• ベストアンサー

近代科学の祖、および、宗教に関する質問

現代の視点では、科学と宗教は相対立する側面が大きいように感じるのですが、西欧において近代科学が発展して来た過程においては、宗教的思索と切っても切れない関係があったと聞きました。それで、近代科学の考え方が、どのような宗教的な考え方から育って来たのかを知りたいのですが、そのような視点で書かれた本がなかなか見つかりません。もし、ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。 また、「近代化科学の祖」あるいは「近代科学の父」などと呼ばれる人物はいるのでしょうか?たとえば、フランシスコ・ベーコンなどは、そういう位置づけになるのでしょうか? よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.7

>近代科学の考え方が、どのような宗教的な考え方から育って来たのかを知りたいのですが、 えーと、確か3つあるんですよ。 神による創造という思想から、 1)最適化、理想化の原理 2)不滅、保存の原理 3)自然発生の否定・・・だったかな? 1)神はこの世を理想的に対称的に創造された  というものです。旧約聖書の冒頭、  創世記で、神は光を創り、闇を創り・・・  天を造り、地を造り・・・水で大地を分かち・・・  と何でも対称的にバランスよく創っていることが  分かるんです。  コペルニクスが地動説を唱えながらも、惑星の  円軌道にこだわったのはこのためです。  プラスの粒子が発見されればマイナスの粒子も  あるはずだという考えは、この対称性の考え  から来ています。いまだに実験で証明されて  いない超対称性の理論というのを多くの学者が  追っているのもこのためです。 2)無から何かを創る創造と、それを無に   戻す完全な破壊は神にしかできない   物を燃やすと少量の灰を残して殆ど   なくなってしまいますが、人間が完全なる   破壊などできるわけがないという思想から、   目に見えなくなってもどこかに形を変えて   存在しているはずだという考えが生まれ、   質量保存、エネルギー保存の法則が生まれ   ました。   この保存という考えを信じていながら、   無から突然莫大なエネルギーが生まれ   それが元で爆発的に今の宇宙が生まれたと   いうビックバン理論も信じているのは、   それが神がこの世を創った、創造という   行為そのものだからです。 3)人間と同様に自然も何かを創り出したりしない  2)と少し重なりますが、創造できるのは神だけ    ですから、全くの無から何かが自然に発生    することはないはずという思想が生まれ、    何事にも発生原因があるはずだという考えから、    病気にはその病気を引き起こす病原菌が存在    していることを見つけ出したわけです。 >また、「近代化科学の祖」あるいは「近代科学の父」などと呼ばれる人物はいるのでしょうか?  見方により違いますが、自然の原理を幾何学に  求め、観測データから客観的に惑星の楕円軌道を  指摘した、ヨハネス・ケプラーが近代科学の父  と言えるでしょう。ニコラウス・コペルニクスが、創世記の  記述から惑星の円軌道の思想を捨て切れなかった  のを、ケプラーは完全に捨てることができた  わけですから。 >フランシスコ・ベーコンなどは、そういう位置づけになるのでしょうか?  フランシス・ベーコンは、実験による実証という思想 を広めた人だと言われていますが、ご本人が科学の 発展に大きく貢献したわけではありません。  ベーコンの影響を受けた一人に、アイザック・ニュートン がいます。彼は実験で証明できないようなことを 聞かれると、「私は仮説を立てない」といって 安易に想像したりしないようでしたが、 自分の作った式から、運動には初期値が必要と なったとき、「惑星はどうやって運動を始めた のか?」と聞かれ、「神の一撃により惑星は 運動を始めた」と答えてしまったと言われて います。  神離れをしたケプラーから一歩後退して しまったんですね。  19世紀に、フランスでニュートンの力学を 数学的に見直そうという動きがあり、ラプラスが 「天体の力学?」とかいう本を出して、 時の皇帝ナポレオンに献上しています。 ナポレオンはラプラスに「この本は、天について 語っているのに、神の話が出てこないようだが」 と言ったといわれ、それに対してラプラスは 「そのような仮説は必要ありません」 と神の存在を否定したと言われています。  

kobarero
質問者

お礼

ていねいな回答をいただき大変ありがとうございました。 (1)対称的というと私はすぐ中国の「陰陽思想」を思い出してしまいますが、確かに西洋でも同じ発想があったんですね。 (2)神以外は新しく生み出すことも消滅させることもできないはずだから、エネルギー保存が成り立つはずという思考プロセスはおもしろいですね。 (3)因果関係の存在に関する信念みたいなものでしょうか? 色々ヒントをいただいたので、これからまた考えてみます。

