• ベストアンサー

中ソ関係について

1960年~1980年までの中国とソ連の関係はどのようなものだったのか教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#19799
noname#19799
回答No.1

もともと中国共産党はソビエト共産党の支援を受けていて、中華人民共和国もソビエトの支援で成立しましたが、スターリンの死後フルシチョフが1956年にスターリン批判を行ってアメリカとの対話路線へ転換すると、毛沢東はソビエトを「修正主義」と批判、中ソ関係は冷却化します。 ソビエトは技術者や軍事顧問団を引き上げるなどの対抗措置をとりますが、中国は自力で原爆(64年)や水爆(67年)を開発してアメリカやソビエトとの全面戦争に備えます。 これを決定付けたのが1968年のワルシャワ条約機構によるチェコスロバキア侵攻で、これにより中国の仮想敵は"アメリカ帝国主義"から"ソビエト覇権主義"へと変わります。 しかし1970年代に入って文化大革命が終結すると中国は現実路線へ転換し、毛沢東死後(1976年)の1979年にはアメリカと国交を回復しますが、ソビエトとの関係は冷えたままでした。 アメリカも中国を利用してソビエトを封じ込めようとしていました。 一方ソビエトはフルシチョフの経済政策が失敗し、80年代に入ると経済がマイナス成長するようになります。 1985年にゴルバチョフが書記長に就任すると、情報公開や自由化を進めて経済の建て直しを図り、中ソ関係も改善の方向に向かいます。 1989年にはゴルバチョフが中国を訪問して中ソ関係は正常化されます。 同年には天安門事件(第2次)が起き、中国は西側からの強い批判と経済制裁を受けた結果、再びソビエトに頼るようになります。 この流れは1991年にソビエトが崩壊した後も続き、現在はアメリカ-日本に対抗するためにロシアとの協調を図っています。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう