• 締切済み

何故脳死者は、臓器摘出の時、ラザロ兆候を起こすか?

臓器移植問題です。 (1)脳死者がほんとに死んでいるのなら、何ゆえに臓器摘出時、血圧や心拍数が上がったり、ラザロ兆候と言われる、手足を激しく動かしたりする現象が起こるのでしょうか?またそれを抑えるために麻酔や筋弛緩剤を投与するのが当たり前とききますが本当でしょうか? (2)臓器移植後、臓器提供者の記憶が、のり移ったような現象をよく聞きます。(アメリカではかなり多いようですが)もし、体験談など(また聞きや、そのような情報)お教えください。よろしくお願いいたします。

  • 医療
  • 回答数5
  • ありがとう数18

みんなの回答

  • pathology
  • ベストアンサー率55% (49/88)
回答No.5

No.2 pathologyです。 QNo.1393478で既に触れたことなので、そこを読んでいただきたいのですが、脳死は微妙な問題であるため、用語の持つ概念に細心の注意を払って考察を進めたほうが好ましいと考えます。 脳死は診断されるものではなく、判定されるものです。 脳死の判定基準は「脳死の定義」ではありません。「脳が死んでいる」という概念において、脳死を定義することが出来ますが、個々のケースで軽々しく「脳死」という言葉を使うことは危険です。 小児の生命力や脳波などの知見が不十分であり、脳死判定は成人よりも慎重にすべきです。我が国(日本)では4歳の子供は脳死判定の対象にしていません。なお、20年も心臓が動いていたのなら、当初の脳死判定が間違っていたということになります。 私個人の立場としては、脳死移植にあまり乗り気ではないのですが、だからといって、脳死を科学的に検討することに無闇な反対を唱えることは致しません。小松美彦教授の著作物を拝見したことがありますが、非科学的なことをあたかも科学的な事実のように脚色して書かれているので、科学者としては失格と考えます。 「ラザロも2000年前本当に生き返った事があるようです。」と信じることは宗教的にはご自由ですが、科学および科学的合理性に根ざした現代社会の法体系のもとでは受け入れることはできません。 本当に亡くなった人を荼毘に付したら、生き返るはずの人を燃やしたということで、殺人罪を適用しなければなりません。 脳死の判定に疑問をお持ちになったり、ドナーカードに臓器提供拒否を記入されることは良いことです。また脳死を人の死とするか否かを決めるのも人それぞれの死生観によります。 しかし、脳死について反対するために、非科学的な主張をして人心を惑わせることは罪悪になります(松本○○○事件、地下鉄○○○事件にも、超高学歴の方々が加担していました)。 科学的に冷徹に思考しても、脳死の概念に反対することは出来ますが、反対するために「死人が生き返るが如き話」を例に引かれると不信を招きます。 科学者の端くれとして、どうか科学的に思索されることをお願いします。

hw4183
質問者

お礼

たびたびのお答え誠にありがとうございます。 私なりにもいろいろ調べてみました。 脳死は微妙な問題を多く含んでおり、大変難しい問題であると思います。臓器提供者の立場、患者さんの立場、お医者さんの立場、政治家の立場、世界的な流れ、いろいろな立場のお話を聞くことが出来ました。 この中で、もっとも問題である事は、唯物的合理主義ともいえる科学万能を唱える人々の霊的視点の欠如である事がはっきりと判明いたしました。 (1)人間は死後、(心臓が止まってから)24時間前後、魂が肉体に留まっている (2)脳死といわれる状態での臓器摘出は、意識として、は大変な苦痛を与えている事がわかりました。 (霊的認識による) 臓器提供者、及び術者、法律を決める政治家が、死ねば全てなくなる、という事を信じてしまっている事が問題なんです。 海外では臓器移植がビジネス化されており人身売買のネットワークがかなり活性化している事実がある事も 知って頂きたいと思います。

