる。 「幸せ~」なんて思っている時間は次から次に泡のように消えていく。 そしてまた、違う幸せを追い求める。。 どこにも実体がない「幸せ」を追い求めて。。 挙句の果てには「幸せそうな人」まで妬みだす始末。 つまり、幸も不幸ももしかしたら表裏一体なのかも知れませんね。 そう考えていくと、幸せとは瞬間的なものかもしれないし その瞬間を感じることが本当に大切ですね。 あと、人に幸せを運ぶと、自分も嬉しくなりませんか? 役に立った、喜んでもらえた、という思いは 何だかとっても満ち足りた気分になります。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございました。参考になりました。役に立った時の歓びを実感していきたいです。小さな喜びの大切さを大事にしていきたいと思います。参考になりました。

noname#15318
noname#15318
回答No.7

失礼ながら、zzennshinnjpさんのプロフィールを見させていただきました。 質問は多くなされていますが、回答は1件もなされていませんね。 なぜでしょうか? そのことを一度、自分に問いただしてみるのも、「本当の幸せ」とはなにかを見つけるきっかけになるかもしれません。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございます。参考になりました。相手が、真剣に回答をほしいと思っているのに回答を教えてあげられない自分が、悲しいと思っています。必要とされている時は、自分の能力の出来る範囲で、誠意を持ち回答します。

  • gigiron
  • ベストアンサー率15% (3/19)
回答No.6

人によって違うと思います。けど、今に満足することじゃないでしょうか。うれしいことがたくさんあるとか。前向きなことも幸せの一つかも。例えば、お菓子をもらって「わーい」って、ちょっとしたことですっごく幸せな気分になっちゃう人もいれば、結構恵まれてるにも関わらず「足りない。もっともっと!」って思っちゃう人もいます。比べてみると、前者のほうが楽しいことが多いので幸せなんじゃないでしょうか。日常にある普通の生活を楽しんで生きられる人、それが幸せだと思います。何が楽しいかは、人それぞれですが。私は貪欲なので、しばらくするとその嬉しさに慣れてしまってまた新しい楽しみを探し出してしまいます。今目指してる幸せな地点にたどり着いたとしても、その位置で満足し続けることができなくて、慣れきってしまいます。私は、どこまでいっても「まだまだ!」と思ってしまうので「不幸だ!」とは思いませんが、もっといけるはずって思ってしまいます。そう考えたら、これが幸せっていう具体例は挙げづらいです。でも、もしかしたら欲張りにならずにずーっと満足していられることが幸せって思う秘訣かもしれません。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございます。参考になりました。常に美しい心で、います。有り難うございました。

回答No.5

「他人の喜びを我が喜びと感じ、人の苦しみを我が苦しみと感じることが出来る」ということだと思います。 人は生かされているのですが、いつの間にか、「自分の力で生きている」と錯覚し始めます。 どうせ生きるなら自分の地位を高めたい、自分の資産を増やしたい、自分だけが良くなれば良いと欲が出てきます。 「他人の不幸は蜜の味」と言われるように、「他人が自分よりも出世すると嫉妬心を持ち、他人が失敗するとホッとする」など、他人の状況に一喜一憂する愚かさが出てくるのです。 いつも何かに一喜一憂する心に「幸せ感」は訪れません。 ☆他人が喜んでいる姿を見て、「あ~良かった」と思えること。他人が苦しんでいる姿を見て、「早くこの苦しみから抜け出して欲しい」と思えることこそ【真の幸せ】と言えるのではないでしょうか。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございました。参考になりました。人の幸せを観て幸せそうと思える様な、美しい心で過ごします。

  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.4

自分だけが幸せと感じるだけでなく、周囲の人々(社会的)にも 認められる幸せであること、では? じゃないと長続きしないでしょ?

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございます。参考になりました。平和の歓びをかみしめて常に努力していきたいと思います。

  • poioro
  • ベストアンサー率20% (111/541)
回答No.3

丸い円を描いてみて下さい。 円に終点はありますか。ありませんね。 幸せにも、これだという終点はないと思います。 生まれてこの方、入試の合格、結婚、子供の誕生等々、数々の幸せを経験してきました。 その都度自分なりに最高の幸せを感じてきたつもりですが、日が経つにつれ、その幸せはごく普通のこととなってまた新しい幸せを求めていく。 幸せと感じたときが幸せ、最高の幸せと思ったときが最高の幸せの時、永久(とわ)なるものはないと思うようになりました。 不幸の連続だと思っている人でも(思っているときでも)、ふと他の人と心がふれあったとき、普通の人にとっては何でもないことでも、無性の喜びを感じることだってあるのではないでしょうか。 よく言われる、「幸せは心の持ち方次第、どこにでも転がっているもの」という言い方は、そこそこ納得のいく言葉なのかもしれませんね。

zzennshinnjp
質問者

お礼

 回答有り難うございました。参考になりました。小さな幸せをずっと持ち続けたいと思います。有り難うございました。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう