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所有の哲学

「わたし」が、身体を所有していますか。 非物質が、物質を所有していますか。 身体が、「わたし」を所有していますか。 物質が、非物質を所有していますか。 その前に、「所有」とは何でしょう。 ご回答に対するお礼は一切致しません。

noname#15238
noname#15238

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  • ベストアンサー
  • moumougoo
  • ベストアンサー率38% (35/90)
回答No.7

かなり素朴に 私の場合、「所有」というとき、主体となるものがその主体とは別個にあるものを他の主体に対して排他的に所有するとき、のことをいうように思います(もちろん共同所有の場合もその共同体の他に所有可能な主体があるという状況を考えます)。 なので、 【1】登場人物:「主体」と「あるもの」と「その主体以外の(所有する行為をなし得る)主体」 【2】「所有」:主体がすることの一種で「あるもの」を「その主体以外の主体」に対して排他的に利用することができる状態 【3】暗に含まれていること:「その主体以外の主体」がいるということ。また、「その主体以外の主体」が「あるもの」を所有していないということ ですから、たとえば、 『身体が、「わたし」を所有している』 状況は、「所有」というものを拡張して、唯物的に、 身体という「主体」を考えて、「あるもの」を身体が取りうる「わたし」という状態に対応させ、 他の身体が取りえないという理由から「排他的にもつ」という意味合に拡張している という意味で、「所有」しているといってよいのではないでしょうか? ただし、私は勝手にfishbowl66さん質問に下記のことが暗に含まれていると考え、この点についても議論が必要と考えます。 【「所有」は包含的なもので、「主体」は「所有」することにより「あるもの」を自己の一部とするような感じがするにもかかわらず、逆に、「あるもの」が「主体」を「所有」するようなことになることもあるのでは?特に物質で構成されたものの上に現れる特性のようなものが「主体」となりうる場合には相互に所有するような構造になるのでは?】 これについては、特に【1~3】の構造をもてば人間の認識として「主体」のようなものを設定することができて特に相互に包含的であってもおかしくないと考えます。そして、そのような構造を持つ場合、他から見ると「所有」する方もされる方も不可分な存在「個」として見えるのではないでしょうか?

noname#15238
質問者

補足

いろいろ考えざるをえない、ご回答でした。 最後は、「労働」とはなんだろう?と・・・飛んでますね 他者の存在は、私の、今のプロフィールの疑問と同様、 「所有」に関係しているような気がします。 私は、考えることが好きですが、身体は眠りたいのかもしれません。 遅くなって済みませんでした、有難うございます。

その他の回答 (7)

  • mcqgogo
  • ベストアンサー率25% (19/75)
回答No.8

ややこしい問題に対して、僕はなるべく簡明を旨として臨むようにしたいと思っています。 そのための手段として、こう考えるとどうなるかを検証し、その解を評価するという方法があります。そのような態度でこの質問を考えた場合、「所有」に付随する夾雑物を取り去って、それを「付帯」と捕らえるとより簡明なると思います。その結果、この質問は物質と精神の関係を「唯物」「唯心」「二元」等、どう解釈するかという問題に関係してきそうです。 質問者すなわち生命体を、物質と精神(本能を含む)から成り立つ、と見ることは自然な解釈に思えます。質問には、「所有」を「付帯」と見ることによって解決される部分が多く含まれているのではないでしょうか?

noname#15238
質問者

補足

おおお~やっとかめ! この時、この場限りの、話ですが。 所有に関して考えるに前に、色々と積み残したことが有ります、たとえば、 視覚について、考えていた時、脳の中に、見ている「私」は、どこにいるのか、これがさっぱり判りませんでした。 視覚野は沢山有りますが、見る主体と言うか、中枢が無いらしいのです。 例えば、脳の中の「小人」を考えても、その「小人」が眼と脳を持っているとすれば、「小人の中の小人」・・・ 今までの、素朴に、自分の眼で見ている、に戻れないですね。 身体が、ゾンビの如く、「私」を制御します、 自己の同一性を疑う事もできそうですし、 「私」を観念と名付けた物質とも言えるかもしれません。 訳の分からない土産ですか、これからも宜しくお願いします。

noname#31063
noname#31063
回答No.6

「所有」とは、対象に権利と義務の保証を付加するという意味だと思います。 そもそも「保証」の概念は人間以上にも以下にも無いように思います。 人間を作った自然に物質的肉体も精神的概念も所有権などというケチくさい占有意志はないし一切与えていない。 ただ単に所有権を自らで作った暴挙の人間に慈悲で一時的に貸しているだけではないでしょうか。 「わたし」は原因、擦り込まれた記憶に所有されている。けれど「彼」という目的に向かって想像(創造)し進むもの。