その他の回答 (7)

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.8

>どのような宗教的な考え方から育って来たのかを知りたいのですが、そのような視点で書かれた本がなかなか見つかりません  以前に読んだ本なんで内容に記憶違いがある かもしれませんが、以下の本が参考になると 思います。 (1)「物理学と神 」 集英社新書 池内 了 著 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087201740/qid=1120860920/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-4394699-5141160  また、近代科学と宗教の関係についての議論は、 20世紀初頭に女性学者のドロシースティムソン が書いた論文が切欠と言われていて、 私もここGooで以前に質問したことがあります。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=535535  近代科学は、16、17世紀ころ基礎が 出来上がりました。  実験、観測による証明。 哲学に数学を持ち込んだ、現在、物理学と 呼ばれている学問の台頭。国家規模による 高精度の天体観測の開始。(イギリスの グリニッジ天文台ができたのがこのころです) ・・・ こういったものが16、17世紀ころに まとまっていて、政治的にはイギリスの 王の失脚とその後の王政復古。そして宗教的には 清教徒革命の時代と重なるんです。  このあたりの研究者として、マイケル・ハンターと いう方が有名です。少し専門的にお知りになりたければ 以下の本がお勧めです。 (2)「イギリス科学革命」―王政復古期の科学と社会 マイケル ハンター (著) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4816502394/qid=1120862950/sr=1-1/ref=sr_1_8_1/249-4394699-5141160 以下、この本の目次です。 第1章 王政復古期の科学―その性格と起源 第2章 王立協会の意義 第3章 科学共同体 第4章 科学の有用性とその諸問題 第5章 政治と改革 第6章 科学・学問・大学 第7章 無神論と正統派信仰 7章あたりが参考になるのではないでしょうか。  また科学の歴史を幅広く研究した研究者として、 科学史家、トーマス・クーンという人が有名で、 以下の本がお勧めです。 (3)「コペルニクス革命」―科学思想史序説 講談社学術文庫 トーマス・クーン (著) 以下、その目次です。 第1章 古代における2つの球の宇宙 第2章 惑星の問題 第3章 アリストテレスの思想における2つの球の宇宙 第4章 伝統の改鋳―アリストテレスからコペルニクス革命へ 第5章 コペルニクスの革新 第6章 コペルニクス天文学の理解 第7章 新しい宇宙  (1)が読みやすく、比較的薄い新書本で、 (2)は難しい文章はないものの、分厚い テキストサイズ。(3)は文庫本ですが、 分厚く、古代の宇宙論や、天体観測の 方法、道具の説明など、具体的でこまかく ちゃんと読もうとすると大変ですが、 近代科学への変革期がよくわかる 内容となっています。  

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087201740/qid=1120860920/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-4394699-5141160
kobarero
質問者

お礼

関連書籍をご紹介いただきありがとうございました。 また、各書籍の目次を併記していただいたので、内容の見当が付けられ大変役に立ちました。

  • tkr1977
  • ベストアンサー率20% (80/395)
回答No.6

こんばんわ。 >近代科学の考え方が、どのような宗教的な考え方から育って来たのかを >知りたいのです 「神」の研究を突き進める結果、様々な事象が科学的に証明できるようになり、科学の進歩に貢献したのです。 天動説vs地動説の話が先にあげられていますが、あれも、地動説を否定しようした天動説派の人々が研究を進めていった結果、逆に地動説が正しいことを証明するに至ってしまいました。 「皮肉な結果」と言ったら怒られます。。。か?

kobarero
質問者

お礼

私は「陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となる」と思っていますので、大変納得させられるものがありました。 ありがとうございました。

