-PR-
締切済み

インドシナ三国

  • 暇なときにでも
  • 質問No.14557
  • 閲覧数266
  • ありがとう数31
  • 気になる数0
  • 回答数2
  • コメント数0

お礼率 80% (4/5)

アジアでは,1975年に,インドシナ三国で,革命勢力が勝利をおさめた後  (1)  政権のカンボジアとベトナムのあいだに戦争が始まるり、数十万人の難民が  (2)  の国境地域に流出した。また同じころ、ベトナムでは,経済を制する  (3)  系ベトナム人に対する弾圧がはじまり、多数の  (3)  系および親サイゴン政権派のベトナム難民が海外に出た。こうした緊張下に、1979年2月~3月には、  (4)  とベトナムが戦火をまじえた。

 

 これは,高校1年の現代社会の宿題で,本を調べてもわかりませんでした。どなたか、教えてください。  
通報する
  • 回答数2
  • 気になる
    質問をブックマークします。
    マイページでまとめて確認できます。

回答 (全2件)

  • 回答No.1
レベル6

ベストアンサー率 0% (0/2)

間違っていたらごめんなさい 1 ポルポト
2 タイ 3 華僑
4 中国
お礼コメント
yyymicu

お礼率 80% (4/5)

 お忙しいところ、ありがとうございます。
助かりました。

 今日初めてパソコンをつかってみて、良い人に出会えて良かったです。

投稿日時 - 0000-00-00 00:00:00

  • 回答No.2
レベル14

ベストアンサー率 41% (1452/3497)

(1)ポル・ポト
(2)タイ
(3)華僑
(4)中国
で、正解です。
1975年にクメール・ルージュ(ポル・ポト派)を中心とする解放勢力がプノンベンに入城しますが、ポル・ポト政権の極端な社会主義政策に反対して、シアヌーク殿下は北京へ亡命します。
1978年末にベトナム軍はカンボジアへ侵攻し、ポル・ポトはタイ国境へ逃げます。
シアヌーク派は、そのときに誕生したヘン・サムリン政権を認めず、殿下の息子のラナリットがヘン・サムリンと戦闘をはじめます。
シアヌーク、ポル・ポト、ソン・サンの三派連合は中国・アメリカ・日本・東南アジアが後押しをし、ヘン・サムリンはベトナムとソ連が後押しをして、1989年のベトナム軍撤退まで戦闘が続きました。
一方、1976年にベトナム社会主義共和国となったベトナムは、1955年の中国共産党との華僑に自由権限を与えるという合意を破りさり、1976年~1977年には、華僑に対し、ベトナム国籍を取るか、国外退去かの選択を迫りました。また、1978年には外国人の就労禁止、民間企業の廃止、商業資本家の排斥、余剰資産の没収などの政策を行い、多数の華僑が中国へ帰国しました。それにより、ベトナムと中国の関係は悪化し、1979年2月の中国人民解放軍のベトナム侵攻を招きました。この戦争はわずか1ヶ月で終結しましたが、1991年のパリ協定調印までの間、中国とベトナムの関係は非常に悪化したままでした。
簡単に解説してみました。
以上Kawakawaでした
お礼コメント
yyymicu

お礼率 80% (4/5)

 お忙しいなかありがとうございました。
 私は,今日はじめてパソコンをつかってみました。なかなかうまくいかず、ここまで来るのにだいぶ時間がかかりましたが、その甲斐がありました。
 kawakawaさんの 丁寧なご回答うれしく思います。 
投稿日時 - 0000-00-00 00:00:00
このQ&Aで解決しましたか?
AIエージェント「あい」

こんにちは。AIエージェントの「あい」です。
あなたの悩みに、OKWAVE 3,500万件のQ&Aを分析して最適な回答をご提案します。

関連するQ&A
-PR-
-PR-
このQ&Aにこう思った!同じようなことあった!感想や体験を書こう
このQ&Aにはまだコメントがありません。
あなたの思ったこと、知っていることをここにコメントしてみましょう。

その他の関連するQ&A、テーマをキーワードで探す

キーワードでQ&A、テーマを検索する
-PR-
-PR-
-PR-

特集


専門家があなたの悩みに回答!

-PR-

ピックアップ

-PR-
ページ先頭へ