• ベストアンサー

高齢者と乳児への身体拘束の違い

noname#2787の回答

noname#2787
noname#2787
回答No.2

色々な解釈が存在すると思いますが、私自身は、「明らかに、『自己管理能力がなく危険(危険を回避できない、自傷行為をするなどなど。)』と判断されたなら身体的な拘束を行うことが許される」と考えます。 乳児の場合、生まれながらに大人びた赤ん坊(笑)というのは存在せず、これからそういった能力を身に付けていくのですから、現在は能力が常に無い状態である…つまり社会の中で『自己管理能力がなく危険』というのは常に一致した見解となっているので問題がないと考えます。安全を確保するための拘束と虐待のための拘束は違います。 一方、老人の場合『自己管理能力がなく危険』というのが、どれだけ社会的な合意を得られているかが問題なのだと思います。そして、ある時点では能力が喪失していても、それが常時とは限らないのも問題だと考えます。 痴呆が進み、能力喪失の状況が明らかであれば、必要最低限の拘束は認められると思います。 必要最低限の拘束とは、身体の直接の拘束、監視、軟禁などのなかから目的を果たすのに十分でかつより拘束度の低いものを必要に応じ選択するということです。 しかし、『常時』こうした能力の喪失状態にあるかどうか必ず確認しなければなりません…たとえば「夜間せん妄」という状態がありますが、文字通り『夜間だけ』喪失状態にあるわけで、こうした状態の人間を、介護する側の「手間」の問題だけで日中も拘束すれば、やはり人権侵害となるでしょう。しかし、夜間に限れば拘束を行う合理的な理由があると思うのです。 一般成人についても、事故など精神的なショック状態にある場合など、一時的に『自己管理能力を失い危険』な状況に陥りことがあります。この場合も、当然必要に際し拘束が行えると思います。 以上をまとめますと、『少しでも自己管理能力を有する可能性のあるものを拘束する場合は、拘束するに合理的な理由を提示し社会的な認知を受けなければならない』ということだと思います。また拘束すること=人権侵害なのではなく、『必要以上の拘束を行い、許されるべき自己判断能力の発揮を妨げることが人権侵害』なのだと考えます。 これは精神疾患の人々の拘束についても言われることですが、実際の運用と理念については厳密に区別しておく必要があると感じます。実際の運用では、周囲の安全性も加味されたり、裁判所だけでなく、医療機関など専門的に判断を行う諸機関の自主的な運用に任せられています。 乳児の場合、自己判断能力がないということは社会的な合意事項だと思いますので、危険回避のための拘束(くれぐれも虐待のための拘束は外してください)は常に認められるということだと思います。

think_i
質問者

補足

 少なくとも、乳児に関しては自己判断能力がない、ということは社会的な合意事項ということでしょうか。  しかし、高齢者の身体拘束については、違うと思うのです。裁判所の判断では、痴呆により転倒事故を起こす可能性の高い者に関しても、身体拘束を行うことは人権侵害にあたるとされています。また、介護保険の指定施設は、原則身体拘束を禁止されています。  また、せん妄状態にある高齢者を拘束することは、興奮状態を助長し、逆効果だと思いますが。  高齢者の場合に、何らかの身体拘束やむなしと判断する場合には、きちんとした手続きをとることと、それに至るまでに、他の方策をできるかぎり取ることが必要とされます。  そこで、乳児の場合には、それがなぜ認められるのか。その理由を自己判断能力に求めるのであれば、痴呆の高齢者の意思能力に欠けた状態と、乳児のそれとの質的な違いが何かあるのでしょうか。

関連するQ&A

  • 【身体拘束】

    はじめまして『身体拘束』について分からないところがあるので教えて頂けると有難いです。 はじめに、身体拘束を行った介助者側の考えや気持ちを具体的におしえてください つぎに、身体拘束を受けた利用者側の考えや気持ちを具体的におしえてください。 さいごに、今後の対策や行動についてもおしえてください。

