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教えてください。
最も強い個人主義の立場にたって、他者からの伝聞もとづく信念をすべて知識から排除したとき、自分が知っていると思っていたことがらのうち、どのようなものが残るのでしょうか。
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自分の願望。そしてそこから派生する知識。欲望まで野生的では無いと思いますが、自分を中心に考えるようになるでしょうね。次に状況に対応するために以前から持っていた知恵。たぶんこれだけですね。幅広い知識等は人がいなければもらえないし、もらう気にもならないもののはずですから。原始人のような生活を考えればいいのではないでしょうか。
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- Elim03
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「自分というものを認識している「自分」というものについては、確かに存在する。」ということが残ると思います。
- patofu
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欲望のみ。それも極めて下劣な、本能よりも下等な。 だって、質問では親の躾すら否定しているのだから。親が子を躾けるのは親の信念や観念によって。 それとも直接聞いたり影響されたりした信念なら残すのか? それなら思考不能。直接か間接かなんて、不可分、というか思考自体意味なし。
敵も味方もなく、自分ですら信用に足りず、自ら信念を求めた結果、昼が来て夜が来る、そのようなことに真髄を見るのではないかと思います。 そして問うでしょう。昼が来て夜が来る、このことは、私よりもずっと長いだろう。長いけれど、私ととても、近いことだろう。 そのように感じると思います。 そうして、昼を友に、夜を友に、眠り耽る間に、多くの出会いや別れを果たす中で、命尽きてしまうのかもしれません。 とてもナチュラルな暮らしが、そこにあるのではないでしょうか。それでも良いですよ。私は。 しかし、今このように考えるのは、伝え聞いた言葉が、もはや取り去り難く深いところで、私とは違わないところで、もっと深いところで、昼や夜と言ったところで、溶解し、溶け込んで、還って行ってしまったためであるとも、言えます。 もし生まれた頃より、伝え聞くことが一度も無ければ、昼は昼、夜は夜のままで、昼と夜は、出会うことが無かったかもしれません。 このような回答でよろしかったでしょうか。