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ドラマ「女王の教室 天海裕紀さん主演」 と民主政治の危惧

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/zipzap/freetalk/20050810et08.htm などを読んでみました。大人の世界の現実は厳しいから、子供のうちから弱肉強食の世界を味わっておくことが必要です。と言う教訓を伝えようとしているドラマにも思えましたが、このような教育は、子供に試練を乗り超えさせ、成長させようとする親心もあるかもしれません。ですが、私は、このような対応は、過去の歴史にある  「上様、ははーっm(_ _)m」 の時代に引き戻してしまう危惧があるようにも思えます。 民主主義を守るための理想的な教育方針について教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • rettynna
  • ベストアンサー率14% (28/200)
回答No.10

「女王の教室」みてますが、小学生の子を持つ親としては生徒にこびうる先生よりもはるかに良い先生に思えます。 実際に、何か問題が生じたときに子供を守れるのはどちらの先生でしょう? 1年生ならいざ知らす、6年生で授業中にトイレに行きたいと言い出す、携帯電話等不要なものを持ってくる子供のほうが悪い。それを許す親も馬鹿。ルールを教えるのも教育です。 いじめは昔からありましたが、結局は「自力で」乗り越えないといじめられることはなくなりません(いじめられた経験者です)。 先生が「いじめは悪いから止めましょう」なんて言えば収まるとは思えません。 そこまでやるか?と生徒のプライバシーを調査してるのはやりすぎという思いもありますが、逆に「塾をサボって中学生とデート」「学校サボり」「万引き」が許されることですか? 機会平等であって結果平等ではないでしょう?民主主義の教育とは。 運動会でみんなで手をつないでゴールとか「数名いる白雪姫」(ひとりにすると不公平だと!)。 都会では、「塾が忙しいから宿題を出さない」小学校もあるそうで=友達が嘆いていた。 うちは田舎なのでまだ公立がしっかりしていますが、教科書の薄さに驚いてます。 少なくとも義務教育の間は「読み書きそろばん」は強制的に叩き込むものだと考えてます。 身に付けていなくて困るのは誰ですか?先生ではありません。 >「上様、ははーっm(_ _)m」 会社勤めすればわかります。上司に逆らうとそれが正しいことでも左遷されます(苦笑) 理不尽なこともあると教えるのも教育です。 逆に「ゆとり教育」自体が「上様」を生じさせてますよ。一部のエリートに使えるためにあとは九九もできない愚民で充分だそうです。 http://homepage2.nifty.com/sansihiroba/sub32.htm http://www2.ocn.ne.jp/~kokyoso/newpage3.htm

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがとうございます。 ぜひ、参考にしたく思いました。ですが、最適な教育方針を示すことは、本当に難しいことだと思います。 私の教育方針についての案を一つ示したいと思います。 まず、人間の成長状態を次のように分類します。  レベル1.動物レベル(欲求に赴くまま行動する)  レベル2.自分で物事の善悪を判断しようとするレベル 一般的には、人間はレベル1の状態で生まれてくると考えます。しかし、生まれてから経験の蓄積によってレベル2の状態に変化していく可能性があります。 民主主義を守る基本的方針としては、  1.各自をレベル2に変化させる  2.レベル2の状態を維持する ことが必要だと思います。このような観点で被教育者(=生徒)への接し方を決めるべきではないかと思います。 これは、私の一つの考えですが、もっといい考えなどを教えてほしく思います。

その他の回答 (9)

  • umigame3
  • ベストアンサー率27% (13/48)
回答No.9

No.6です。 ちょっと補足させて下さい。ちょっと表現が良くなかったと思いますので・・・ >常に民主主義の制度は危険に晒されていると思います。 >教育のあり方を考える上で、民主主義との関連を考えることは重要なことだと思います。 100%おっしゃる通りです。 例えば、現在のイラク戦争も含めて、アメリカの戦争は常に「自由と民主主義を守る戦い」であり、戦いに倒れた兵士たちは「平和のための尊い犠牲者」とされています。 彼らが守っているのは『民主主義』そのものなのです。 現代の『民主主義』に対する大きな脅威とはテロ活動そのものになります。 歴史的にも、人類が民主主義を獲得するまでに凄まじい量の血が流されてきました。 それほどに民主主義とは尊い物であると思います。 これを教えるのは実のところ中々に困難なものです。 おそらく歴史を本質から見極めなければこの尊さは判らないでしょう。 突き詰めるところ、教育とは『自由と民主主義』の中での生き方なのでしょうね。