  • デイサービスにおける身体拘束に関して

    現在デイサービスに勤務している職員です。利用者様の対応を巡って意見が割れています。 焦点となっている利用者様は認知症で徘徊を頻繁にされており、ご自身で施設外へ頻繁に出られてしまいます。 以下状況がわかりやすいように要点をまとめていきます。 (1) 施設の構造的にデイフロアを出るとエントラス(玄関ホール)。自動ドアのスイッチに手が届き、自身で開けて直ぐに外に出られる。エントラスホールにつながるように職員玄関があり、そっちからも外へ出られます。職員玄関は普通のドアでカギをかけておらず、カギをかけても自身で開けて出られる構造になっています。 デイフロア≪デイ入口ドア≫エントラスホール≪スイッチ式自動ドア≫受付≪スイッチ式自動ドア≫駐車場 文字にするとわかりにくいと思いますが、デイフロアから一歩出ると危険な状態になってしまう可能性が高いとお考えください。 (2) (1)の危険な状態になってしまう状況に関して…利用者様はADLが非常に高く、自立して独歩が可能です。また上記したようにご自身で自動ドアのスイッチを押して施設外へ出て行ってしまいます。 認知症が非常に進んでおり、見当識障害があり『なぜ外に行くのか?』『ここがどこなのか?』明確に理解されていません。(心の奥底では自宅への帰宅願望があり、それ故の行動かと思うシーンもありますが、明確な意思表示はされません) 施設の前はすぐに大通りで交通事故の可能性が非常に高いです。 (3) どこの施設でもそうだと思いますが現在人員が足りておらず、見守りによるケアが難しい状態になっています。仮に当該の利用者様に一人つきっきりになると、フロアの他の利用者様へのケア、見守りがおろそかになり転倒など思わぬ事故につながる可能性があります。 こうした状況下の中で現在デイ入口のドアを施錠して対応しています。デイ利用時間中常にかけているわけでなく、職員が見守りが難しい、外に出られてしまうと危険な状態(徘徊する利用者様もフロア内にいる利用者様も)と判断した場合のみ鍵の施錠を行っています。質問はこのドアの施錠に関してです。 デリケートな問題、「身体拘束」の定義が曖昧なので「答え」そのものがないんじゃないかと思いますが…実際に色々なサイトで調べたり、コミュニティを利用しても本当にケースバイケースで判断が難しいのですがお知恵を貸して下さい。質問もわかりやすいように箇条書きにします。 (1)併設するショートの職員より「身体拘束」だと意見を言われました。デイフロアの鍵をかけてもデイフロア内は自由に動け、他の利用者様もデイフロアで過ごしています。 こうした状況でも「身体拘束」になってしまうのでしょうか?デイ職員の認識としては、「すべての利用者様のおかれる状況を考慮し、その結果、生命・身体に危険が及ぶ可能性がある場合のみ施錠をしています。(見守りが出来ず、徘徊する利用者様が最悪の場合交通事故の被害にあう可能性が高い・フロアの利用者様の見守りが不足し、フロアの利用者様に生命・身体の危険が及ぶ可能性がある等) (2)該当利用者様のご家族には事情を説明し、個別に許可をとっています。しかし他に利用されている方々には個別的な話はしておりません。ショートの職員からは利用者全員を拘束していると言われました。 一応形式として、利用契約書に身体拘束に関する記述はあります。内容は「生命~やむをえない場合~」と形式的な文面で、具体的な要項は盛り込まれていません。 (3)ショート(2F)もエレベータに電子ロック施錠、職員通用口階段のドアに鍵をかけています。ショートの職員いわく電子ロックは防犯のため。電子ロックを操作できれば外へ出れるから拘束にはならない。通用口はすぐ階段があるから、安全上の問題から施錠が法律で義務づけられているとのことです。 確かに階段が目の前にあるので、ドアを開ける=危険というのは納得できます。しかし結果として利用者様をショートフロア内の移動のみにとどめている事実はあるわけで…社会福祉法だか介護保険法だか、法律で決まっているのなら何か明確に示されているのでしょうか?正直ハードの問題が雲泥の差である、ショートとデイを比べて一概に「身体拘束」と言うショートに疑問を感じます。電子ロックはセーフでカギ穴式はアウトなのでしょうか? 長々となりましたが、「明確な答えはない」と思っております。それ故に多くの意見を頂戴したいです。似たような事例はありますが、自身の問題をしっかり考えたいと思い投稿しました。(3)に関しては半分愚痴も入っていますが、法律云々で何がセーフでアウトなのか指標があれば教えていただきたく思います。

