• ベストアンサー

あなたが選ぶ、歴史上一番優れた武将とは誰?

お世話になります。 ただ今、歴史漫画で「伊達政宗」を読んではまっていて、 他の優れた武将の作品も読みたくなりました。 武将については学校の歴史で一通り習ったくらいしか知らないので、 詳しい方がいらっしゃいましたら、 お勧めの武将とその性格、そしてどうしてその人が好きなのか、 教えて頂ければ幸いです。 よろしくお願い致します。

  • 歴史
  • 回答数6
  • ありがとう数6

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • e0173a
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.1

藤堂高虎が好きです。 足軽出身であり主君何度も変えるにもかかわらず,その都度知行を増やし,最終的には家康に使え,伊勢32万石の大大名となりました。 このようなことは秀吉の例に当てはまりますが,高虎は秀吉よりも常に向上心を持ち,また,家来を大切にし,そして時代の変化を巧みに捉え,その流れに乗っていることは感心できるところだと思います。

その他の回答 (5)

noname#113260
noname#113260
回答No.6

藤堂高虎が出ましたので、その孫の高久についてお話を。 高虎は俗に言う「風見鶏」的な武士でしたが、腹の座ったところもあり、孫の高久もその気質を受け継いでいます。 高久は時の権力者の大老酒井忠清に取り入り、美味しいことをやりますが、5代将軍の継承問題で忠清が失脚し、将軍綱吉に憎まれ一気に逆風になります。 そして忠清が死んで、あてつけに切腹したのではないかとの風評が立ちます。 将軍は恨みがあるので取り潰そうと検死役が酒井家にきますと、藤堂高久が応対に出て沈着冷静に出直してもらい、検死役が帰ると急いで遺体を火葬にしてしまいます。 検死役が将軍に叱責され、戻ってきた時には既に葬儀が済んだ後で、酒井家は絶体絶命の危機を乗り越えます。 酒井家が罪に落ちれば、連座で藤堂家も何らかの罰を受けますから、この高久は腹の据わった武士として評判になります。 恐らく祖父の高虎も調子よく権力者を渡り歩きましたが、こうした芯がないと生き延びることは出来なかったでしょう。 関係ない話しですが、筆休めに。

wildstrawberry
質問者

お礼

みなさん、ご回答どうもありがとうございました。 今までに聞いたことがない武将達の名前と活躍を知ることが出来てよかったです。 とりあえずは有名どころで、 織田信長、徳川家康、明智光秀から勉強して、 お勧めの武将に進みたいと思いました。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.5

人それぞれです。 ここで回答に上がった武将はそれぞれ納得のいく方々ばかりです。 「名将言行禄」という書籍があります。 これは名将といわれた人達の言行を集めたもので、これも参考にされては如何。 武将がどう部下の心を掴むのに努力を惜しまなかったか、性格も理解できます。

  • fukudon
  • ベストアンサー率20% (59/295)
回答No.4

設題の最も優れた武将となれば「織田信長」になるでしょう。 >どうしてその人が好きなのか。 となると最も優れたとの角度から変わりますが、「楠木正成」と 「大谷吉継」を挙げたいです。 権力に迎合してその流れに就くのが人の性で、否定されるものでは ありません。しかし、信念や信義に殉じて死を甘受する稀有の武将も、 存在したのです。 (悪意はまっくありせんので許してください。#1さんの挙げられた  「藤堂高虎」は、上記二者の対極に位置する、武将と言うより政治屋  との評もあります。見方は様々ですね。)

  • Zozomu
  • ベストアンサー率22% (123/545)
回答No.3

戦国~安土・桃山~江戸初期辺りの武将でいいのでしょうか? 何を持って「優れた」とするかにもよりますが、 鍋島直茂、結城秀康、松平忠輝、真田幸村、松平信康、竹中半兵衛、伊勢盛時、武田晴信、黒田孝高、 等々、上げればきりがないくらいたくさんいますよ。 歴史上のある人物に焦点を当てた漫画や小説は 物語として面白くする為に多少誇張されていたり 美談が追加されていたりしますから、必ずしも 本来の姿を伝えているとは言えないでしょうが・・・・

noname#113260
noname#113260
回答No.2

少々視点を変えてですが「蜂須賀小六」など面白いですよ。 尾張の野武士であった小六が、秀吉と出会うことで歴史の表舞台に登場し、「墨俣の一夜城」など、秀吉の傍らには小六が寄り添い、表に出ることはありませんが、天下を目指します。 織田信長、豊臣秀吉に仕え、徳川政権も生き延びたしたたかな武将です。 脇役ではありますが、1本芯の通った生き方を貫き、私は好きな武将の一人です。

関連するQ&A

  • 戦国武将についてのことです。

    戦国武将についてのことです。 戦国BASARAというゲームの中では伊達政宗は「奥州筆頭・伊達政宗」というふうになっていますが、他の武将でこういうキャッチフレーズを持っている武将はいますか?BASARAに限らなくてもいいので教えて下さい。 また、真田幸村は赤備えで有名ですが、他の武将で〇〇の〇備えみたいなものはありますか?教えて下さい。

  • なぜ伊達政宗?

    五月人形になっている武将はほとんどが伊達政宗です。 なぜ他の武将ではなく伊達政宗なのでしょうか?

