- ベストアンサー
自己表現てなんですか?
私は最近、芸術で何か美しさを見せてくれる人に「いいなあ、あの人」と感動します。さりげなく、誇らずに表現しています。 そこで、お聞きしたいのですが、芸術家や音楽家がよく「自己表現」とおっしゃいますが、それは何ですか?どんな気持ちでするのですか? ○○家と呼ばれる人でなくてもかまいません。 自己表現をしているという自覚のある方にお聞きしたいのですが…
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
借り物でない、自分の中から出てきたもの。そう信じられるもの。 それはものの見方でもいいし、ものの感じ方でもいいし、 まったく新しい結びつきでもいい。 どんなささやかなものでもいい。 それをどう表現するか。表現することによって受け手の心に、 何か前向きな一歩を踏み出させることができるか。 これが自己表現だと思います。 受け手の心が上へ向かってさざなみ立てばとりあえず成功でしょう。 ですから、必ずしも美しさをあらわすとは限りません。(美しさの定義にもよりますが) ただ、質問者さんの「さりげなく、誇らずに表現」には鋭さを感じました。 表現者にとって、原則として表現する手段は何であってもよいものなんでしょう。 音であれ言葉であれ色や線や石膏であれ。 しかしいったん手段を決めてしまうと、手段に殉じなければなりません。 石膏は言葉に還元できないし、音は言葉に成り代ることはできません。 この逆もしかりです。 表現されたこと、もしくは表現されてゆくプロセスこそがすべてなんですから。 「自己」はそのプロセスの中で形成されてゆくのだと思います。
その他の回答 (2)
自分の心の中にあるものを外にむけて表したいといった衝動........こうしたものを実際にになにかのかたちで表現すること、これが自己表現だと思います。 なにか........とはその手段のことで、たとえば絵や彫刻であったり、音楽の作曲や演奏方法や、あるいは歌い方であったり、小説やエッセイ、それに手芸やクラフトなどということもあります。 自分で言うのもあるいは変なのかもしれませんが、わたしの場合はとにかく自己表現をしたくてたまらないほうです。仕事にしているデザインや設計もある意味でそうですし、それでもまだ足りず、歌を習い、下手なりにエッセイや小説も書き、しかも絵も描きたくなります。 これらはみんな、自分の心の中にあってムズムズしたものを感じたら、ぜひそれを自分なりの表現で表してみたいと思う、その行為が自己表現だろうと思いますし、どっちにしても、自分の作り出すものは、良かれ悪しかれ、どうしても自分なりの独特の表現になってしまいます。それこそが個性の表れだと思います。 ただ、そのムズムズの程度の高さや、その表現の的確さや豊かさ、こうしたものが世の皆さんの目にかなうだけ質が高いならば、それに触れる方々からは「豊かな自己表現・豊かな感性」と高く評価されることになるのでしょう。なかなか難しいことですけれどねえ。
お礼
ほんとにそうですね。janvierさんの考えは実にシンプルだと思います。 じゃあ、私もムズムズしたら、躊躇せず、とにかくやってみます。最近私の頭の中に「あ~あ~川の流れのよ~に~」と美空ひばりさんの歌声が流れます。すごくこういう生き方に共感しているところです。janvierさんの考えを読んで、さらに自分を自然の流れに任せてみようという気持ちが強くなりました。ありがとうございました。
- fuckin-lovegun
- ベストアンサー率30% (47/153)
まず実際、「自己表現」していると言っている芸術家や音楽家こそ、創作時に「自己表現」とは何ぞやと、これであっているのかと悩んでいると思う。 こんにちは。 自分も、芸術家を志しておる者の一人です。 そして、昨今もずっと自己表現に悩んでいます。 そこで思う芸術家の自己表現とは何ぞやを、闇雲ながら答えさせていただきたいと思います。 自己表現とは、簡単に言うなれば自分の考え・思い・気持ち、それは喜び・怒り・悲しみなどであって、すなわちそれらを表現してるのが芸術って言う分野になってるんだと思う。 だから、芸術家だから「自己表現」じゃなくて、 自己表現を行ってるのが「芸術家」だとおもう。 ■ドラマのような夢を見た。だから文にして書かいてみた。これで人を感動させたいから本にした。 ■失恋した。このなんとも言いがたい思いを、悲しみを歌って伝えたいから歌う。 ■中東で戦争が起こっている。この無慈悲な戦いへの怒りを、現状を知ってもらいたいから描く。 それらがたまたま作家であり歌手であり画家なだけで、たまたま芸術家と呼ぶだけなのだと思う。 そして、分野は違えど、何かへの気持ちを歌にするか文にするか絵にえがくかであって、それは彼ら芸術家にとって生きることであり、生きている表現になっていると思う。 喜怒哀楽は、生きていること。 それを表現できる芸術は生きていることの縮図であり、そのものなのだと思うから。 …なんて言ってみても、これ以外の表現だってあると思うし、『無』だって考えられる。何も無いことが自己表現であり芸術云々とか。 最後にもっとも言いたいことは、自己表現、すなわち芸術は誰にでも参加可能な、むしろ生きているのだからあなた自身が能動的な自己表現をしているわけであって、すでに芸術家であることを知ってほしいと思います。 そして、このような自己表現とはなんぞやとの質問をしたminaorangeさんは、もう能動的な自己表現をしているとも思いますよ^^ 乱文ですが、参考になればこれ幸いです。
お礼
私は今までずっと、生活のために仕事ばかりしてきたんです。それで最近、いい歳になってるし、何となく“心の中のスローライフ”と言いますか、ゆっくり楽しんで生きる方向へ、自分を移行させたいんです。 ついこの間、古典楽器を弾く少年を見ました。ああいう音を聞かせてくれる少年に深く感動しました。 それで、ひょっとしたら自分も何かやりたいのかなと思いましたが、イメージがわかなかったんです。それで質問させていただきました。 >喜怒哀楽は、生きていること。 >それを表現できる芸術は生きていることの縮図であり、そのものなのだと思うから。 このことについて深く考えてみようと思います。 ありがとうございました。
お礼
>どんなささやかなものでもいい。 >それをどう表現するか。表現することによって受け手の心に、何か前向きな一歩を踏み出させることができるか。 >これが自己表現だと思います。 と、ありましたが、やはり受け手を意識するものなのですよね。でも、どうしてあの少年はサラリとできるのでしょう。 そのちょっと前に久しぶりに日本へ帰ってテレビを見たら、都はるみさんが出ていました。すっかり変わっていたので驚きました。昔はただ無心に歌っていたのに。プロセスであんなんなってしまったんでしょうか。 でも、zephyrusさんの考え方自体は素晴らしいと思います。私も少年の演奏で何かを考え始めましたので… ご回答ありがとうございました。