  • 中国、北京に直訴に来た陳情者を拘束!?

    「中国の全国人民代表大会(全人代=国会)開催にあわせ、 官僚の不正などを国家指導者に直接訴えようと 全国から北京に集まる陳情者に対し、 公安当局が取り締まりを強めている。 約5千人の陳情者が宿泊先などで拘束され、 市郊外の収容所に送られた…」 本日の産経新聞より。 疑問です。 こういう行為は、 人権侵害に当たらないのでしょうか? 彼らは、裁判を 起こすこともできないのでしょうか? 彼らの意見を吸い上げる共産党とは 異なる意見を持った団体はないのでしょうか? http://www.sankei.com/world/news/150307/wor1503070047-n1.html

  • 拘束時間

    労働基準法では法定労働時間を、1日8時間1週間40時間を超えて労働させてはならないとありますが、労働時間はこの範囲でも職場にいる間の時間、つまり拘束時間の制限はないのですか。私の仕事は1勤務24時間の仕事でその中の勤務時間は15時間30分です。法定労働時間以下ですが業務の都合により1勤務24時間10分の場合がまれにあります。法定労働時間以下なら一日以上の拘束もありですか?

  • 身体障害者は存在するか?

    身体障害に対して罵声を浴びせた場合それは一般的に差別発言に当たると思いますが。差別ではなく単なるイジメではないでしょうか?(単なると言ってもイジメは重大な問題ですが)その事によって恥ずかしさや、悔しさ等はありますが就職や結婚ができないというような行動を制限されるような問題は発生しないと思います。(もちろん、能力に応じて雇用されない。と言ったことはあると思いますが、あくまでもその発言で制限されないという意味です)容姿が悪い人に対して「ブス!」と言うのと変わりないように思います。その場合はケンカにはなるかもしれないけれど、人権問題ほど責任を問われないと思います。こういった考えは障害者に対する誤った解釈を生んでいる温床だと思います。 ただのイジメが人権問題に化けてしまう根底には我々の作り出した障害者の定義が原因と思います。 広い意味で捉えた場合、メガネをかけている人も障害者です。しかし 腕や足がないは障害者で、メガネの使用者や、容姿の悪い人は健常者。 彼らは特定の能力が低いだけで我々と同じではないでしょうか? 逆に私には目の見えない友人がいますが、ピアノがとても達者です。 というように健常者よりも優れているものを持っています。 『障害者』という定義がものすごくあらゆる面で誤解を生んでいると思います。 後半少し話が脱線しましたが、まとめますと 「障害者に罵倒した場合それは差別とあなたは考えますか?」 みなさんの意見も是非きかせて下さい。

  • 高齢者 身体拘束について

    はじめまして。GHで介護職をしているものです。 先日、足元のふらつきから転倒事故があり、(5針縫合。ベッドからの立ち上がりでバランスを崩されたのが原因です) その後、スリッパに鈴を付けることになりました。(家族は了解済) また、ベッド柵にクッション材の代わりとしてバスタオルを巻いております。 質問ですが、この場合 1、足首など身体に直接鈴を付けるのは論外としてスリッパはOKなのか 2、11項目の身体拘束の規定に反しなければ極端にいえば何をしてもいいのか? 1は、私は拘束になると思いますが皆様はどう思われますか? また、身体拘束(抑制)の事例や細かな種類が掲載されているサイトがありましたらご紹介くださいませ。

  • 議員は、選挙公約と党議拘束のどちらを優先すべき?

