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日露戦争のときの馬
日露戦争の番組を見ていての疑問です。 当時の映像の中に、中国大陸で軍人さんたちが 馬に乗っているものがありました。 かなりの数です。 そういう馬、いったいどうやって調達していた のでしょうか。どなたか教えて下さい。 (馬だけでなく、当時の食料ひとつとっても 外国へどうやって届けたのか、本当に不思議です)
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当時の軍隊で使用した馬は、3つに分類されます。 挽馬(ばんば):大砲を引く馬。特別に大きく、力の強い専用の品種です。 乗馬:将校や騎兵が乗る、戦闘に参加する馬。(軍の正式用語で何と言うかは知りません) 駄馬:食糧や弾薬などの補給物資を、馬に載せたり馬車を引いたりして運ぶ馬。 数から言えば、駄馬が圧倒的に多く必要になります。 挽馬や乗馬は、全て日本から船で運んだはずです。いずれも、軍用に育成して訓練した馬でなくては使い物になりませんので。陸軍には、軍事活動に不可欠の軍馬の育成を担当する専門部署が存在しました。 駄馬については、要するに馬であれば良く(ロバやラバや牛でも場合によっては良い)、膨大な数が必要ですので、日本から運ぶ以外に現地での調達も盛んに行われたでしょう。詳しいことは分かりません。 日露戦争当時は、自動車が基本的にないので、物資の輸送は 輸送船->鉄道->馬などの駄獣(->人力) で行いました。船や鉄道を使える範囲は限られますので、陸軍の活動には、想像を絶する数の馬が必要でした。 当時の軍馬の詳細については、絶版ですが下記の本を推薦します。図書館で探してみてください。 富国強馬 ウマからみた近代日本 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30507086
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- PENPENMAKKY
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馬匹改良は、幕末以来国の根幹事業として取り組まれていました。北海道開拓の一つが牧場の建設です。また現在の成田空港は、元々御料牧場(現在でも地名はこれです)と言い、近衛師団及び陛下の馬を育てる牧場でした。馬はヨーロッパよりアラブ種を輸入していました。 日露戦争時、馬は戦略物資として徴兵されています。また、現地での買いつけも行われ、軍票にて購入しました。 物資運搬ですが、中国人を雇用したり、丙種合格者(身長が基準値に満たない日本成人男性)を臨時輸卒として徴兵し、後方輸送に当たらせました。
お礼
ありがとうございます。 実はもう一つ、なくなられた軍の方の手紙などが 日本に残っているのが不思議だったのです。 あれだけの状況の中で、よく郵便物が日本へ届くも のだと。 これは、「臨時輸卒」の方々が働かれたのでしょうか。
- 6dou_rinne
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戦前の陸軍では馬に乗るのは騎兵、輜重兵が全員、その他では大隊長以上の将校が乗ったほかに、砲兵は大砲を引っ張るのに馬を使いましたが、これらの馬はリグ軍の各部隊で飼っていました。これらはほとんどが明治になって外国から輸入した馬またはその子孫でした。 しかし、これ以上に多数が必要だったのが補給のために荷物をはこぶための駄馬でしたが、これらは常に陸軍で飼っておくわけにも行かず、農耕馬などを民間から兵士と同じように徴発しました。また一部は現地で徴発、買い入れした場合もあります。(馬は貴重だと兵隊より馬が大事にされたというような逸話もあります。) これらの馬は、兵士と一緒に軍用船で大陸へ運びました。 食料や資料は一部は日本から運んだものもありますが、かなりのものが現地調達でした。 日露戦争の場合はこれらの補給の感染としてはロシアが敷設した北清鉄道を利用しました。もちろんロシアは撤退するときに機関車などは持っていってしまったので、最初は貨車を人間が押すということもあったようですが、日本から鉄道専門家を主体とした野戦鉄道提理部という組織をつくり、日本から機関車や貨車を運んで利用しました。 鉄道からは馬の背や馬車に積み替えて各部隊に運んだようです。
お礼
ありがとうございます。 馬以外のことも教えていただいてすっきりしました。 しかし、それだけの馬を運ぶための船もあったわけ ですね。 あれこれ考えると、もっと質問したくなってきましたが・・・自分で本を読むしかないですね(笑)
お礼
ありがとうございます! すごい知識ですね。 馬のことが判ったことよりも、そのようなことを ご存知であることに感動しています。 おすすめいただいた本も、読んでみたいですね。