SariGEnNu
質問者

お礼

せっかく貴重なご回答をいただいたのに、お礼が遅れて申し訳ありませんでした。 >これを教えるのは実のところ中々に困難なものです。 おそらく歴史を本質から見極めなければこの尊さは判らないでしょう。 突き詰めるところ、教育とは『自由と民主主義』の中での生き方なのでしょうね。 そうかもしれません、国家の行う教育である以上、憲法に従うべきだと思うので妥当な結論だと思います.ですが、教育の考え方については、より普遍性を求める議論もあっていいとも思えました。色々難しいことだらけですが、これからも頑張っていきたいと思います。

  • okichan
  • ベストアンサー率11% (4/36)
回答No.8

子供に試練を乗り超えさせ、成長させようとする事には、賛成です。 ただ、女王の教室はあまりにも教論の身勝手さが出過ぎ、アレでは封建主義では無いでしょうか? 友達をかばった為に、雑用係にされたり、生徒を送って監視したり、見ていられなくなりました。

SariGEnNu
質問者

お礼

ご回答下さった皆様へ ご回答ありがとうございます。 そして、なかなか、返事ができなくてすみません。 私が一番恐れていることは、女王の教室にあるようなことが正当化されてしまうことです。子供に現実を教えると言うことは、それなりに意義のあることだと思いますが、現実の状況を正当化し、甘んじて受け入れるようなことは、決してないようにする配慮が必要だと思います。

回答No.7

「女王の教室」を見ていますが、権威・権力を持つ人の言いなりにならないよう自分たちで立ち上がるにはどうしたらよいか考えさせるために、あえて高圧的な態度をとる情熱のある教師と見ています。 あれも一つの教育のやり方だと思います。

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがとうございます。 私はこれを教育方針の一つと見ることは可能だと思いますが、この方針による結果については、慎重に対処する必要があると思います。たしかに、民主主義を守るためには、知識として理解するだけでは不十分かもしれません。 不断の努力と言われるように、それなりに苦労を伴うことを身をもって示す必要もあるように思います。 この教育方針については、研究が必要だと思います。

  • umigame3
  • ベストアンサー率27% (13/48)
回答No.6

民主主義を守る為の教育・・・という表現にチョット引っかかります。 ちなみに、ドラマの事は知りません。 社会主義VS民主主義というイデオロギーはもはや前世代のものなので 敢えて言うなら、「自由競争社会」で子供を如何に教育するか・・・だと思います。 子供たちに競争が存在している事は隠す必要も無いし、だからと言って、他人を思いやる気持ちを失う事も許されません。 私自身は 『良い事は良い。悪い事は悪い。その中で自分で一生懸命努力し、自らの意思で正々堂々と戦え!!』 が理想と思っています。 まるで戦前の教育みたいですが、やはり本質だと思います。 当たり前の事を当たり前に判断し行動出来るように育てたいです。 ちなみに、社会の流れを考えると、貧富の差は今後歴然となるはずです。 一億総中流社会はもはや出現する事は無いでしょう。 さらに、少子高齢化から日本の国力は益々減少します。 2100年には日本の人口は6000万とも言われています。 この意味は・・・・日本語を話す民族が全世界に6000万に過ぎない・・・と言う事。 少数民族とは言いませんが、マクロ的に見ると日本の経済的繁栄を維持するのは至難の技です。 親としてこのような状況下を想定し、どのような教育を施すか。。。も結構重要だと思います。 一方、『ゆとり教育』などと言われる寝ぼけた政策により 比較的裕福な家庭とそうで無い家庭との間に、教育水準の変化が出ています。想像以上に子供達が小さな頃から格差が生じつつあるのです。 生物の生きる根源は「生存競争」にある・・・というのも事実です。 如何なる競争にも立ち向かう気力は必要だと思います。

