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絶対評価って?
熊本県の公立高校入試制度では中学の内申書に新しく「絶対評価」なるものが導入され混乱が生じています。 具体的には・・・1)学校により評価結果にばらつきがある。ある中学では5割以上の生徒に5が付けられ、別の中学では5評価はゼロ。この評価がそのまま内申書になりその結果として・・・2)本試験250点満点中210で不合格、190で合格などがでたとのことです。 評価する人によってバラツクものであり、学校間の格差もありそうなものを「絶対評価」と呼ぶことがおかしいし、ましてやそのようないい加減なものを入試に導入することが適当だとは思えないのですが・・・皆さんのご意見をお聞かせください。 受験勉強に励む中学生たちが正当に評価を受けれるようにしてあげたいと思います。決して内申書を否定するものではありません。
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「■相対評価 個々を成績の良い順に並べ、一定の割合で人数配分をして評価していくもの。自分が全体の中でどのくらいの位置にいるかがわかります。努力をしても相対的な位置が変わらない以上、評定に反映されないという短所があります。また、母集団の質や学力レベルによっては、同じ評定でも差が現れるなどの問題点もあります。 ■絶対評価 絶対評価は、各授業の学習内容にそって定めた目標に対してどのくらい達成できたかを評価します。到達度評価とも言います。同学年の他の生徒と比較するのではないため、個人の努力が反映されます。そのための「努力の目安」をつかみやすく、今後の取り組みに役立つという良い点があります。」 「なぜ絶対評価か 今回の指導要録の改訂では、評定を絶対評価に改めた理由として、次の点をあげている。 新学習指導要領で目指す基礎的・基本的な内容を身に付け、自ら学び、自ら考える力などの生きる力を育成するといった目標の実現状況を的確に把握し、学習指導の改善に生かす。 各学校段階において、子どもがその学校段階の目標を実現しているかどうかを評価し、上級の学校段階の教育との円滑な接続に役立てる。 子どもの学習の程度に応じた指導と個に応じた指導を重視し、学習集団の編成も多様となるので指導に役立つ評価を行う。 学年・学級の子どもの人数が減少すると、正規分布を前提とする相対評価では、評価の客観性と信頼性を確保することが難しい。 さらに、個に応じた指導を重視するところから一人一人のよい点や可能性、進歩の状況などを適切に評価するため個人内評価を重視している。もちろん、相対評価により集団内での自分の位置づけを知ることも自分の適性を知る手がかりとなり、これにより自分の目標を定めて学習に取り組む動機づけを得たり、将来の進路を考える際の情報として活用できるという理由で、相対評価も必要に応じて行うことが考えられている。要するに、今回の改訂では、学習の評価は、絶対評価と個人内評価を柱とし、その中で相対評価も必要に応じて用いることになった。 」 もしこのような定義と背景があると仮定して考えてみるならば、 高校入試という客観的、相対的評価にもとずく選別(選択)をする際に、個人を指導する目安である絶対評価を持ち込むと、混乱が生じ不公平不公正が生じるのは自明だと思います。相対評価と絶対評価が混在すれば、(実際の絶対評価をおこなう学校の評価点数の分布にも拠りますが、)入試の選別方式(点数配分や比率)自体の根本的な見直しがなされるんではないでしょうか。受入先の高校側としても問題視しているのではないでしょうか?
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- colhan
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熊本県教育委員会のホームページから、詳細を入手する事が出来ます。いろいろ模索しているようです。 絶対評価で、内申が決まるのなら、 >210で不合格、190で合格など 極端な例として、充分あり得ますまた、数値以外の『観点』などを重視する学校もあるかも知れません。 内申重視と学力テスト重視などは、多分、各校のホームページ紹介されて入ると思います。もし、進学塾などに通われているのなら判っていること(評定の合計と模擬試験の成績)を材料にして相談されたら良いと思います。
お礼
有益な情報ありがとうございました。 熊本県教育委員会のホームページ参考になりました。 入試の検討委員会でも絶対評価の内申書が高校入試に適さないとの意見が出ていたようです。 にもかかわらず、今年は半ば強引に導入されたような感じに受け取れます。混乱を招いているのは事実なんですが、教育委員から改善するようなメッセージは今のところ聞かれてきません。 ご意見ありがとうございました。
- gwkaakun
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家庭教師派遣会社勤務です。 難しいことはいいません、簡単に説明すると 『絶対評価=(評価する先生の)主観的評価』であるため、極論を言うと全部通信簿5をつけることも可能だし、逆も然りなんです(ただ、現実にそんな付け方する先生は居ない)。怖いのは評価をつける先生のえこひいきが入るということです… 相対評価=客観的評価なので、例えば35人クラスなら、5は何パーセント、4は何パーセントというような感じで、相対評価の場合は通信簿をつける人数は5~2までは決まっています。 あとは、学校間の格差はどちらの評価でも存在します。例えば、A中学はレベルが低いので、5でも低見するとかいう不文律はあるんですよ。 こんな感じでわかっていただけたでしょうか?
お礼
ありがとうございました。 「絶対評価」の実態については、ご指摘のとおり 「先生の主観的評価」ではないかと小生も考えていたものですから、わが意を得たり、です。 「絶対評価」の精神は理解できるにしても、そのまま入試に導入すると不公正な評価を受ける子供たちが出てくるのでは、と心配です。子供たちの将来を左右する入試に、客観性を欠く評価法を導入するのは、努力している受験生に対して不実だと感じています。 回答ありがとうございました。
- fuy_ukky
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「絶対評価」が導入されなかったら、 かならずしも、正当に評価されたのでしょうか。 学年の人数から各評価の人数が決められ、 実力テストの順で順番に評価が与えられたとしても、 それは、公平でしょうか。 どんな方法でも正当に評価を下すなんてことは、 不可能なことであるし、それを求めるのも可笑しい。 制度に合わせて自分の身の振り方を考えるしかない。 受ける側も評価する側も。 しかし、突然、制度が変わって、 混乱を招いたのは、制度を変えた人の責任でしょうね。
お礼
回答ありがとうございました。 「正当な評価」というものが難しいですよね。 県の教育委員会は絶対評価の精度を高める、とコメントしており、それはそれで結構なのですが、高校入試では次年度も混乱を招きそうな気配です。
お礼
ありがとうございました。 「指導要録の改訂」というもの初めて知りました。 その根本の精神は結構だと思います。 が、ご指摘の通り入試というきわめて相対的な評価による選抜形態には、不向きかなと感じました。 結果として今回の混乱が生じていると思います。 制度変更時の欠点を早急に見直してほしいものです。