  • hw4183
  • ベストアンサー率17% (15/86)
回答No.5

日本ではあまり知られてませんが、 元々の源流はヘルメス思想です。ヘルメス信仰としてギリシャ、エジプト、から西洋に流れ込みました。錬金術の元になっているのがヘルメス文書として残っています。 ヘルメスは実在の人物で、4300年前ギリシャのクレタ文明をつくりました。西洋文明の礎となった偉人、賢人はヘルメス思想をかなり学んでおり合理主義的思想と神秘思想の融合が、科学、経済、医療、政治、芸術など、大きな影響を残しています。 西洋文明の精神的支柱、キリスト教は心の教えだけでしたが、ヘルメス思想によって資本主義の基盤となり、商業教育にも取り入れられました。日本でも明治以降ベルギーなどで学んだ人材が全国の商業学校で活躍しました。 「ヘルメス主義の観点から、西洋精神史の全体像を再構成し直す必要がある」と湯浅泰雄桜美林大名誉教授の解説もあるほどです。 是非、研究なさったら面白いかもしれませんよ。

kobarero
質問者

補足

うわー.....資本主義の基盤になり、商業教育にまで取り込まれるとは.....4300年前のヘルメス思想、恐るべしですね! ご回答ありがとうございました。

noname#17334
noname#17334
回答No.4

>現代の視点では、科学と宗教は相対立する側面が大きいように感じるのですが、 有識論や道教の立場と、先端科学が行き着いた「物質観」はとてもよく似ています。 シュレーディンガーや、ラプラスの研究では、精神と物質が結びつく哲理まで言及されて まるで宗教書のようです。 一方、宗教の親戚筋である「オカルト」は常に科学の異端であると同時に先端でも あり続けたわけで、超伝導だの再現性のない科学はいまだにその境界を浮遊しています。 科学とは、再現性において多くの人が信じるに至った宗教のようなものです。 誰も雷以外に「電気」を見たことはないにも関わらず、電磁波の理屈が電子工学を発展させて 再現性のうえに「技術の信念」を確立してしまったという見方もできます。 科学はいうなれば、納得できる共同幻想。 >西欧において近代科学が発展して来た過程においては、 >宗教的思索と切っても切れない関係があったと聞きました。 ニュートンがフリーメーソンの一員であったことは有名です。 >それで、近代科学の考え方が、どのような宗教的な考え方から育って >来たのかを知りたいのですが、そのような視点で書かれた本がなかなか見つかりません。 ニュートンが書いたプリンピキア のなかに、、「自然は常に単純であり、常にそれ自身に倣うもの」という 主旨の記述があります。 つまり彼は、神の真理に近づくために自然の原理を究明したわけです。 >また、「近代化科学の祖」あるいは「近代科学の父」などと呼ばれる人物はいるのでしょうか? デカルトなどとならんで、従来の神学の解釈から離れ、自然の哲理から学ぶ姿勢を示したのが フランシス・ベーコンですね。 中世ヨーロッパにはそれまでのスコラ哲学というのがあってキリスト教の教義を理性的に論考 することで、信仰と理性を統合しようとしていたわけです。 基本的に長くやっていればなんでも権威主義と腐敗に染まるわけで、デカルトは そういう偏見や独断に意義を唱えて、直感と演繹による新たな思惟の方法を編み出した わけですね。 ともかく、古いカソリックとテンプル騎士団の流れを汲む真実の正当派の戦いでもありますから いいかげんなまやかしをすべて疑ってかかるわけで その結果、疑う自分を疑ったたら立つ瀬がないということから、 我思う故に我あり ということに、してみたわけですね。 しかし厳密に言えば 我思うと我思う、故に、我ありと我思う というのが正解なんで、 我アリと思う事実が思惟にすぎないということは、何故かほっぽっているのですね。 デカルトは、そもそも精神と物体とを互いに独立の二実体とする二元論をつくって しまったわけですけど、これは従来の 啓示の権威を無条件に認めるスコラ哲学からみたら画期的な発想転換であったわけ ですね。 簡単に言えば、哲学を神学から分離させたから、自然科学も宗教から分離した。 それだけのことなんですが。そこから現在の科学文明に至るのに400年の歴史が あるわけですね。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 「自然は常に単純であり、常にそれ自身に倣うもの」と「神の真理に近づくために自然の原理を究明」の関係に大変興味を感じました。「それ自身に倣う」の所で、ちょっとひっかかってしまいました。「それ自身」とは「自然自身」という意味なのかな.....?そうすると、神が登場しないし.....「プリンピキア」を読めばわかるのかも知れないけど....なんか難しそうだな.... カソリックとテンプル騎士団、デカルトと二元論、スコラ哲学...などなど、色々ヒントを頂きました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