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >社会主義VS民主主義というイデオロギーはもはや前世代のものなので敢えて言うなら、「自由競争社会」で子供を如何に教育するか・・・だと思います。 日本国憲法にもあるように、民主主義はいったん成立させれば、安泰と言うものではないと思います。常に民主主義の制度は危険に晒されていると思います。それらから民主主義の制度を守っていくためには、不断の努力が必要だと思います。それは、教育という面からもあると思います。ですから、教育のあり方を考える上で、民主主義との関連を考えることは重要なことだと思います。

  • mn214
  • ベストアンサー率23% (306/1302)
回答No.5

再び#1です。 私は単なる一般人ですので素人の考えでしかありませんが、子供達の将来に各々の夢を持たせることが大事なのかと思います。 例えば、歌手、俳優、映画監督、宇宙飛行士、最近流行のIT企業の社長、プロ野球選手、サッカー選手、等々。 子供の頃、誰でもそうした夢を見ますが大きくなるに従ってだんだん自分には縁の無いものとあきらめ、次第に現実に則した道を進むことになり、結局は普通の会社員になってしまう人がほとんどなのかと思います。 しかしながら、現実に野茂やイチローのようにメジャーリーガーとして活躍したり、サッカーでも日本代表はW杯に参加できる程の実力になっていますし、オリンピックでも日本選手はメダルを獲っています。 芸能界でも何かのきっかけで大ブレークするような人もいます。 一代で会社を興して大会社に育てた社長さん達もいます。 そういう人達は決して特殊な訳では無いのだと思います。 人には何かの能力があって、その能力に適することを見つけることのできた人達が第一線で活躍しているのだと思うのです。 例えば、スポーツの得意な人が子供時代に野球を始めて、高校野球で活躍して順調にプロ選手になったとしても、1軍に上がることなくやがて引退する人も多い筈です。 その人は、もしかしたらサッカーやゴルフの道に進んでいたら世界有数の選手になっていたかもしれません。 芸能界に憧れて歌手になった人が、結局売れずにパッとしなかったのに、俳優に転向してから演技派の俳優として成功するような人がよくいます。 自分の向き、不向き、能力の有無と自分の選んだ道が少しズレている人がほとんどなのかと思うのです。 大人になってしまうと今更将来のことなどと云ってられないですが、子供達にはどんな将来も進む可能性が開かれているのだということを夢を持たせてあげることが必要なのではないでしょうか。 そのために子供時代は勉強やスポーツや芸術など何にでも一生懸命トライして、自分の得意分野を見つけることが必要なのだと思います。

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがとうございます。色々考えさせられました。 私は、社会の目的に適合しない能力は開化すべきでないという主張をしましたが、この考え自体は、今でも私自身正しいと思っていますが、実際これをどのように運用すべきかと言うことについては、ほとんど何も分かっていません。仮に指導的立場の人が開化すべき能力そうでない能力というものを判断するとなると、かえって深刻な問題を引き起こす可能性があるように思えます。まだ、制度的保証として、無制限にしておく方がましなのではとも思えますが、よく分かりません。 >自分の向き、不向き、能力の有無と自分の選んだ道が少しズレている人がほとんどなのかと思うのです。 大人になってしまうと今更将来のことなどと云ってられないですが、子供達にはどんな将来も進む可能性が開かれているのだということを夢を持たせてあげることが必要なのではないでしょうか。 これについては、適正な動機付けをどのようにすべきかという問題としてまとめることができるかと思います。

  • mn214
  • ベストアンサー率23% (306/1302)
回答No.4

再び#1です。 子供の教育はどういうものが的確なのか私には解りませんが、勉強ができて成績の良い子はそれなりに評価されます。 成績が悪い子(勉強の苦手な子)でもスポーツが得意で、かけっこで1番になる子もいます。 将来大きくなった時に勉強で成績の良かった子は医者や大企業の研究者や企業家や弁護士等になれる可能性があり、スポーツの得意な子はプロ野球選手やサッカー選手やオリンピック選手になれる可能性があるのかと思います。 子供の内からスポーツであれ、勉強であれ、成績の良い子をきちっと評価してあげることが大事なのではないでしょうか。 そういう意味で運動会に順位をつけないという学校の姿勢には疑問を感じます。 勉強だけが大事で運動選手には意味が無いといっているみたいに思えるのです。 人には各々得意なこと、苦手なことがあるかと思います。 今まで日本の教育は、“苦手なことを克服して何でも平均的に力をつけなさい”ということが勧められてきたと思いますが、本当は苦手分野は仕方ないとして得意分野をより伸ばす方がもっとその子が高いレベルに伸びるのではないでしょうか。 1000人の平均的な凡人が集まっても何も生まれませんが、1人の天才的な人間がいれば、その人が会社を起こして上手くいけば残りの999人を雇うことができ、全員がそれなりに幸福になれると聞いたことがあります。 潜在的な能力のある人が、充分にその能力を発揮できるように育てられるような教育環境が良いのではないでしょうか。