    議員が選挙に当選したときに、自分が行なった選挙公約と異なる行動や投票を議会ですることを、自分の所属する政党が党議拘束に基づいて議員に指示してきた場合、議員はどうすべきでしょうか? これは、議会制民主主義と政党政治の最も根本的な問題であると思います。特に、政党の離合集散によって、議員は自分が当選したときの選挙公約を実行できない状況になった場合や、自分の良心に従えば党議決定には賛成できない場合、議員が党議拘束に反する行動をすることは、良いことでしょうか、悪いことでしょうか? 今回の自民党の加藤議員の行動の顛末をみていて、このような疑問が生じました。

  • 論文のまとめ、どうすればいいのでしょうか?

    今僕は、卒業論文を作成しています。(中三です) (初めて書く論文なので、果たして論文なのかどうかわかりませんが・・・) 内容は以下の通りです 今現在、人権侵害は世界各地に存在します。 例えば、少なくとも81ヶ国で拷問や虐待が行われている、 少なくとも54ヶ国で不正な裁判が行われている、 少なくとも77ヶ国で表現の自由が制限されています。 更に他の国ではもっとたくさんの人権侵害が行われています。 しかし、このようなことが果たして起こっていてもいいのでしょうか? いいえ、そんなわけ絶対にありません。 世界人権宣言では、「すべての人は、生命・自由及び身体の自由に対する権利を有する」 と記されています。 しかし、今の世界の現状はこういったことが守られていません。 他にも、拷問の禁止として 「何人も、拷問または残虐な非人道的なもしくは、屈辱的な取扱いもしくは、刑罰を受けることはない」 と記されています。 だけどこういった人権を守るのは「難しい」でしょう。 しかし僕は、人権を守るのが「難しい」のではなく「できない」のだと思いました。 理由は、人権は人類の人権獲得の戦い、つまり歴史から獲得されたもまだからです。 それと、イスラム圏では、女性の侵害が問題になっています。 しかしこれは、イスラム教の教えがもとになっています。(アラーの教え) つまり、女性蔑視を完全になくそうとすると多くのものが弊害になります。 この場合、イスラム教の教えが弊害になります。 しかし、女性の権利を守ろうとすると、同時に、個人は自由に宗教を選択という人権を阻害することになります。 つまり、人権を完全に守るには、それと同時に他の人権を侵害する場合があるのです。 だから、完全に人権を守るのが「できない」のです。 だけど僕はこう思います。 「あちこちに矛盾を抱え、同時にある程度の人権侵害を認めながらも、 妥協点を見つければいい」のではないかと思うのです。 という論文をかいてみたのですが、最後の部分に何を書けばいいのか 全然わかりません。 どうか、何でもいいからアドバイスをお願いします。

  • 論文のまとめ、どうすればいいのでしょうか?