noname#15238
質問者

補足

ふう~む、そうですね。 自然には有りませんね、人間が作ったんですね。 「わたし」は記憶そのもの、目的も無し、これでは寂しいですね。 ぼちぼち行きますか。

  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.5

まず、「私」とは何でしょう。脳という臓器ですか。それとも精神?こころ?魂?つまり「私」が所有する肉体いがいのもの・・・ 精神も魂も今かりに「霊」という言葉に置き換えます。(この場合、脳は臓器なので肉体にはいる) すると、肉体と霊のどちらが主であり、従であるか、という事になります。どうでしょう。あなたは自分自身をどちらだとおもいますか。 肉体が主ならば、その消滅とともに「私」の存在も消えます。霊が主ならば、肉体の消滅後その霊はどうなるのでしょうか。非物質が存在し続けることは出来るのでしょうか。 非物質って何ですか。非物質も「非物質界」というこの三次元では測定できない物質で出来た世界の「物質」なのでしょうか。 ここからさきは今のところ誰も実験、証明していないので、その人自身の人生への捉え方の問題になってしまいます。「霊」は、一般人には見えない非物質なので其の存在を認めるか否か(つまり死後も人は霊として存在をつづけるか)は、その人の人生哲学によって、体験によって違ってきます。 私の今までの体験と知りえた情報から申しますと、間違いなく人の本体は、「霊」です。肉体はちょうど車のようなもので、物質界で霊が色々な体験をするために必要不可欠な乗り物です。この乗り物なしでは、霊は物質界に介入することが難しくなってしまいます。乗り物は古くなったり、又は壊れたりすると役に立たなくなるので 普通の人は、その車を降り、(つまり死)次の新車を獲得すべく準備をします。其の時に、今までの全ての車での体験が生かされます。つまり学びながら向上していくのです。学年がちょっとずつ上がるように霊的にも少しずつ進化していきます。ですから、同時代の同年齢でも霊格(人格)の違いがあるのです。(それともすべてを遺伝子と生まれてからの僅かな体験の違いのせいにしますか?) この様に霊は物質界で学び得ることを全てマスターしてしまうと、それこそ「マスター」となり、次なる学びが待っています。例えば物質界で艱難辛苦に喘いでいる人間を救い導く様な・・・又人類にとってそろそろ必要な新しい概念や、哲学や、思想や、知識を適任者にインスピレーションでひらめかせる様な・・・三次元での生命や進化に関わるような・・・(どんなに材料を揃えても、この三次元で生命を作り出すことは今のところ、出来ていません。なぜなら、生命は霊からのものだからです。) 永遠に学びと向上が続くことでしょう。 「第六勘」、「ひらめき」、「インスピレーション」、これこそが非物質界からのメッセージなのです。 インスピレーションによって偉大な発明発見をする大天才たちは一種のいわば学問分野での偉大な霊媒なのです。 あのアインシュタインも夢のなかでのメッセージから相対性理論が閃いたそうです。 あなたにはこんな理論は受け入れられますか?荒唐無稽だとおもいますか? ソクラテスが輪廻転生を説いていたという話もあり、イエス・キリストは霊の不滅をとき、仏陀は輪廻転生からの解脱(つまり物質界からの卒業方法)を教えました。 これからの時代、きっと、人類に受け入れるだけの進歩と準備が出来たときに、偉大な物理学界の霊媒が三次元を超えた非物質界の存在を証明する様な研究と実験と証明をやり遂げてくれることでしょう。 私はそれをわくわくしながら待っています。この人生の間に見たいものです。あなたは如何ですか?

noname#15238
質問者

お礼

すみません、補足の書き方おかしかったですね。 「私は待っていない」が回答者様の「待っている」を否定しているように受け取られます。 「私は待っているだけじゃなく・・・」と言う気持ちです。 直感的に、感じたままを書き込んで、ご迷惑をかけたようです。 約束を破ってしまい、重ねて、すみませんでした。

noname#15238
質問者

補足

前例を尊重して補足欄になりますが、お許しください。 「私」や、「精神」を「非物質」としたのは、早計だったのでしょうか。 「物質」が「非物質」を「制御」したり、その逆が可能な理由、確かに解かりませんね。 ただ、私は待ってはいません。 良い回答、「有難うございました」

noname#10740
noname#10740
回答No.4

日本での臓器移植再開の時に、私は私の臓器を所有するのか否か、という議論をしたのを懐かしく思い出しました。移植推進派の医者は、そういう議論をナンセンスだと退けたものです。医者は総じてアホですね。私は私の右手を所有するか? という問いを立てて、私は川端康成の掌編小説、タイトルは「右手」だったかな、ちょっと忘れましたが、そんな話を持ち出しました。右手が存在する限りは右手は私を構成するので、私が右手を所有するというのは語義矛盾であるけれど、私が死んだ場合はその限りにあらず、でしょうか。死者の所有ということはありえないのですが、さて、どうでしょう。

