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社会人しながら大学院に行っていますが・・・
こんにちは。 私は仕事をしながら医療系の大学院に、この春から進学しました。医療系の資格を持っていますが、病院ではなく地域の中で仕事をしています。 ウチの院は社会人を積極的に受け入れており、3分の1くらいの院生がバックグラウンドはそれぞれ違いますが、仕事をしながら院に通っています。 現場にいる専門職が、経験を生かして院で学び、それを現場に還元するのが大学の意図のようです。医療系で多いと思いますが、我大学院は学位がなくても進学可能です。 職場の周囲の進めもあり、大学卒業後実務を数年経験したこの春から進学した訳ですが、なんだか腑に落ちないことだらけです。修士論文の担当教員は理解もあり、問題ないのですがそれ以外の部分にいろいろ疑問を感じる日々です。 仕事をする中でいろいろな課題、問題を抱えているのですが、院の講義を受けても先生方の講義内容が現場とあまりにもかけ離れすぎていて、講義を受けていても「え?」と思うことが多々あります。 大学院は研究の場であることは十分承知していますが、薄給を工面して大学に行っている以上、研究以外でも少しでも普段の仕事に役立つ情報を得たいと感じています。 そういったこともあり、講義中にいろいろ現場の立場での質問してしまうのですが、研究メインの院生や資格が違う院生からするとその質問自体がうざく感じられるようなのです。なんだか私も浮いてるな~、って感じています。 このような姿勢って、大学院ではとってはいけないのでしょうか? 毎日講義を受けるたびに自己嫌悪に陥るのですが、質問せずにはいられないのです。
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経済・経営系の院生だったものです。 通っていた大学院は、社会人向けのコースと研究者養成コースがあり、社会人の方がたくさんおられました。私自身は研究者養成コースのほうにいまして、社会人の方々からたくさん刺激を得られましたが、思い返せば時として以下略という場合も無きにしも非ずだったかな、という気もします。 その医療系の大学院の社会人向けカリキュラムって、いつごろからできたんでしょうか。2期目とか3期目とかではないでしょうか。 私の通った大学の場合は、コース改変をした初年度で、院生支援の諸制度も文書はあっても実例がない場合ばかりで、しかも講義については社会人向けのコースと研究者養成コースを同時に行う(ある授業を受けると社会人向けのコースなら「○○論」と研究者養成コースなら「○○講義」というように名称が変わるが、内容はどちらかのコース寄りに比重がおかれる)というように構成されているので、学生と教職員間、学生間、教職員間でよくごちゃごちゃしてました。 > 現場にいる専門職が、経験を生かして院で学び、それを現場に還元するのが > 大学の意図のようです。 > 仕事をする中でいろいろな課題、問題を抱えているのですが、院の講義を受けても > 先生方の講義内容が現場とあまりにもかけ離れすぎていて、講義を受けていても > 「え?」と思うことが多々あります。 現場と同じ内容を教えてくれるのであれば、大学院にまでこなくてもよいってことになっちゃいません? 先生方の経歴を確認してみるとよいのですが、「教育の現場で医療を対象としてきた学者さん」または「現場で働いてきてしばらく前に論文を出したらそれが認められて大学に呼ばれた実務家教員」の大きく2通りあるのではないでしょうか。先生方のこれまでのバックグラウンドからすれば、現在第一線の現場で活躍されている質問者さんからすれば、数世代前とか別分野とかという意味でご自身の知識との乖離を感じられるのでしょう。 正直なところ、大学の先生方に現場の知識を上回る実践的な知識の供給(と、それを求めること)は無理だと思います。ただ、逆に、大学の先生方が得意とするところを求めることは十分に価値があります。 大学の先生方の得意とするところは、何らかの知識・事象について、体系だった考え方から整理をすること、そして、そこから新たな知見を読み解くことです。したがって、講義中に「え?」と思うほどかけ離れた内容が紹介されているならば、それをぶつけていってこそ大学院での価値が出てくると思います。かけ離れ方にもいろいろありまして、分野が違うとか時間が違うとか見方が違うとか考え方の出所が違うとかいろいろあります。実務家教員であれば、以前現場のどこで仕事をしていたかにも左右されるはずです。 そういうわけで、「違いを楽しむ」「どんどん質問をしていく」「教員の得意とする分野を見抜く」ことをお勧めいたします。 実際、修士論文を成立させるためには、自分が対象とする事象は何なのか、定義づけを前段部分で行う必要がありますが、どの考え方でどの分野を対象とするかを明示する作業が大変です。また、文章をだらだら書けば相手に伝わるわけではないので、相手に理解してもらうまで指導教員はじめいろんな方に目を通してもらわないといけません。 講義担当者だけでなく、いろんな先生に質問に行くことになると思いますが、大学院での講義は質問がしやすいように顔見世みたいな位置づけにもなっています。どんどん質問してやってください。 ただ、ご自身がお考えのように、質問の仕方やタイミングなど、教員や他の受講生のストレスにならないように工夫されるのがいいかもしれませんね。授業の枠としては90分×15回しかないわけですし。授業終了後にするとか、「質問は?」といわれるまで待つようにするか、単なる知識を求めるだけのようなものは避けて質問は厳選するか、メールで問い合わせるかなどなどでしょうか。 質問自体は歓迎されているわけですから、ちょっと配慮をされると、格段に充実した社会人カリキュラムになるのではないでしょうか。
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- takkochan
