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デカルトの二元論! 1.思惟する物質 2.延長する物質 について

kayako2の回答

  • kayako2
  • ベストアンサー率38% (19/50)
回答No.1

それは精神と物体の二つの実体のことだと思います。 実体は、他のものなしで存在できる存在です。これは神だけです。 他のものなしで存在っていうのは、生まれるための原因が他のものにないって ことであり、存在するために他のものの助けがいらないってことです。 で、もうちょっと広い目で見て、 存在するために神さましかいらないようなものも実体と呼びます。 (つまり神に創造されたもの、あるいは神によって維持されるもの) それが精神と物体です。 それで精神の本質は思考であり、物体の本質は延長とされます。 これが一番大事な属性で、他の属性はみんなこの中に含まれるのです。 延長というのは、縦、とか横、とか高さがあるってことです。 縦も横も高さもない物体って想像もできませんよね。 で、精神と物体は当然お互いがなくても思考したり、延長を持ったりするわけです (神さましかいらないので) そのためこの2つは全く関係なく、むしろ反対な関係なわけです。 すると、人間みたいな精神と物体の合わさったものはどうなってるの?と つまりどうやって、意思によって体を動かしたりできるように関係するのかというと それは神さまが頑張っているからです(笑) 肉体は時計のように機械じかけでうごくようなものであり、心がその内に入っても動きは左右されますが、機械の仕掛けには変わりありません。 動物には心がないとされているので、ますます機械そのものです(笑) この2つの間に深くて暗い河があることがデカルトの心身二元論の問題とされています。

diyres
質問者

お礼

詳しく教えていたただきありがとうございました! とても参考になりました!

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