  • 戦国武将について

     私は、趣味で小説を書いています。今は、戦国時代を舞台にした恋愛ファンタジーを書いているのですが、戦国武将の暮らしにリアリティを出したいので、以下のことについて質問させて頂きます。 ・戦国武将の一人称(私、俺など) ・有力な戦国武将の城での服装(普段着的なものです) ・有力な武将の家の女性の服装(正装ではなく普段着)  ちなみに、登場する主要な武将は、真田幸村、伊達政宗、直江兼続、石田三成、服部半蔵、徳川家康 なので、知りたいのは主にこの6人についてで、上の質問の通りです。  大河ドラマや歴史番組で言われている事をそのまま信じていいのかがいまいちわからないので、この場をお借りします。  参考になる画像などがあれば付けて下さると嬉しいです。  回答をお願いします。

  • 歴史上の人物の血液型は?

    仙台の資料館に伊達政宗はB型だったとありました。 それから、 織田信長 B型 豊臣秀吉 O型 徳川家康 A型 と聞きましたが人づてのため、信憑性はないです。 なんとなく、わかる感じもしますが、本当でしょうか? あと、どの歴史上の人物でもよいので血液型を知っている方は教えてください。 個人的には、三国志の時代、戦国時代の武将や幕末の志士たちに興味ありますが、その他の時代の人物の血液型でもいいです。 よろしくお願いします。

  • 影武者について質問させて下さい

    閲覧ありがとうございます。 影武者についてなのですが、少々気になる事があり質問させて下さい。 戦国武将などは自分に似ている人間を影武者にしたと言いますが、伊達政宗のように目を失明したなど外見上特徴のある武将の影武者は、その武将と同じ様な状態にさせられてから影武者になるのでしょうか。 それともその状態を偽る(政宗の影武者なら健全な右目に眼帯をする)程度だったのでしょうか。 漫画の第三の男を読んでいて浮かんだのですが、分かる方は宜しければご教授頂けないでしょうか。 宜しくお願い致します。

  • 伊達政宗についての読み物を教えてください

    最近、伊達政宗に興味を持ち始めました。 そこで伊達政宗を扱っている書物を色々と読んでみようと思いました。 史実に忠実なものから、彼を題材にしたパラレル作品など、どんなものでもいいので皆さんが知っている本を教えてください。 漫画、小説問いません。 とにかく幅広くいろんな本を読んでみたいと思っています。 皆様のおすすめ、もしくはまだ読んだことはないけど、評判がよくて読んでみようと思っている作品など、どんなものでもいいので教えてください!

  • 小学3年生向きの日本の武将の文庫本を探しています。

    ”改計版 講談社火の鳥伝記文庫”で武田信玄、伊達政宗はあったのですが上杉謙信や真田幸村などはありませんでした。こちらでも小学3年生が読めるのであれば良いのですが武将の種類が少ないのです。 探している本の条件としては漢字にふりがなが降ってある。別巻で色々な武将のシリーズがでている。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は既に読破しているのでこれらは除く。小学3年生向きの日本の武将の文庫。宜しくお願い致します。

  • 大河ドラマでの武将の発音

    大河ドラマ天地人がやっていますが、それに限らず発音についての質問です こういった歴史ドラマでは大坂を「おおざか」と発音することが多いことはみなさんもお気付きだと思います ですがおおさかをおおざかと言うのであれば武将の間違った発音はどうして直されないのでしょうか? 伊達政宗の発音は「だてまさむね」ではなく「いだてまさむね」が正解のはずです この「いだて」というのは一般的に知られていませんがこれが当時の正式な発音であることは記録からも確かです なぜこのように統一性のないごっちゃの発音にしているのでしょうか? ここまでが質問ですあとは質問に至るエピソードなどです 最近は改善されていますが他にも 「あざいながまさ」が「あさいながまさ」 「さっさなりまさ」が「ささなりまさ」 25年前の歴史の授業では後者の発音で教えていました ちなみに私は25年前に国語の授業だか歴史の授業で「いだて」が正しいと主張したところ先生はその事実すら知らず私の主張は受け入れられませんでした、今のように資料が豊富でなかった時代ですので証拠を提出することが困難でした 15年くらい?前の進研ゼミのCMだったと思いますが島田伸介さんが伊達政宗を「いたちまさむね」と答えるシーンがあったと思いますが、これを「だてまさむね」と回答させることが正解なら「いたちまさむ」でもいいのでは?と疑問にも思いました。(どちらも間違いであり正解でもあるのですから) 教養のない親にはなりたくないというニュアンスを含めたCMだったと思うのですがそれがあまりにも滑稽だったような記憶があります

  • 女性武将

    歴史上で女性の武将って存在したのでしょうか。 くの一のような存在はいたと聞きますが、公に戦場に出て 他の男性武将とともに戦った女性はいるのでしょうか。 もし存在したなら、お名前などは残っているのでしょうか。 それと、武将とは別に武を学んでいた女性、たくましかった女性も 教えていただけると幸いです。

  • 3大武将はいつ頃から天下人を夢見たのか

    horagaiです。お世話になっております。 戦国の3大武将、信長・秀吉・家康が天下人への野望を持つようになったのはいつごろなのでしょう。 信長の場合はおそらく最初からだと思いますが、秀吉・家康が最初から天下人になることを夢見ていたとは思えません。 秀吉の場合は山崎の戦あたりからでしょうか。清州会議での手際を見るとそのころにはすでに天下人への野心を持ちはじめていたように思えるのですが。家康の場合は小牧・長久手の戦での引き分け勝負あたりからでしょうか。 またこの3人以外にも天下人への野望を持っていたと思われる武将は誰でしょうか。戦国武将がすべて天下人を夢見ていたわけではないと思います。毛利、島津、上杉などは有力ではあってもあまりそういう願望はなかったように思えます。 私の考えでは、竹田信玄・伊達政宗・黒田官兵衛あたりは野望を持っていたように思いますがいかがでしょうか。