    今僕は、卒業論文を作成しています。 (初めて書く論文なので、果たして論文なのかどうかわかりませんが・・・) 内容は以下の通りです 今現在、人権侵害は世界各地に存在します。 例えば、少なくとも81ヶ国で拷問や虐待が行われている、 少なくとも54ヶ国で不正な裁判が行われている、 少なくとも77ヶ国で表現の自由が制限されています。 更に他の国ではもっとたくさんの人権侵害が行われています。 しかし、このようなことが果たして起こっていてもいいのでしょうか? いいえ、そんなわけ絶対にありません。 世界人権宣言では、「すべての人は、生命・自由及び身体の自由に対する権利を有する」 と記されています。 しかし、今の世界の現状はこういったことが守られていません。 他にも、拷問の禁止として 「何人も、拷問または残虐な非人道的なもしくは、屈辱的な取扱いもしくは、刑罰を受けることはない」 と記されています。 だけどこういった人権を守るのは「難しい」でしょう。 しかし僕は、人権を守るのが「難しい」のではなく「できない」のだと思いました。 理由は、人権は人類の人権獲得の戦い、つまり歴史から獲得されたもまだからです。 それと、イスラム圏では、女性の侵害が問題になっています。 しかしこれは、イスラム教の教えがもとになっています。(アラーの教え) つまり、女性蔑視を完全になくそうとすると多くのものが弊害になります。 この場合、イスラム教の教えが弊害になります。 しかし、女性の権利を守ろうとすると、同時に、個人は自由に宗教を選択という人権を阻害することになります。 つまり、人権を完全に守るには、それと同時に他の人権を侵害する場合があるのです。 だから、完全に人権を守るのが「できない」のです。 だけど僕はこう思います。 「あちこちに矛盾を抱え、同時にある程度の人権侵害を認めながらも、 妥協点を見つければいい」のではないかと思うのです。 という論文をかいてみたのですが、最後の部分に何を書けばいいのか 全然わかりません。 どうか、何でもいいからアドバイスをお願いします。

  • 高齢化社会 どこまでなら耐えられる?

    誰にも共通する、高齢化社会の問題で、ご意見を聞かせてください。 自分の親の介護で、介護している中高年のお子さんが、ご老人特有の老いの行動から、親子関係が崩れてしまうような親の発言や行動に悩まされたり、共同生活が不可能になって倒れてしまったり、家族間での哀しい事件が起きてしまったり、、、ということは、よく問題になりますよね。 ・食事の際、幼児に帰ったように食べ物をこぼす  ・介護してサポートしている家族に、子が知っている、これまでの親とは思えない様な暴言を吐くようになったり、陰湿な嫌がらせを構ってもらえない寂しさからするようになる ・徘徊 ・おもらし ・アルツハイマー病  ・こどもがえりの自己中と 親の権限の圧力で拘束し、自由が無い ・寝たきり生活で体力のいる介護 その他.... みなさんが、ご自分のご両親がいずれ年老いて、介護等必要になって来た時に、多くの若い人なら、親御さんなので、何があっても施設などに入れず、ご自分が守りたいと、言う方も多いですが、経験がまだないからの話で、現実は、上記のようなお年寄り特有の症状がだんだん増して、手に負えなくなったり、優しかった自分の親とは別人みたくなってしまうこともあったり、、、で、共同生活がままならなくなり、兄妹同士で親の面倒を押し付け合いになったり、他の兄妹に押し付けて、逃げ出す人もたくさん、いるみたいです。 そこで、質問です。 もし、みなさんがそうなったなら、施設の専門の人たちにお任せする目安 なども併せ、こういうことをされるようになってしまったら、耐えられない、ここが限界、と考えられるのは、親御さんがどんな風な状況になったら、と思われますでしょうか? 考え方によっては、失礼とか酷に感じられる方がいましたらすみません。 が、現実問題 多々ある問題のため、みんなで考えたいため、ご容赦願います。 また、深くイメージ出来ず、親なんだから、最後迄看取るのが当たり前、等 きれいごとだけのご意見とか、ホームなどの宣伝紹介は ご遠慮願います。 世の中、家族間での介護は、生活の支えのある配偶者がいる主婦や、介護される側が裕福で、介護する子の生活費など負担出来なければ、裕福な方もひと掴みなので、みんな自分の仕事や経済力への支えもなし、預ける費用もなく、拘束される結果になり、つききりで介護にあたらなきゃならなくなる庶民もたくさんいたり、共倒れしてしまったりします。 孤独死も多く、親だし、一人にできないとは言っても、現実には多額な費用がかかるのも前提なので、子供世代から未来も含めての問題ですので、介護する側の疲労や社会的立場への迷惑行為、生活出来なくなるなどの経済的なことや、拘束なども含めて、想像して頂ける方、実際に介護に当たられている方に、お話を伺えると大変嬉しいです。 よろしくお願いします。