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祖先について。
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質問者が選んだベストアンサー
移動をしていないと言う前提であれば、そうかもしれません。 しかし、田畑を持っている人が農業で生計を立てていたという訳ではないようですね。 船を持って貿易をしたり、商業をしている人もいたようですから、100%農民といえるかどうかははっきりは明言できないと思います。 又、徳川幕府ができたり、明治政府ができたりと言った政変で、移動もあったと思います。
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- nanairo-unko
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江戸の時代の人口の90%以上は農民(地主、小作などの違いはありますが)ですので、農民と考えてまず間違いないのでは。 武士は人口の1%程度だったらしいですし、商、工は都市部以外にはほとんど住んでいません。一応、職業選択の自由もありませんでしたので、農民の子は農民だったはずです。 今と違って、食料生産高が、人口を決めていましたので、農民が多いことは食料がたくさんあることになりますので、農民は大事だった訳です。
お礼
回答いただき有難うございました。 “農民と考えてまず間違いない”とのご回答 とても勉強になりました。 私の知らなかった知識をいただけて大変有り難く 思っています。
- ajihira
- ベストアンサー率60% (17/28)
我が家の先祖は、米沢市の南原で江戸時代から代々住み田畑を開墾耕作してきましたが、身分は上杉藩士=「士」にあたりました。と申しますのも、上杉家が米沢に転封した際に、一部の下級藩士(僕の先祖もその一人でした)を米沢城下ではなく国境付近に住まわせ、国境の警備に任じるとともに、荒地の開墾を任せたそうです。開墾した土地は自分のものになり租税も免除され、その上、藩から微禄を貰う身分だったそうです。記録を見ると、藩士としての先祖書きを提出したり、藩主の参勤に随行したりしていますので、農業をしながら身分は「士」だったといえます。 また、家内の実家は、稲作地帯で代々農業を営んでいますが、こちらは「庄屋」や「肝いり」などの村役人を勤めていたようで、身分は「農」にあたるかと思います。 ですので、これはもう千差万別、いろいろなケースが考えられます。その家によってそうだったかもしれませんし、違ったかもしれません。仰るように断定するのはなかなか難しいことかもしれませんね。
お礼
とても詳しいご回答・解説を有難うございました。 この質問に関しましては、ajihira様の仰る通り、本当に千差万別、いろいろなケースがあって、私が推察していた様な単純な事柄ではない、という事がよく分かりました。 とても貴重なお話を有難うございました。
- nemosan
- ベストアンサー率22% (582/2598)
>住んでいる人々の祖先がその水田を自ら開拓し・・・ 場所によって異なると思います。その地域の歴史を研究している人 や公的な歴史資料館があると思うので探してみてはどうでしょうか。 面白いですよ。 参考まで・・・農地解放をご存知ですか? 先の戦争に負けるまでは、農村には地主と小作がおりました。それ が進駐軍の命令で、大地主の土地は取り上げられ実際に耕作してい た小作人に分配された歴史があります。
お礼
わざわざのご回答有難うございました。 “歴史資料館”や“農地解放”等、とても良い事を耳にする事が出来ました。 これからも、自分なりに探究していきたいと思います。
- kuni1993126
- ベストアンサー率8% (69/791)
先祖代々、同じ土地に住んでるのならそういえるかもしれませんが、一概に言えないとは思います。 士農工商以外にも、お坊さんなどもいましたからね。
補足
kuni1993126様、早速のご回答感謝しています。 なにせ昔の事なので分かりにくいですね・・。 宅地開発が進む前、水田地域だったという同じ土地に先祖代々が住んでいる、という場合は 元を辿れば、その(現在、水田の地域に住んでいる住民)の人々の祖先がその水田を自ら開拓し、 稲栽培等をし、最終的には その水田の地に家を構えたという可能性が高いという事なのでしょうか。。 込み入った質問になってしまいましたが もし、ご存知でしたら補足での回答をよろしくお願い致します。
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