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オツベルと象 最後の言葉の意味は

宮沢賢治のオツベルと象は凄く好きです。 でも最後に「おや(一文字不明)川へはいっちゃいけないったら」で終わりますが、この言葉がよくわかりません。どんな意味が隠されているのでしょうか? それと「川へ入っちゃいけない」のか「川へは行っちゃいけない」のかどちらでしょうか?

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回答No.1

「オツベルと象」はいいですね。 宮沢賢治については「永訣の朝」という詩もとても良いのでもし良かったらどうぞ。 で、ご質問についてですが、このお話しの一番最初に、「ある牛飼いが物語る・・・」とありますよね? ここから推測するに、その「ある牛飼い」は子どもか、はたまた自分の牛か、とにかく誰かに話しをして聞かせていたと思うのです。それで、その話を聴いていた子ども(牛)が退屈して川へ入ったためにそれを咎めた、という解釈はどうでしょうか。実際、学校の授業等でもこのように教える場合が多いようです。 つまり、読者を物語の世界から再び現実の世界へ戻したわけです。 私はこう解釈していますが、とにかく文学作品の答えというのは1つではありません。あくまで一人の考え方として参考にして下さい。

HPLC
質問者

お礼

ありがとうございます! なるほど気が付きませんでした。 とても自然な解釈で私もおそらくそれで合っているような気がしました。 >とにかく文学作品の答えというのは1つではありません。 そうか~違う解釈があったら凄く面白いし、また違った感情とか新たな世界が生まれてきそうで、なんだかワクワクしますね。 教えていただいて感謝します。 でも(一文字不明)っていうのもちょっと気がかりなんです。 なんなのでしょうか。

その他の回答 (1)

回答No.2

牛飼いが野原で子供たちにお話しをしているというのが自然な解釈で、私もそうだと思います。 (1)川へ入っちゃいけないたらで終わる不思議さ (2)この文の対象部分がなぜ1字不明なのか ただ、この物語には腑に落ちないところが他にもあって謎がなぞを呼ぶような楽しさがあります。 (3)突然「赤い服の子供が登場する」不思議さ。象と仲間を結ぶ通信使は何かの比喩か。 (4)殺人を肯定するはずのない賢治が、象を助けるために来たほかの象たちが殺人を犯すように描いたのはなぜか。 (5)助けられた象が大喜びせず、「さびしそうに」笑ったのはなぜか。 資本家と労働者と正義と暴力(戦争)について強い示唆を感じます。 読み手の自由な解釈が楽しさを広げると思います。考えると興味が尽きません。

HPLC
質問者

お礼

ありがとうございます。 ふむふむ、そうですね~。読み手が色々と想像させられるんですよね。 なんだか凄く魅力を感じる文章なんですよね。 あと私が凄く感心する部分は擬音語というのでしょうか。のんのんのんのんとかグララアガアとか。誰も思いつかないような擬音。でもそれが妙に説得力がある擬音に感じます。 あと象がサンタマリアと祈ったりするところとか・・・ とてもシュールな感覚に襲われます。 それが凄く魅力的で一気に読んでしまうんですよね。

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