  • sentatoku
  • ベストアンサー率51% (105/205)
回答No.4

■ラザロ兆候とは、脳死者に刺激をすると脊髄反射によって四肢が動いたり、血圧が上昇したりする現象です。 ■素人向けに神秘的な現象のように語られることが後をたちませんが、脊髄反射が起きているだけですので不思議でも何でもありません。当然それを抑えるために筋弛緩薬や麻酔薬を用います。 ■「ラザロ現象とは脊髄反射では説明できない現象」という記述がありますが、これは単に脊髄反射の知識のない方々が書いているだけの話です。脊髄反射の複合により複雑な運動に見える動きもでてきます。脊髄反射だけで出産(子宮内の胎児が排出されるだけ)もおきますし、あたかも歩くような動きも生じます。手も上がりますし声も出ます。声帯の位置によってはあたかも言葉を発したように聞こえる時もあるでしょう。 ■特に不思議なことでもなんでもないことを、さも神秘的なように書いたり報道されたりするのを見ると「なんともはや‥‥。」と思います。 ■ですから「何故脳死者は臓器摘出の時、ラザロ兆候を起こすか?」ではなくて「脳死者は臓器摘出の時ラザロ兆候を起こす」のです。理由は脊髄反射が残っているからです。

hw4183
質問者

お礼

大変ありがとうございました。

  • inoge
  • ベストアンサー率45% (510/1116)
回答No.3

(1)通常想定されている脳死では頭蓋内つまり延髄より頭側の大脳:脳幹や小脳の器質的不可逆的機能停止を意味します。 中枢神経という言葉は上記の脳と脊髄を合わせたものを指しますが、脊髄は脳死の際にはチェックされません。頭蓋内出血や頭部外傷などが脳死の主な原因です。脳死であっても頭蓋外の神経=脊髄は生きている方が普通です。脳死とは人間の自己同一性・意識・記憶・感情などの高次機能が頭蓋内の脳だけに局在する、という科学的知見に基づいています。 (自己同一性については議論の余地があるでしょう) ラザロ兆候や心拍・血圧の変化はすべて脊髄反射、つまり末梢神経から脊髄への刺激の入力とそこから直接(脳を介しないで脊髄のみを経て)末梢の運動神経や心臓交感神経(脊髄から心臓にいたる心拍を制御する神経)として説明がつきます。脳が無くても脊髄で処理できるあまり高次とは言えない機能なのです。(動くと言っても目的を持って制御された動きではありません。) カエルの頭部を切除したモデルでも刺激によって四肢の動きが認められることでも確認できます。 昨今は義務教育課程での動物実験が減っているようですが、生命についての理解を深めるために是非増やしてほしいものです。 麻酔薬については経験がありませんが脊髄反射によって血圧が不安定になったり、手術操作に支障が生じる恐れがある際には使うこともあるでしょう。 (2)そのうわさは私は聞いたことがありません。あくまでうわさであっていつどこのだれに生じたか客観的記録が無いこと自体情報の信頼性の程度が知れる話だと思います。

hw4183
質問者

お礼

大変ありがとうございました。

  • pathology
  • ベストアンサー率55% (49/88)
回答No.2

ご質問(1)脳死者がほんとに死んでいるなら、 ・脳死という状態は確かに存在し、脳が他の臓器より先に死んでいて、早晩「古典的な全身の死」を迎えます。脳死者が「死んでいると考えるか否か」は、死生観(宗教・哲学etc.)とか法律によって決められる性格のものです。 。 ・No.1 juns777さんのおっしゃるとおり、脳死と臓器移植は本質的には全く別の次元の問題です。 ・ところが、臓器移植というものがなければ、脳死という状態から自然に待っていれば「古典的な全身の死」が訪れますから敢えて脳死のことは考慮する必要はありません。そのため望むと望まざるとに関わらず、臓器移植と脳死はセットで扱われています。 ご質問(1)何ゆえに・・・現象が起こるのでしょうか? ・何といっても「脳死」ですから他の臓器が反応したり動いたりしても何ら不思議はありません。「脳死=死」、「死=動かない」あれれ? というような混乱をなさっていませんか? ご質問(1)麻酔や筋弛緩薬を投与するのが当たり前とききますが ・大切な臓器を安全に摘出するための手術です。当然のことと考えます。学会発表などを拝見しても、麻酔医の管理下で行われています。「脳死=死」、「死=動かない」「動かない=筋弛緩は必要ない」あれれ? というような混乱をなさっていませんか? 付記 脳死判定を受けた患者様を拝見したことはありません。ただ、経過中に総合的な所見から脳死状態であろうと推定されることは、稀ならず見受けられます。その場合概ね1週間前後で、自然に「古典的な全身の死」を迎えることが多いです。そのような症例のなかで、病理解剖をによって脳を観察することが出来た症例があり、、下垂体が融解した症例と、脳全体が変化した症例を拝見しました。「脳死」というものがあることを学びました。 脳死者からの臓器移植を見たことはなく、ラザロ徴候というものは知りません。理科の解剖におけるカエルの解剖で、取り出した腿の筋肉が動くのは誰でも知っていますが、この筋肉は脳から切り離されており、言ってみれば脳死者の筋肉に近似できます。また、脳死ではなく古典的な死を迎えた患者様の病理解剖時に、腕がゆっくり動いたりして驚かされたことはあります。「古典的な全身の死」をもって死亡宣告を受けても、場合によっては消化管が動いたりすることがあります。また、精子を取り出して受精させられる可能性があり、腫瘍から細胞を培養できる可能性もあります。死とは何かは難しいことです。 ご質問(2)についてはわかりません。米国の医療については何も知りません。日本においても聞いたことはありません。また、そのような事実を記した学術論文を見たことはありません。私見ですが、そのようなことがあったら、死に立ち会う職業の人は、死者の霊に押し潰され、また巷の空気には、人が猿から進化して以来の全人類総和の霊が充満していることでしょう。私個人は、このようなことは全く有り得ないと考えます。