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もちろん、講義に関連して現場の立場の質問をすること自体はOKでしょう。しかし、多くの院生がその質問自体がうざく感じられ、教官も不適切と感じられれば、まずいということはありえます。 修士課程においては、修士論文を作成するための研究がメインであることは間違いありませんが、決められた単位数は取らねばならず、その内容に即した質問以外は不適切な場合もありえます。講義に関係のない質問で、皆が不適切と思うのであれば、講義中ではなく、教員に個人的に質問をすればよいかと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 講義に関係のない質問をすることはないです。 ただ質問の質に違いがある、ということでしょうか? これからは空気を読んで質問していきたいと思います。
- hiyoko-_-
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おっしゃることは,とてもよく解ります. 現場と基礎研究の乖離は,どの分野でも起こっている事でしょう. 教育現場で例えます. ある学校の先生が,自分のクラスでのある単元の指導のために,必要な教育ツールを 開発したとします. その現場では有効かもしれませんが,生徒の質や学校の校風などによっては そのツールは効果が無いかもしれません. 他の先生は,そのツールを,自分の現場に即した形でアレンジをしたり, たたき台に使ったりすることになります. 一方,教育心理などの基礎研究屋は,生徒や分野を特定せず, 「人間はどう考えるのか」「情報伝達とはどのように行われるのか」 といった,普遍的・客観的なデータ・理論を積み重ねることによって, 様々な状況にフィットするようなツール作りを目指します. よって,現場の人が基礎研究を見ると「何でこんな役に立たないことを」と感じ, 基礎研究の人間は現場の人に「何でそんな経験則で状況依存な話を」と感じるのです. しかしこれら両者のスタンスは,優劣があるものではなく,視点の違いであり, どちらも「教育」には必要な事です. だからこそ,現場の人は基礎研究を,基礎屋は現場を知る必要があるのです. eigokiraiさんの意見をウザがる院生もいるかもしれません. それは,彼らの目の前にある課題(論文など)に,直接結びつかない「ように見える」からです. ですが,彼らが現場を知ることは,重要なことです. 自分達の基礎研究が,何ステップか先で,どのように受け止められているのかを 知っておく必要があるからです. 授業の妨害にならないならば,あえて違う空気を入れることも時には必要です. ただ,あまりに遠くの「現場」を目標にすえると,基礎研究の枠を越えてしまいます. このバランスが難しいのですが... また,eigokiraiさんも,明日の仕事に役に立たないと思えるような理論も, 記憶に留めて置いてください. 特定の現場での出来事も,つきつめれば,小さな行動や環境刺激や人間関係の積み重ねです. 現場と研究の両方の場面を知るというチャンスは,めったにありません. 時には,研究の立場から現場を見る,という経験も,必ず役に立つ時が来ると思います.
お礼
回答ありがとうございました。 大変参考になりました。 現場と基礎研究の乖離、まさにその通りだと思います。 学部時代から現場と基礎教育の乖離は肌で感じていました。新人の頃は大学と現場のギャップに悩んでいたのに、いつも間にかすっかり頭は現場人間になっていたようです。 大学の研究が絡む仕事をすると、手間ばかりかかり、プラスになることがほとんどないでウチの現場では大学と一緒に仕事をするのを皆嫌がります。 そんな現場と大学の差を少しでも埋めたいという気持ちで入学した大学院ですが、入って早々壁にぶつかりました。少々現場での想いが強すぎるのかもしれません。 アドバイスを参考にしながら、空気を読みつつ質問したいと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 私が感じていたことをうまく整理していただいたような気がします。 我が大学院には社会人入試はありましたが、社会人カリキュラムは存在しません。設置されて3~4年目で今年カリキュラムの見直しがされたようです。 教員達のプロフィールは正直なところよくわかりません。内部の教員など自己紹介もしないで講義をすることもありますし。。。(学位をとった大学はもうちょっとこのあたりがしっかりしていたような気がするのですが・・。) しかし、教員の経歴を思い出しながら今まで講義を受けた教員を比べてみると、実際に現場に出向いて様々な研究調査を行っている教員は現状を理解した上で講義をするので非常にわかりやすく感じました。しかし大学内でのみ研究をしてきた、数字を相手にしてきた教員はそうではない傾向が強いように思います。 「?」と思う事に対して質問してしまうもう一つの理由として、教員が明らかにおかしいことを言った場合、現場を知らない他の学生が教員の話したことを真に受け、それの知識を持ったまま現場に就職してしまう事が怖いんです。 それと、教員が質問を募っても誰も質問しないので、仕方なく私が質問するという事も多いんです。 >、「違いを楽しむ」「どんどん質問をしていく」「教員の得意とする分野を見抜く」ことをお勧めいたします。 今感じている事を、視点を変えて捉えていきたいと思います。 ただ、大学の教員が得意とする点が、果たして現場で役立つのか?という疑問もわいてきました。 私の職場でも大学教員に研究フィールドを提供することが多いですが、皆敬遠しています。やはり在職中の院生としては大学教員には現場の人間にも目を向けて欲しいのが本音です。 幸い、私の修論指導教員は、現場にも理解があり、今感じているようなストレスはほとんどありません。 今回ここに質問し、皆様に回答して頂いたことにより、ずいぶんと気持ちの整理がつきました。 ちょっと視点を変え、配慮をしてみたいと思います。