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冷戦の政府と国民の意識について

 冷戦突入についての続きなんですが…。1945年の『ヤルタ会談』で、アメリカと旧ソ連の冷戦開始を意識しだしたのは、お偉いさん達だけですよね。『共産主義と資本主義』でのイデオロギーの戦いというのは、こんな私でもなんとなくわかるのですが…。1947年の、チャーチルの「鉄のカーテン」演説ではまだ、モンロー・ドクトリンからの孤立主義的な感情もあり、ヨーロッパから干渉されたくないと共に、ヨーロッパのゴタゴタに口出しは基本的にはしない。巻き込まれたくないということで、国民の意識下ではいまいちパッとしなかったと聞いています。1947年のトルーマン・ドクトリンでやっと国民も政府の危機感に同意したということですよね。では、ソ連側はどうなんですか?このトルーマン・ドクトリンで国民もソ連政府に協力しようと言う気になったのですか?旧ソ連の国民はアメリカ国民とは違い、政府の言うことに疑問を持ったりせず、ただ、政府がこうだ!と言ったらそのまま、賛成!という具合だったのでしょうか…。政府の意のままに行動したのでしょうか?私にはそう思えないんです。きっと政府側は、何か国民の気持ちを自分たちに引きつけるようなことをしたのではないかと。自分たちに協力しようと思わせる演説とか、出来事とかあるような…。私は、政府側と国民側のやりとりみたいな事に興味があります。何か知っていれば、コメントお願いします。 関連URL : http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=189568

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  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.2

共産主義のことをよくご存知ないようですね。 ・国民の意思を反映する仕組みがありません。  プロレタリアート独裁の名の元に、すべての組織に  共産党の監視の目が光っていました。 ・国家秘密警察(KGB)の存在を知っていますか.  反政府的な行動をとる輩は秘密警察にすぐ捕まってしまい、  粛清されるかシベリア送りになっていました。 ソ連政府の独裁下でも、反政府的な意見をもっていた人はいました。 しかし、彼らの多くはシベリアに送られたり、闇から闇に葬られたり しました。運がよくて西側への亡命ですね。 ソルジェニーチェンの「収容所群島」を読んでみてください。 あ、それから第二次大戦当時のソ連の指導者であったスターリンは 独ソ戦に勝利することで、一大英雄となっていました。 強制的に宣伝しなくてもよかったんでしょうね。冷戦開始時が 彼の権力が頂点に達していた時期であったように思います。

mayumin
質問者

お礼

いろいろな収容所があって、粛清の恐ろしさや、НКВДとかの存在は知っているんですど…。ソルジェニーチェンの「収容所群島」を、是非読んでみたいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.3

No.2の追加のコメントです。 一応、自由の国に生まれた私たち日本人にはわかりずらいのですが、 共産主義の国で生きるというのは、かなり大変(らしい)ですよ。 ご自分でいろいろ調べる中で見えてくるかと思いますが、まず 職業選択の自由がありません。 自分の勤めている職場が気に入らないからといって、自分の意志 で別の職場に移ることもままなりません。 しかも職場にも、共産党の政治局員がいて監視の目が光っている。 そんな環境で、政府の政策を批判したり、あれこれ議論する自由 があるかどうか、すぐおわかりかと思います。 まがりなりにも職場で働いて自分と家族を養っていこうとすれば 否が応でも政府(共産党)に逆らうことのできないシステムになって いるのです。

mayumin
質問者

お礼

お返事遅れました。私の学部の一代目ネイティブ教員が、このスターリン体制の大粛清の犠牲になり、個人的に興味があります。かなり偉大な人物だったようで、もちろん直接は会ったこともないのですが、私は彼を誇りに思っています。そんなこともあり、一層あの頃の体制が残念でなりません。多くの偉人達が無情にも命を奪われる…。本当に今の私たちには理解しがたいです。でも、知る価値はありますよね。表面的な事実だけでなく、隠された内部事情とか、庶民の思いとか。…って、私、何言っているんでしょう。とにかく、ありがとうございました(^0^)

noname#2787
noname#2787
回答No.1

前の質問の流れで覗きましたが、私は詳しく存じません。 下記URLのように私のような素人でも読めるHPがあるのですが、これらにも詳しくは載っていませんね。 共産圏での情報統制はかなり厳しく、ラジオ・テレビの聴取も統制を受けていたそうですから、戦中の日本のような情報操作は間違いなく行われていたと思います。政府の言う言葉に妄信的に従ったとは思えない…意見に賛成ですが、いかんともしがたい情報不足はあったものと思います(この意見だって特徴的な西側的な意見だと思いますが…) アメリカでのレッドパージや地域紛争が宣伝に上手く利用されたことは十分に予測がつくものだと考えます。

参考URL:
http://www.slavweb.com/jp/Russia/history-j0.html
mayumin
質問者

お礼

わざわざありがとうございました。もう一度、それ系の文献を探してみようと思います。

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