• 締切済み

他界した両親が創価学会→法華講だったのですが・・・。

私が子供の頃から家は創価学会員でしたが母が亡くなりその法要のタイミングで 昔からの知人に「創価学会は良くないからやめて法華講にした方がいい」と言われ 父は法華講の信者になりました。 その父も他界しお葬式も法要も法華講のお坊さんにお願いして行ったのですが 私自身はどちらの宗教も信じておらず(かといって他に信じている宗教もなく) このまま日蓮大聖人様?が祀ってある仏壇とか両親の過去帳とかをなくしたいのですが どういう手続きをすればいいのか分かりません。 お坊さんに直接聞くと気分を悪くされそうな気もするしどなたか分かる方いませんか? 決して供養したくないという訳ではなく信じてない宗教の信者になっているより 写真とかに花を添えておくくらいの方が私としては気持ちの上でも供養できると思います。

みんなの回答

  • tonto1818
  • ベストアンサー率20% (2/10)
回答No.2

再度書きます。 人が宗教を作り、それを信じるのは、人が未だ見ぬ先を考えるからではないかと思います。その不安感から逃れるために、将来はきっと良き事が有ると思える為に、何かを信じたいのだと思います。また、人間は個々人を守るために、どうしても集団生活の必要が出てきます。集団の体制維持のためにも、考え方をまとめ、互いを思いやる倫理観が必要だったと思います。故に現代に宗教は必要ない、とは思いません。 長い歴史の中から生まれた、人としての生きる知恵があると思っています。それで私は多くの宗教関係の書籍類を読んでいます。自分の倫理観にも、生き方にも仏教の知恵は役に立っています。 確かに宗教は人の考え方を強制する面もあります。場合によっては、それを利用して強力な集団を作り、集金業務で盤石な資金力を作り、時には政治や治安などにも大きな影響を与えます。そういう事を見たり聞いたりすると、恵まれた日本では嫌気を感じる事も多いと思います。ある種の状況では、そういう強力な指導者と統一された思想が、多くの人心をまとめられると思います。 宗教組織に属すか否かは、現在は自由なので、ご本人の考え方次第です。嫌なことなら無理に付き合うことはないと思います。ただし残念なことに、現状では信じると否とに係わらず、無宗教の墓地でも自宅に仏壇を持つと、何らかのご本尊を中心にお飾りするようです。仏教の場合ですが。そうすることで、次回の葬儀等に関しては連絡する寺院が解りやすい、程度に考えれば良いのではないでしょうか。お墓は「埋葬許可証」が有れば、所有者の了解が有れば何処に埋葬しても良いはずですよ。神道で葬儀をした人も、共同の祖先からの墓(仏式)に埋葬したと聞いたこともあります。 御祖母様の所にも仏壇があり違う宗教なら、一緒にするときには、時期を見てどちらかを所属寺院にお返しすれば良いと思います。捨ててしまう人もいるようですが、長い間信じて来られたので、キチンとお返しするのが良いと思います。 知人の中にも同様に寺院に移った人がいますが、最初の頃は組織に戻るように煩かったそうですが、選挙以外は誰も来ていないようです。寺からも特に連絡はないと聞きました。それで全くの無宗教者として、全く何もしてないようですよ。 私はいずれの宗教でも、または無宗教者でも、自分の祖先や両親に対しての感謝は大事であると思っています。日々両親や祖父母に感謝し、感謝の気持ちを以て自分の子供達を育てることで、御先祖様からの血を継承し、報恩に報いることであると考えています。 寺で拝んでもらうとか、墓に供物や香を焚く事が先祖供養とは思えません。御両親が生きていれば、誠を尽くすのが報恩感謝です。子供を立派に育てて、社会の構成員として送り出すことが、血の継承の報恩供養です。御両親も子供もなければ、伴侶を労ることも、ご両家への供養です。もし伴侶もいなければ、自らの身体と命を大事にすることも、御先祖から受け継いだものを大事にすることになり、立派な供養と思います。寺院に属するとか、組織に属して活動するとかよりも、毎日御自分や家族、更には周囲の人のために何が出来るのかを考え、感謝の気持ちで生きることが大事だと思っています。 祟りも功徳も、全て御自分の中にあります。他人に左右されるものではありません。 と、思って毎日を過ごしています。

a1y2u3m4i
質問者

お礼

やっぱりご本尊をお寺に返そうかと思います。 回答者さんの「次回の葬儀に連絡する寺院が判りやすい」というのを 読んで次回の葬儀にこのお寺に連絡するのはイヤだなと思いました。 最初の予定通り写真だけ飾ることにします。 (2人が写っている丁度いい写真も見つかりましたし) ありがとうございました。