アルベルト・アインシュタインは「神はサイコロ遊びはしない」と言った言葉は有名だと思います。 >近代科学の考え方が、どのような宗教的な考え方から育って来たのかを知りたいのですが 全然詳しくないですが、ビッグバンの概念を最初に考えついたのはルメートルという牧師だったとか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%B3 直接は関係無いかもしれませんが。。。錬金術。 http://www.geocities.jp/yoshionoro/judio-christ-5-6.html http://www.geocities.jp/yoshionoro/judio-christ-5-13.html この賢者の石はダイアだとしたグループが、現在この世を握っているとかなんとか。 『天使と悪魔』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047914568/qid=1120565231/sr=8-2/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/250-7252700-3449854 宗教と科学の推理小説で、どこがフィクションでどこが史実にのっとっているのか、調べてみないとはっきりわからないのですが、出だしからのけぞってしまったスリリングな科学と宗教を両親に持つこの世界のお話です。 下巻の途中で犯人の予測がついてしまい、どうしてそういう行動をしたのか予測がついてしまいましたが、それでも最後まで一気に読めました。 ビッグバンは牧師が最初に考え出したというのは、この小説ではじめて知りました。 この世は相対するものが対になりできており、どっちもおしくらまんじゅうしているから、この世はなりたつものだと思います。 光だけだと色が無い。 闇だけでも色が無い。 宗教と科学。どちらが光でどちらが闇なのか、決定することはできません。 どちらかが光になれば、どちらかが闇になる。 光を消し去れば無になり、闇を消し去ればやはり無になる。 闇は無ではない とこの本を読んで思いました。 それと光も闇も神自身の本当の姿ではないかなってチラっと思いました。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 錬金術の話が書いてあるURL見ました。すごく興味わきましたが、「新プラトン主義」、「グノーシス」、「錬金術」がどう関連しているのか、もう少し根掘り葉掘り読み取れるものが欲しいです。 『天使と悪魔』私も読んだのですが、『ダ・ヴィンチ・コード』といっしょに立て続けに読んだので、ストーリーが混じってしまい、わけわかんなくなりました。でも、ヨハネ・パウロ2世か3世かが亡くなられ、小泉さんが「根競べでないよ。コンクラーベだよ。」とくだらない冗談を言っていたので、「コンクラーベ」だけは頭に焼きつきました。「デセプション・ポイント」も結構おもしろそうなので、丁度読み始めたところです。かなり科学yよりかな.... 天使と悪魔、光と闇....私は「物」と「精神」も段々区別がはっきりしなくなってきました。

  • keydaimon
  • ベストアンサー率28% (80/285)
回答No.2

特に、「神」という考え方ではないでしょうか。 例えば地球も、神が創ったのだから美しいはずだ、と。かの有名なアインシュタインも、量子論的考え方(=物質の存在は確率的にあらわされる)に対して「神はサイコロを振らない」と反論したといいます。 また、天動説VS地動説もそうですよね。有名すぎます(笑) また、いろんな考え方がありますが、近代科学の祖としてあまりにも影響力が大きいのは、やはり「ニュートン」ではないでしょうか。ちなみにニュートンは神学にも造詣が深かったんだそうです。 最後に、ピタゴラス。彼は、「万物は数である」と言い放ち、無理数をこの世から「ない」ことにし、自らがピタゴラス学派という宗教の教祖になったそうです。 学問自体が、実体の無いものですから、思想と深くかかわるのは当然かもしれないですね。(何か核となる考え方がないとやりきれない、というか信念がもてないのかもしれませんね)(-^^)b

kobarero
質問者

お礼

神が創ったんだから美しいはずだと考える。確かにそう考えると「○○の法則」のように比較的シンプルな数式で複雑な世界を表せるというのは、神の働きと見れるわけですね。 ご回答ありがとうございました。

