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哲学とは?

jumeの回答

  • jume
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回答No.3

哲学とはなにか、と問われた時、よくその語源を引いてきて「哲学は愛-知(フィロソフィア)である」なんて言います。しかし、そういきなり言われても「愛-知」すなわち「知を愛すること」がわかりません。哲学者の中村雄二郎氏は、この「愛-知」を、「知のエロス」だと表現しています(*)。言ってしまえば、「知ることの面白さ」ですね。では、何を「知る」のでしょうか?中村氏の言葉を続けて引用すれば、「ドラマティックな現実の中で、哲学を通して、自己と世界について明察的であろうとする」ということになります。 しかし、自己と世界について、私たちはどのようにして知ることが出来るのでしょうか?フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティの「本当の哲学とは、この世をみる見方を学びなおすこと」という言葉を引用して古東哲明氏は、「異邦人の眼差し」が、「この世の見方」つまり「知る」ための方法であると言います(*2)。古東氏によれば、哲学者はまるで「エイリアン」です。「哲学とは、クセノス(異邦人、異星人、客人)のような目で、この世を感じ、考え、生き直すこと」だからです。 竹田青嗣氏は少し違う書きかたをしています(*3)。竹田氏によれば、哲学とは「(1)ものごとを自分で考える技術である、(2)困ったとき、苦しいときに役に立つ、(3)世界の何であるかを理解する方法ではなく自分が何であるかを了解する技術である」の三つに集約されます。しかし、自分で考え、生き直すという意味では、古東氏とそれほど遠いことを言っているわけではないように思えます。 ただし、哲学をしたいと思っても、「知りたい」という「知のエロス」の対象になるものがなければ、哲学は成立しません。それが、竹田氏の命題(2)「困ったこと」であり「苦しいこと」です。永井均氏が、「他人の哲学を研究し理解することは、哲学をするのとはぜんぜんちがう種類の仕事である」と述べているように(*4)、哲学するとは、ひどく個人的な問題なのです。 まとめると、哲学とは、自分の中にどうしようもない問題があって(困ったこと、苦しいこと)、それについて徹底的に考えたいという欲望(知のエロス)にのって、結果的に自己と世界を読み直す技術である、と言えるのではないでしょうか。知のアクロバットですね。この作業をプラトンの言葉を引用して古東氏は、「哲学とは、知識の習得なんかじゃない。変転きわまりない五感的世界から抜け出て、だれもがもっていながら眠らせている『こころのなかの器官や能力を、ペリアゴーゲー(向けかえること)だ』」と述べています。 具体的な方法は、個々の哲学者の仕事に当たってみないと、ピンとこないかも知れませんね。下に参考にした文献を挙げてみましたが、特に『AERA Mook:哲学がわかる』は、日本人哲学者25人が哲学をはじめたきっかけと研究テーマ、学習の方法について述べているので、面白いです。一人につき2ページほどですので、チラッと覗いてみるのもいいかもしれません。 (*)中村雄二郎「究極にめざす生命の根源」『AERA Mook:哲学がわかる』朝日新聞社、1995年 (*2)古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学』講談社選書メチエ127、1998年 (*3)竹田青嗣『自分を知るための哲学入門』ちくま学芸文庫、1993年 (*4)永井均『<子ども>のための哲学』講談社現代新書、1996年

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