  • tonto1818
  • ベストアンサー率20% (2/10)
回答No.1

無宗教にするなら簡単ですよ。 要はそのままにすればよいだけです。 ただし、日蓮正宗に墓が有れば、何かと連絡が来ると思います。墓を移すには、新たな墓地を購入しなければ成らず、金額的にも大変ですよね。 墓がなければ、永代供養の共同墓地にすれば、その後お参りに行こうと行くまいと、貴方の自由です。自宅で回向すれば良いと考えるなら、永代供養が簡単です。 正宗寺院に墓地があり、今後一切の関係を切りたいなら、墓地管理料だけを払って、何の連絡があっても、全く応じなければ、とりあえずは自然と関係は切れると思います。 要は、貴方の祖先に関しての考え方だけだと思いますよ。 春と秋のお彼岸は、本来の仏教には無かった事です。 此は日本古神道に元付く、農耕儀式から来たと考えられます。農耕のための季節の分岐点です。 御盆に関しても、やはり日本古神道と思います。御盆は33年間に亡くなった先祖と共に祝った儀式です。お正月は33年以上昔に亡くなった氏神様と祝う儀式です。 盆と彼岸に卒塔婆供養をするように言われますが、卒塔婆の元は、釈迦の骨を奉った墓の「ストゥーパ」の漢音です。 その釈迦自体も、自らの遺骸を奉ってはいけないと遺言しています。釈迦は偶像崇拝を否定しています。 釈迦の教えは、人間本来の生き方で、階級社会の打破、宗教者の偶像崇拝と権威主義の打破でした。 釈迦の教えを受け継いだ仏教者が、偶像崇拝するのは少し変だと思っています。ただし、此はあくまで私個人の考えですが。 私も仏教者です。 仏教の教えを日常の生活に活かすために、教典も日蓮の「御書全集」も読んでいます。もちろん他の仏教論者、弘法大師や法然なども読んでいます。とても役に立っています。 彼岸・盆・正月、それぞれ家族や御先祖様と共に、感謝の気持ちで過ごすように心がけています。 何処の宗教にも属したくないと、今の若い人は考えていますが、余りそういう考え方は好きではありません。煩わしさが先ず先に来て、先祖供養を軽くみているように思われます。 両親があり、御先祖があり、その命が貴方に伝わっているのです。宗教は嫌いでも、本当にご両親に対しての感謝の誠が毎日抱けるのかを、先ず考えていただきたいですね。感謝の祈りが、所属する宗教で充分に行われると考えるなら、無理に無宗教になる必要はないと思います。 充分に本質を考えてください。長くなってすみませんでした。 若い人ですが、宗教に関しての面白いコラムを書いている人がいます。参考に「参考URL」に記しておきます。

参考URL:
http://www1.accsnet.ne.jp/~aml02945/column.html
a1y2u3m4i
質問者

お礼

お墓はありますが日蓮正宗のという訳ではなく祖父の代からあるお墓で、 宗教に関係なくみんなそこに入っています。 不謹慎ですが健在の祖母も亡くなったらそこに入ります。 祖母は日蓮正宗ではありません。祖母の家には仏壇がありますが何の宗教かは知りません。 同じ宗教でないと同じお墓に入らないものなのですか? うちのお墓があるのは特定の寺院とかではなく多分公共のとこだと思います。 宗教を信じることとそれを母体とする団体に属することは違うような気がします。 私はその団体の活動が好きにはなれません。先祖供養よりも別の目的を感じる感じるからです。 しかし回答者様のおっしゃることから判断するとご本尊はそのまま安置して信心する方が いいということですよね。 そのこと自体はいいのですが創価学会やら法華講というのはやっかいな活動を 求めてくるので(法華講はそうでもないのかな?よく知りませんが)拒否感を感じるのです。

関連するQ&A