  • liar_adan
  • ベストアンサー率48% (730/1515)
回答No.1

近代科学の祖といって思いつくのは、 アイザック・ニュートンです。 微積分と、重力の法則を発見したことで、 世界が理性によって解明できる可能性を示しました。 「ミスター近代科学の祖」にはいろいろ候補はいるでしょうが、 まず第一候補だと思います。 もっとも、ニュートンは実は錬金術に凝っていたらしくて、 「かれは最初の理性の世界の人ではなく、最後の魔術師だった」 というような言葉もあります。 (経済学者ケインズの言葉)

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%
kobarero
質問者

お礼

魔術と科学が未分化だったんですね。 ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 宗教の衰退についての質問です。

    大学の授業で宗教文化をとっているのですが ・宗教は近代化の過程で一方では衰退したが、他方では新たな形で生き続けている。後者の側面について、生活上の問題・苦難への対処について ・宗教が近代化の過程衰退したことについて、生活上の問題・苦難への対処について についての事がよくわからないのですが・・・ 詳しく教えていただけないでしょうか?

  • 科学的な見地からの宗教

     日ごろから不思議に思っていたことなのですが、日本人は「宗教は非科学的だ」という言葉を耳にすることがあります。これは日本人が無宗教でいる一つの要因であると思います。日本人にとって「非科学的だね」といわれるのは、現代においては非常に侮辱的な言葉であると思います。では本当に宗教は非科学的なのでしょうか?? (1)宗教のどういった部分が非科学的なのでしょうか?? (2)私はここで言う「非科学的」というときの科学は「自然科学」を基準にしていると考えます。宗教(宗教学)は人文科学に属するわけですが、自然科学の視点から人文科学の研究成果を「非科学的」と判断できるものなのでしょうか?? (3)科学に無知な私が思い浮かべる科学は「実験により証明された事実(データ)を基に、そうした事実の間に法則を見出す営み」と考えています。このように、宗教は非科学的であることを、どなたか実験から証明された事実に基づいて、非科学的であることを立証した研究者をご存知なら教えていただけないでしょうか??またその科学的な実験方法や、その人の著作をご存知であれば教えてください。 どうぞ教えてください。よろしくお願いします。

  • 現代では、宗教は科学をどのように捉えているのか

    ガリレオの地動説や今でも議論の続いているダーウィンの進化論など、 宗教と科学は度々対立の歴史を繰り返してきました。 そこで以前から疑問だったのですが、 現代では宗教は科学をどのように捉えているのでしょうか? どの宗教でも構いませんが、できればキリスト教、イスラム教、仏教のいずれかまたは全てについて教えていただきたいです。 例えば、世界は神が創造したと固く信じている聖職者でさえ 現在の世の中ではテクノロジーの恩恵の上に生きているわけです。 そしてテクノロジノーの土台には、 神の存在を含まないどころか宇宙はインフレーションやビッグバンで創造されたと主張する科学があるわけです。 過去にも現在にも神の存在を信じている科学者は大勢いましたが、 依然として科学理論は宗教的な世界観とは多くの点で対立しているはずです。 そのような土台を持つテクノロジーの恩恵をあやかることに聖職者や信者の方々は抵抗を感じないのでしょうか? また、以下の2chからの引用記事では 学校の理科のテストで"The earth was created by ...?"という設問に対して、 "Big Bang"と回答した生徒がバツをつけられています。 そして正解は"God"だと書かれています。 http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3615328.html この出来事に対するイギリスの牧師の反応は、 この採点をした教師を批判するものでした。 私のような宗教に関してほとんど無知のものからすれば、 むしろ牧師は教師をほめたたえるのが自然ではないかと感じます。 なぜ聖職者たちは神の存在を無視した科学と徹底的に戦おうとしないのでしょうか? 自分たちの聖典や信じる神が絶対だと思うのならば、 堂々と科学者たちと論戦をすればよいのではないでしょうか?

  • 自然科学について教えてください!!!!!