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >そういう意味で運動会に順位をつけないという学校の姿勢には疑問を感じます。 そうですね、いろいろな可能性を秘めている子供の能力をきちんと評価することやそのような姿勢を持つ必要はあるように思えます。 >人には各々得意なこと、苦手なことがあるかと思います。 >今まで日本の教育は、“苦手なことを克服して >何でも平均的に力をつけなさい” >ということが勧められてきたと思いますが、 >本当は苦手分野は仕方ないとして得意分野を >より伸ばす方がもっとその子が >高いレベルに伸びるのではないでしょうか。 多分、一般的には、そうだと思います。私も義務教育においても、子供の能力を平均化すべきとする理由はあまりないと思います。各人にあった能力の開花をしていく方がより望ましいと考えています。(個別対応よりも)平均化を目指そうとするのは、教育する方の側にとってみれば、楽なことかもしれませんが、それで妥協してはいけないと思います。これからは、集団画一的方式の教育から個別対応方式にシフトしていくべきだと思います。 >潜在的な能力のある人が、充分にその能力を >発揮できるように育てられるような教育環境が >良いのではないでしょうか。 ですが、教育の目的は能力の開花と言うことだけではないと思うんです。私は、むしろ社会の目的に適合しない能力は開花すべきではないと考えています。ですが、だからと言ってじゃあ、教育方針をどうすれば良いんだと突っ込まれると具体策がなく、つらい所を突つかれたという感じです(^^;)。その辺について、ぜひご教授を求めています。

  • nourider
  • ベストアンサー率19% (396/2083)
回答No.3

テレビドラマは良くも悪くも時代を反映しますからね、僕は面白いと思って見てます。 僕は学校での子供の本分は学業ではなく、社会生活のシュミレーションだと思っていますから目の前の問題(怖い先生)をどう対処するかに腐心する子供たちを見ていて「これもある種の教育」の一環ではないかとすら思います。 だから運動会の徒競走で順位を付けないという変な民主教育というものに大いに疑問を感じています。私は足が遅かったです、運動会は嫌いでした。でも他に得意分野がありましたから特に劣等感を募らせることもありませんでした。その様に他に得意なことがなく運動会だけが楽しみな子供も居るのですからその子の楽しみを奪うようなことは可哀想だと思います。何かにつけ算数が得意、絵が上手、楽器が上手などそれぞれの得意分野を褒めてあげればいいと思います。 学校というのは(特に義務教育は)実際の社会に出て理不尽な問題にぶちあたっても上手にかわせる様にする生活の知恵をつける場だと思っています。

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >学校での子供の本分は学業ではなく、 >社会生活のシュミレーションだと思っていますから >目の前の問題(怖い先生)をどう対処するかに腐心する >子供たちを見ていて「これもある種の教育」 >の一環ではないかとすら思います。 私は、教育の専門家でないので、正しい説明をしている自信はありませんが、子供を単に社会に適応できる様に育てることだけが教育の目的ではないと思います。とはいうものの社会に適応して生活できる能力を身につけることは必要だと思いますが、現実社会には、様々な問題点や欠陥があると思います。それらにきちんと取り組めるような教育が必要と考えています。これは、単に当人がその場を上手く乗り切れば良いとかのレベルの話ではなく、根本的に問題そのものを解消できる能力・2次拡大しない能力なども含みます。その為には、様々な知識や人格の形成は不可欠だと思います。教育内容もそのようにコーディネートする必要があると考えています。社会生活に適応できるというだけでは、単に要領のいい人間に過ぎず、例えば、単に私腹を肥やしてロクスポ公務に貢献しているとは思えないどころかかえって国民に迷惑かけ放題の官僚や政治家もその例になる人間に思えます。 >運動会の徒競走で順位を付けないという >変な民主教育というものに大いに疑問を感じています。 順位を付けることを否定までするつもりはありませんが、私は、普通(義務)教育の範囲で子供の運動能力の開花ということについて、そこまで積極的にならなければいけない理由が見出せません。私の義務教育における体育科目の考え方になりますが、義務教育の体育科目の目的はスポーツ選手の養成ではないと思います。体育科目の目的は健康な精神と身体の育成とすべきだと考えています。

