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古今集 小野小町 思いつつ・・は倒置法か?
sesameの回答
倒置法ではありません。 この歌は上句切れで、「見えつらむ」でマルが打たれます。 倒置法と言いきっているのは、句末の「を」を、対象を示す格助詞だと誤解しているのではないでしょうか。 この「を」は格助詞ではなく、詠嘆の意を示す終助詞です。 「~だったのに」という反実仮想の含みをもった用法ですね。 この歌は上句が 「(その人のことを)思いながら寝たからその人の夢を見てしまったのかなあ」 という疑問文、 下句が上にも述べた反実仮想 「夢と知っていたなら覚めなかったのに」 という、それぞれ独立した文になっており、倒置文として下句が上句に入る余地はありません。 したがって、倒置法ではありません。
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お礼
お返事遅くなって、大変申し分けありません。とてもよく理解できました。 ありがとうございました