    最近とても自然科学や宗教といったものに興味が湧いてきて自分なりに勉強している者です。知識がほとんど無いため、質問も分かりにくいと思うのですが…。 今回は、古代文明(また、その後ルネッサンスなど大きな転機を経てからの現代までの流れなども)においての西洋と東洋の科学(特に自然科学、プラトンやアリストテレスといった、そのあたりの話)について教えていただきたいのです。この2つの間の類似点や相違点について知りたいです。 また、宗教と科学の発展の関係や、西洋と東洋の科学技術の交わりや発展の歴史なども出来ればお願いします。 他の質問文でも似たようなものはいくつかあるのですが、私自身の知識が浅いため、さらに分かりやすく、詳しくお願いいたします。

  • 真の新興宗教は出ないのか

    新興宗教というのは、どういうものかあまりよく知りませんが、どうも既存の宗教に味付けをしたようなものが多いのではないでしょうか?もしそうだとしたら、なぜ(新興)宗教というのは、基本的に不変で、科学的認識が、その宗教発祥の当時とは比較にならないくらい発展した現代に、いまだに古い価値観、教義を宿しているのでしょうか?釈迦もキリストもマホメットも日蓮も空海も偉大であることにはかわらないでしょうが、なぜそれら「古人」の教義をいまだに信奉するのでしょうか。現代には、新しい科学的認識によって新たな教義を打ちたて、その新しい何かを信仰するという「新」宗教が誕生してもいいのではないでしょうか。なのに、宗教というものはどうして回顧的でしかないのでしょうか? もうちょっと補足しておきます。 天地創造の教義というのも、その時代の科学的認識ならもっともな考えです。しかし、これほど天文学が進んだ現代に、なぜ生き残っているのか?浄土念仏なども、自身の生死が祈るしかないという感覚の時代から現在はずいぶん変わりました。仏教的なならわし、あの世とかお盆とか、そういうものも、人の死と空間を一緒くたにしてしまった考えです。空間時間概念が明確でなかった時代の教えです。なぜまだ古代人中世人のための念仏を唱える必要があるのでしょうか?もっと、「違ったもの」を祈り唱えてもいいのではないでしょうか?その「違ったもの」とは、私もよく思いつきませんが、たとえば、原始周期表であったり、雪の結晶であったり、有機物の分子模型であったり、相対性理論の数式であったり、何でもいいと思うのです。

  • 伝統宗教と新興宗教の関係。

    先日、京都観光の折、醍醐寺に行ってきました。軽いノリで上醍醐も巡ったのですが、清々しい雰囲気ながらかなりの山道でバテバテでした。 下醍醐の伽藍の一つに真新しい御堂があり、仏像の両脇には金張りの胸像が置かれていて、かなり奇異な印象を受けました。(良く見かけるものは年を経た像ですから…。)その時は開基禅師(パトロン?)の像の現代版かな…と思っていたのですが。 寺僧に聞こうと思っていたのですが、上醍醐で疲れた為失念していました…。後でネットで調べた所、「真如苑」と関係があるようで、そこから伝統宗教と新興宗教の関係に興味を持ちました。 新興宗教とは全く新しいもので、伝統宗教とは対立関係にあると思い込んでいたので、新しい視点から宗教を見たように思いました。 タイトルに挙げた事柄について詳しい方がいらっしゃいましたら、教えて頂けないでしょうか。参考にしたら良い本等もありましたら教えていただけたら幸いです。

  • グレアム・グリーンの『情事の終わり』について

    西欧の精神状況一般もそうですが、英文学にも精神のサイクルるが見られます。 ジョージ・エリオットが神から離れ、ロレンスはその道をさらに推し進めたのに、グリーンはまた神を伝統的な場に戻しています。 とくに近代、科学が発展し複雑な時代ゆえ、あえてグリーンは 人間賛美から離れたのでしょうか? 宗教的な点で『情事の終わり』のご感想・ご意見を伺いたいのですが・・・