hw4183
質問者

お礼

大変長文のご回答、ほんとにありがとうございました。心より感謝いたします。 脳死は難しい問題と思います。アラン・シューモン カルフォルニア大教授が4歳で脳死診断後、20年心臓が動き続けた例を報告したそうです。

  • juns777
  • ベストアンサー率49% (152/306)
回答No.1

脳死とは「脳が死んでいる」状態です。体は機能が維持されていますので、移植に使えるのです。体は反応しますが、「脳が死んでいる」場合は、その時点で死です。植物状態とは異なります。 日本の2004年の臓器移植件数は、まだ17例です(腎臓を除く)。噂話が出る数ではないということでしょうか。腎臓では心停止後も移植でき、家族間での移植もあり相当数が実施されていますが、そのようなうわさはないですよね。いまのところ私は聞いたことがありません。 移植ネットワークのURLを貼っておきます。日本の問題は、「脳死」と「臓器移植」がセットになってしまっていることだと考えます。「脳死」とは人の死の一つの形です。これ以上は救命できない状態です。 「脳死での臓器提供、臓器移植」は別の医療です。「脳死」→「臓器提供」が一本道になってしまっているので多くの方は戸惑っていると思われます。 医師ではありますが、専門外で移植経験がないため自信なしとさせていただきます。

参考URL:
http://www.jotnw.or.jp/
hw4183
質問者

お礼

おそくなりすみません。お忙しい中、丁寧なお答え大変ありがとうございました。心より感謝申し上げます。 あくまで私見ではありますが、脳死という単語は間違っているとおもいます。脳不全と言ったほうが良いと思いました。脳死は人の死ではないと確信いたしました。 小松美彦教授の本を読む機会があったのですが、ますます確信が深まりました。 ラザロも2000年前本当に生き返った事があるようです。

関連するQ&A

  • ラザロ兆候について

    私は、中学1年のときに母が脳内出血で脳死と診断されました それ以来、脳死 臓器移植のニュースを見たり、聞いたりすると、その当時のことを思い出します そして、この前、雑誌でラザロ兆候のことが載ってありましたそのときはただの脊椎反射と書いてありましたが、どうも納得行きませんでした ラザロ兆候についての書籍またはホームページが有りましたら教えてください お願いします

  • 脳死の臓器提供についてですが、

    脳死の臓器提供についてですが、 自分や家族の場合を考えいろいろ調べたところ ちょっと怖い内容を目にして混乱しています。 出来れば移植の実際の様子をご存じの医師の方にお聞きしたいです。 下記のようなことは事実なのでしょうか?デマなのでしょうか? 1)脳死になるだろうと予測できる状態の患者がいた場合  脳死判定がきちんと行われて脳死が確定する前に  治療のための措置ではなく、臓器移植に備えた処置が行われる。 2)脳死判定が出て、脳死という宣告を家族が受けて、  臓器提供について悩んでいる間に、すでに治療から  臓器移植に備えた処置に切り替わっている。 3)脳死判定に必要な「無呼吸テスト」を実施したために  脳死になってしまう症例がある。 4)脳死状態の患者の臓器を取り出すときは暴れたり血圧が上がったりするので  モルヒネを打つことがある。 素人の自分としては上記のようなことは行われていないと思いますが、 自分の意思を登録する前にハッキリさせておきたくて質問しました。 よろしくお願いします。

