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尼子経久 vs 北条早雲

戦国時代、一番初めに下克上をした人物はいったいどちらですか? 年代的には、尼子経久が先だと思うんですけど北条早雲が先駆者 となっていますよね?なので、疑問をすっきりさせてください。 お願いします。

  • druky
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  • 歴史
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みんなの回答

  • takeko85
  • ベストアンサー率65% (148/225)
回答No.5

下克上を下克上の名の通り実際に下位者が上位者を打倒し、地位を奪うとするなら 尼子経久が最初じゃないですか。1486年に守護代が守護に取って代わったんあだから。 下克上なら朝倉孝景 (7代当主)「英林孝景(えいりんたかかげ)」「天下悪事始行の張本」の方が早いんじゃないですかね? 朝倉孝景(守護代)→斯波義廉(守護) 伊勢新九郎(北条早雲 )は別に上位者に取って代わったわけじゃないから、戦国の先駆けではあっても下克上ではないんじゃないですか。

  • nobuake
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.4

 後世の人間は、戦国時代を物語で読み過ぎて『下克上』という言葉を捉えすぎていると思います。正直な感想としては、戦国の『下克上』というのは、歴史の流れであり、特別の存在ではなく、一番最初に行ったというのは、二人のうちどちらでもない、という気がします。  北条早雲が素浪人から成り上がったという話は、現在ではほぼ否定されています。名門の政所執事を務めた伊勢氏を出自とすると言われており、伊勢氏は今川氏と同格なので、今川義忠の室・北川殿は正室だったと思います。とすると、このような名門の出身者が勢力を築き上げた・・というのは下克上と言えないと思います。  尼子経久もやはり下克上とは言えないのではないかと思います。  室町幕府の権威失墜、地域経済力アップ、国人層の台頭で、旧の支配権力は弱まって支配の実質を奪われてしまいました。ただ、この支配の実質も『守護大名』のもつ権力は徳川時代のような強力なものではありません。  いわば、国はブドウのフサです。守護大名でさえ、そのなかで直轄領という粒を持っているに過ぎません。国人はブドウの粒です。おのおのがある程度の力を持っており、その国人の粒に担がれて守護大名が存在したわけです。ところが、国人の台頭と反比例して守護大名が弱くなったので、強くなった国人が全体に力を及ぼし、全体の粒に担がれだした、というのが戦国大名だと思います。京極氏の支配は弱く、従わない国人は多数いました。土地の横領などは頻繁にあり、尼子経久の反乱も寺社領の横領・課税に従わなかったのが発端です。また京極氏が最初に尼子経久を追討するときも、自分ではなく、出雲の豪族に命じています。もう、すでに京極氏の力は衰えていたと思います。もし、尼子氏が台頭しなければ他の国人が台頭したでしょう。  国人が台頭して、守護大名家は弱体化し、国人の中でのレースに勝ったのが尼子経久。京極氏はすでに 乗っ取るほどの存在ではなくなっています。同時期に京極氏は本拠地である近江でも国人による寺社領の横領をとめられていません。京極氏が主君というイメージは既にありません。下剋上という雰囲気ではないなあ・・という気がします。  一方で、斎藤道三も近年の研究では、一代で油売りから国主になったのではないことが判明しています。油売りは父親であり、二代による国盗り物語です。やはり、他国の素浪人から一代で国主になることは不可能だったのでしょう。  戦国の代表的な下克上と言われる『北条早雲』『斎藤道三』はともに通説は間違っていることが判明しました。他国に素浪人が一代で国主になれるほど『権威』は失墜していなかった。ただ、国人の台頭により、旧の守護大名勢力は没落していく課程、これが全国的におきた。これが下克上の真相だったと思います。  

  • n-p
  • ベストアンサー率42% (23/54)
回答No.3

こんにちは。 僕も、#1さんの考えと同じで尼子経久の場合は下克上とは少し違うと思います。しかしdrukyさんが知りたいのは「どちらが先駆者か?」という事なので下記URLを参照にして下さい(どの時点で下克上完成? か判断しづらいので)。 北条早雲 http://www.f2.dion.ne.jp/~fumie.h/houjoh/houjoh.html 尼子経久 http://www.nx.sakura.ne.jp/~gumi/sengoku/amako/busho/tsune.html

回答No.2

shu_sさんのおっしゃる通だと思います。 なので下克上であげられる初期の武将は北条早雲と少し新しくなって斎藤道三になるわけです。 便乗回答ですいません。

noname#2787
noname#2787
回答No.1

下克上の醍醐味(?)っていうと当時の常識的には下位のものが上位に食い込むっていうことだと思うのですが、 尼子経久の場合は、一旦守護代を追われてから復権し領土拡大を図ったわけですよね。 それに比べて北条早雲は、諸説ありますが一介の素浪人あるいは諸氏の出から一国を領するまでになったわけで、この下克上という言葉を如実にあらわすものとしてつかわれているのではないでしょうか? 例えは悪いですが、関脇が横綱を倒しても金星にならないけれど、平幕が横綱を倒したら金星がつく…そんな感覚でしょうか? 共に知将と思いますが、尼子経久には豪腕のイメージが個人的には付いているものだから…あはは。

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