  • 人類は16万年も何をしていたの?医療、科学、文明

    人類の祖先が、チンパンジーなどの祖先と別れたのは600万年前くらい、現在の人類の直接的な祖先のホモ・サピエンスは16万年ほど前にアフリカで誕生し世界中に広がっていった。 そして16万年ほど前から人類は何も変わっていなく、進化は完全に止まっているのだそうで。「もし10万年前の人類がタイムスリップして現代にやってきてスーツを着ていたら、誰もその人が過去の人であるとは気がつかないであろう」と偉い学者さんが言っていました。 で、不思議でならないのが、現在のような豊かな生活ができるようになったのがここ200~300年ということです。 医療、科学、文化の発展も近代に発展し現代の豊かな暮らしを支えるベースになり、今も発展し続けています。 不思議です。 人類は16万年以上前から今と同じレベルの知能の素養を持っていたにも関わらず、16万年以上今より格段に貧しい生活をしてきたという話になります。 16万年以上人類は何をしていたのでしょう?なぜ現代と同じ素養を持ちながら16万年も現代のような豊かな暮らしへ辿りつけなかったのでしょうか?また逆にたった200年ほど(人類史上0.001%ほどの時間)でこれもどまでに医療、科学、人口はなぜ爆発的に発展しているのでしょうか?

  • アフリカの内乱、宗教問題について

    今、アフリカではキリスト教とイスラム教による対立で、残虐な殺し合いが起きているのが現状ですよね。ネットで調べたら子供を標的にした殺しもあり、たくさんの罪のない子供たちが命を落としたり、体を切断せざるをえなくなるような仕打ちを受けているのを知りました。なぜ宗教問題でこのようなことが起こるのですか?宗教はアフリカの人たちのとってどういう存在なのですか?解決策は120%ないんですか?これから先もずっとこのような発展途上国で残虐に殺されていく子供や市民には幸せは訪れないのでしょうか。私は今大学生で、受験期に世界史でイスラームもキリスト教も学びました。イスラム教を創ったムハンマドは昔のようにイスラム教徒から崇拝されているのでしょうか?私は正直これら2つの宗教の祖(イエスキリストやムハンマド)が悪いと思います。私たちが役に立てる、または少しでも解決に繋がるような行動や政策をする方法はあるのでしょうか?私はこの人たちのために何をするべきですか?出来るだけたくさんの回答頂けたら嬉しいです。

  • 科学は衰退してるんですか?

    現代人の生活にはかつてないほど科学が入ってきてます。 表面的には科学はかつてないほど繁栄してるようにも見えます。 一方で先進国では理系離れの話も聞きます。 日本では工学部とか理系を選ぶ学生が減ってるという話ですし アメリカでは1960年代は技術者と弁護士なら技術者と結婚するという女性が多かったけど 今は弁護士を選ぶ人が多いという話もあります。 1970年代は科学者はもっとカッコイイというイメージがありませんでしたか? 今は何やら科学者がオタクと同類扱いされてるような感じがします。 もしや科学が衰退産業だから女性の関心が集まらなくなったのかとも思います。 この変化の正体が何だろうという感じがします。 堺屋太一の知価革命論によると 物財条件が恵まれてる時は人間の興味・関心は目に見えるもの、客観的なものに行きます。 手に入れる物財や金を増やすことに熱中し、 物体やその運動を見たままに記述する科学も発展します。 しかし物財条件が悪くなると人の関心は目に見えないものに向かうそうです。 客観より主観的な判断が重んじられるようになり 宗教の支配力が増します。中世がいい例です。 地球が人間であふれて環境問題が深刻になった今 文明の方向性は近代工業社会を離れ、新たな中世に向かうんですか? 現在世界的にイスラムなど宗教への関心も高まってるし、情報産業という実体のない産業が栄え金融業という これまた情報(マネー)を扱う業界が実体経済を超えて栄えてきてます。 人々は長時間情報を扱うことに熱中するようになりました。 地球上での物財面での限界が見えて 人々の関心が物財から離れることで科学の発展の方向性もまた 情報や生物という物財を多くは消費しない分野に集中する傾向も見えます。 宇宙開発というエネルギーを大規模に使う科学は従来の予定よりも遅れてる感じもします。 今後、科学は情報やナノテク、バイオのバブルを経由しながらじわりじわりと衰退していくんでしょうか?