  • 脳死臓器移植法に関して悩んだことです。

    ある研修医が脳死臓器移植法改正について若手医療従事者の意見を求める、行政機関主催のアンケートを受け取ったとします。 質問にはドナーカードのフォーマット、脳死判定を開始する条件や手続き、関係者のプライバシーの保護など様々な問題が含まれています。 中でもその研修医が回答に最も苦慮した質問は「脳死患者が書面で臓器提供の意思を明確に表示している場合には、患者家族(遺族)が臓器摘出・提供を拒否しても、当該脳死患者から臓器提供が出来るように法改正をすべきだろうか」というものです。 1997年施行の臓器移植法ではたとえ臨床的に脳死状態に陥っているとして、その患者が書面で臓器提供の意思を表示している場合でも、患者家族の拒否があれば正式な脳死判定は行えなくなっています。 私個人の意見としては臓器はやはり脳死患者のものであり、本人の意志を尊重するべきでそれが理に当ると思います。ただ、そこで悩むのは、法改正をして家族の拒否が無効になった場合を考えるとして、もし突然愛する家族の一員を失った時に、遺族の思いを考えると拒否は出来ないのですからすんなり提供に踏み出せるのかどうかということです。しかし臓器を待っているレシピエント候補の方の存在など勘案すべきことが多いのです。 そこでみなさんの意見をお聞きしたいと思い今回投稿しました。 質問を簡潔に書きますと、 (1)上記に述べたように法改正には賛成か反対か、またその理由。 (2)脳死患者の臓器は一体誰のものだろうか。 (3)移植に関して誰の希望が最も優先されるべきか。 以上の3点についてご回答をよろしくお願いいたします。

  • このたびの15歳未満の脳死による臓器移植??

    15歳未満の脳死による臓器摘出が日本で初めて行われ、肺、肝臓、膵臓、腎臓等々その他多くのものが移植されたそうですが、本人の生前の意思表示は全くなく、家族・親族の承諾・了解・確認を得たとされているものの強行に反対した方もおられたそうで、且つ脳死とするには判断・決断が早過ぎ(年齢の若い場合は根気よく時間をかけて最善を尽くせば回復の可能性は決して0%ではないとの医学界の通説)引き続き治療を続けていれば、それは確率は低いかもしれないけれど決して100%回復不能ではなかったとのことです。 医師やコーディネーターなる胡散臭い人物達に丸め込まれてしまったシーンが確実に容易に想像されてしまいます。 これは医療行為の放棄であり且つ殺人行為になるのではないでしょうか。 脳死としてさっさと臓器を摘出して困っている他の人に移植した方が名も上がるし、何より手っ取り早いというだけの今回の実態をこのまま美談云々として放置してよいのでしょうか。 意を強くして全くもって納得できません。 皆さんの多くの率直なご意見をお教えいただきたく投稿させていただきました。 美辞麗句は要りません。 素直な本心のお気持ちをよろしくお願い申し上げます。

  • 脳死について

    ある人の意見で、米国の例で脳死状態で適正な治療が受けられれば意識が回復する場合があります。米国で脳死と診断され.心臓移植のための臓器摘出中に意識が回復した例がありますし.小児の場合はとくに.心臓が止まって1時間程度たっても.意識を回復する場合があります と言っています。 またある人では、いったん脳死になると、どれだけ長い時間心臓を動かしつづけても脳の機能を回復できないそうです。 この2つの意見はどちらが正しいのでしょうか? それと、脳死は延命するだけで、治療っていうのはありえないんじゃないんでしょうか?

  • 臓器提供について

    少し前から臓器提供について考えています。 私はもし、脳死状態になったら提供しても良いと思っています。 ネットでいろいろ調べるうちにどうなんだろうと言う事があり質問させてもらいます。 ●あるところで「いくら脳死状態でも臓器を取り出す時、麻酔をかけないとのた打ち回る」と、書かれていました。 どういう方が書かれてたのかわからないのですが、それが本当ならかなり痛い思いをするということでしょうか... ●「脳死」と判断された時点で延命措置の器具などをはずされ、完全に「死」とされて臓器を取り出すのではないのでしょうか? カードにはそういうことを記入することができますか?