  • bigskull
  • ベストアンサー率23% (112/479)
回答No.2

>民主主義を守るための理想的な教育方針 現行では、国の権限が強すぎます。 教育委員会制度の改革や学習指導要領の改訂、オンブズマン制度など、方法はいろいろあると思いますが、地方や学校、保護者や市民の影響力を強めることだと思います。

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがとうございます。教育制度の見直しも根本的に必要であるように思えました。bigskullさんからはNHK改革の質問のときにも回答してくださったと存じ上げています。私は、教育問題と報道権にも密接な関わりを考慮すべきと思っています。これからもアドバイスとご指導のほどよろしくお願いします。

  • mn214
  • ベストアンサー率23% (306/1302)
回答No.1

私も“女王の教室”は見ています。 理想的な教育方針という大それたことは解りませんが、現実に最近の学校によくある、“運動会で順位をつけない”といった配慮は間違った考えだと思います。 ドラマの中で主人公の先生は、“子供には善悪の区別がまだつかないから回りの大人達がしっかり教えることが大事だ”みたいなことを云っていました。 最近では、子供を腫れ物に触るみたいにあまりに大事にし過ぎて、悪いことを注意したり怒ったりする親が少ないから、大きくなっても善悪の区別が自分でできない若者が多いのかと思います。 “子供の人権”などと言う前に子供を一人前の人間に育てることが大事なのかと思います。 その為には、何でも吸収することのできる子供時代にもっと厳しく躾することが、後々大人になってからその子のためになるのかと思います。

SariGEnNu
質問者

お礼

ありがうございます。私は、残念ですが、女王の教室を見てませんが、サイトでどういうドラマなのか大筋を知ることができたと思います。 >“子供には善悪の区別がまだつかないから回りの大人達がしっかり教えることが大事だ” この考えは私も基本的に賛成です。ただ、問題は何かと言うと大人は善悪の区別をきちんとつけて、子供に正しく教えているのかというと必ずしもそうは言い切れないと思います。というより常に正しいと言うことなんてまずありえないと思います。子供であろうと大人であろうと様々な情報や経験を入力して、結局は自分で物事の是非を判断しているのだろうと思います。最近では、親の方が子供に対して間違って接したために大事件になったこともあると思います。子供の躾も疎かにできない大切なことだと思いますが、大人も社会全体で躾ていく必要があるんだろうと思っています。 >“運動会で順位をつけない”といった配慮は間違った >考えだと思います。 確かに差別はよくないと言われますが、現実は、区別は必要だと思います。ですが、小学校の運動会の徒競走くらいで順位をつける必要があるかどうかと言われるとどちらでもいいようにも思えます(子供の運動能力を競うことを目的とせず、みんなで楽しく運動しましょうの趣旨であれば記録をつける必要性はさほどないようにも思えましたので←すいません、あまり気にしないでください)。。。ですが、やはり、小学生と言えども学業は本分なのでテストの点数や成績をきちんと記録することは意味のある必要なことだと思います。また、勉強しない・社会にそぐわない行為ばかり取る人は子供だろうと大人だろうと社会集団の中でその人の価値を認めることは一般的に難しいと思えます。価値を認めることができない人に厚遇を与えることも難しいというのは当然の考えだと思います(現在の官僚や政治家は価値があるかどうかに関わらず厚遇に恵まれている)。その点から考えた場合、天海先生の教育方針は間違ってない様にも思えました。ですが、私は、本来は、他の熱血ドラマにもあるかもしれませんが、人間の価値は成績や集団内の貢献度だけで判断すべきではない様にも思えます。

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