  • 脳死のディベート

    明日脳死についてのディベートがあるんです。 先週、脳死否定派として、逆転勝利しました。 「臓器移植患者と脳死患者がいるとしたら、優先順位のように脳死患者は臓器を提供しなくてはならない点』を反論したのです。こんな言い方だったかは定かではないんですが・・・。 明日は肯定派として参加しなくてはならないのですが。うまく思いつきません。過去の質問も見させてもらったのですが・・・明日の相手チームはカナリ手ごわいので、『あっ』といわせるような意見を言いたいのですが。・・・ 本当に脳死とは難しい問題だと思います。 人権とか考えるとどうしても否定派の意見になってしまう私なのです、。。。どういう意見が肯定派として有効なんですかね・・・。

  • 脳死を「人の死」とする範囲は?

    脳死を「人の死」とする範囲は? 臓器移植法案の改正案が施行されて、家族の同意による移植が増えてますが…。 この「脳死=人の死」という基準はどこまで適用されるのですか? 脳死状態だと生きた死体だから… Q1.健康保険の適用はなくなるの? Q2.栄養点滴せずに衰弱死しても保護者責任遺棄とか    延命装置を停止させても殺人とかの犯罪には該当しなくなったの? と疑問になりました。 それとも… 「脳死判定を受けて“脳死”と確定した」場合のみ「死亡」している。  → 延命装置の停止などは罪にならない。    相続もこの判定時に開始する。 「脳死判定を受けていない」場合には脳死状態だけど「脳死=死亡」と確定しない。  → 従来の三兆候死が訪れるまで「生存」しているものとして    延命装置の停止などは罪になる。 という、条件分岐のようなものがあるんでしょうか。 「脳死判定」の有無によって、死亡の時期が異なるとしたら面倒だと思ったので。 ご存知の方がおられましたらお教えいただけると幸いです。

  • 臓器移植反対

    臓器移植反対 人が死ぬのを待つような制度はやめる方がよくないでしょうか? 脳死判定も実は本当に人の死であるか確認できないという話ですし。 私なら天命であると覚悟を決めますが臓器移植を待つ人々はなりふりかまわず命に執着して見苦しいです。 海外の移植を行う病院も今は日本人お断りとか特別料金を請求するようになってきました。 日本のイメージ低下にも貢献してます。 賛成のの方反対の方ご意見よろしくお願いします。

  • 臓器移植法A案可決=死の定義の完全な改定?

    臓器移植法改正のA案が衆院で可決されました。 年齢制限の撤廃に伴う問題や本人の同意の要否という哲学的な問題等、 さまざまな観点からのさまざまな問題点が挙げられると思います。 ただ、ここではこの法律のもつ意味について伺いたいと思います。 ニュース等のメディアの論調では、 臓器移植法のA案での改正=「人の死の定義」の(完全な)改定である との論理付けが目立ちます(この際参院での採決についてはひとまず措いておきます)。 私の認識では、たしかに「人の死の定義」の“一部”改定ではあろうかと思いますが、 これが“完全”な「人の死の定義」の改定だとするとしっくりこないのです。 「臓器の移植に関する法律」は臓器移植というある種限定された場で効力を発する法律だと思うのですが、 この法律中の医師が臓器を摘出できる死体の基準が、 あまねく医師の臨床の場での行動も律することになるのでしょうか? つまり、脳死状態が認められた段階で、医師の判断で治療を中止される(できる)のでしょうか? また、本人が臓器移植について拒否の意志を示していたか、 家族が同意しなかった場合、さらには家族が延命治療を望んでいる場合であっても、 医師の判断で治療は中止される(できる)のでしょうか? マスコミの論議や反対団体の声明等では、 「法の改正=延命治療の中止=医師の応召義務違反=長期脳死状態の人間の生存権の剥奪」 のような自動論理ができているようですが(もちろん論点はそれだけではないですが)、 本当に臓器移植法にここまでの法的な効力があるのか? 「脳死=人の死」はあくまでも臓器移植という限定された局面でのみ適用されるのではないのか? というのが疑問です。 以上、不勉強なだけなのかもしれませんが、 お教えいただければ幸いです。