noname#15238
質問者

補足

此処では、前例を尊重して、補足欄にさせていただきます。 このような問題には、臓器移植のような、具体的な事例から、普遍的な所有に下から上の思考方法が良かったかも知れませんね。 ただ、もう少し、ましな質問をしようとすると、臓器移植を含めた、医学的な話になると、「脳死」「尊厳死」等の難問とが絡んで、もうひとつ踏み込めませんね。「売買春」はリアルすぎますし。 参考にさせていただきます。

  • Sisyphe
  • ベストアンサー率25% (4/16)
回答No.3

 #1さんのご意見に賛同する者です。  2人の人間が議論をする上で、例えば「この机は赤いか」を議論するにあたって、『"机"が何であるか、"赤"とはどのような色か』というのは暗黙の上で前提になっていることが多いです。さらにそういった自明とされる物体や概念(机や赤)は、辞書を引けば明快に理解されうるほどに"定義"されています。  ところがおよそ多くの哲学的議論は、この外にあるようです。"定義!公理!"として厳密に作り上げればそれは論理学や分析哲学のようなものになるでしょう。  さて、#1さんの仰ったように、「所有」とは何か指し示して頂けなければ、回答者の回答は全てただの「感想」になってしまい、議論でも何でもない、小学生の遠足の感想文と大差ないほど散漫なものになるでしょう。  次に。明確に定義できない(自分が勝手に定義しても相手の納得を得られないような)場合には、その物体や概念をあらゆる(多くの)側面から記述してみることではないでしょうか。  『「感情」とは何か』と考えるとき、例えば勝手に定義をして「感情とは林檎である」と言ったとしても(別にそれはそれで1つの定義なのですが)相手の納得を得られそうもありません。かと言って明確な定義ができないものですから、相手と相談して決めていくんです。それが議論という作業ではないでしょうか。ある人は「感情とは、感覚性の神経細胞が興奮を中枢に伝え、またある繊維は大脳間を巡るものである」と大脳生理学的な答えをするかも知れません。またある人は「感情とは、全ての良い人が持つ独自な美しさであるにも関わらず、決して他者とは分かち合えないヤマアラシである」と詩的に答えるかも知れません。  ですから最低でも、fishbowl66さんなりの言葉をここに書いてみるべきではないでしょうか。その言葉に賛同の声もあがれば批判の声もあがることでしょう。  また、「所有」の1つの側面を、見つけられる限りここに書いてみるのも良いでしょう。「私は今現在コーヒーカップを所有している」などと言えば哲学の逃げ道のようですが、それもまた1つの事実としてくみ上げていくことで、「所有」の持つ性質に近づけることもあるでしょう。

noname#15238
質問者

補足

私の言葉 万人に理解されない、学問によって 人々が幸福になるのなら それは、ただの隷属である。 私は難しいことを言っているのでは有りません。

  • Helfgott
  • ベストアンサー率44% (66/149)
回答No.2

「精神は物質に取り憑かれている」 ・・・と言ったのはマルクスでしたか・・? なんとなく思い出しました。 心身関係を「所有」関係と捉えるのは珍しい ように感じたのですが、要はどちらが優位に 立つのか?ということを問題にしてらっしゃ るのですよね?

noname#15238
質問者

補足

現在の、所有・所有権の基礎は、 ロックによる 「私の身体は私のもの→身体の行う労働は私のもの→自然に私の労働を加えて取り出したものは私のもの」 この図式が無意識のうちに有ると思いますが。 身心関係が目的ではなく、所有とは何かを問題にしています。 逆に問い掛けられるとは、想定外でした。

回答No.1

 「あなた」は身体を所有できず、非物質は物質を所有できません。  身体は「あなた」を所有できず、物質は非物質を所有できません。    質問の前に「所有」とは何かを、定義しましょう。  回答に対する予見は、一切無用です。    わたしを記憶、身体を臓器、非物質を知識、物質を言語と置換すれば、 「所有の哲学」とは「含有・包括・支配の概念」と推定されます。    その逆で、AがBを、BがAを、CがDを、DがCを所有できるのは、 あなたが社長で、身体は会社、非物質は業務、物質は給与の場合です。    つぎに質問が回答を支配し、回答が質問を裁定するケースもあります。  Q&Aの極意は愚問賢答にあり、つまらないのは賢問愚答です。

noname#15238
質問者

補足

ゴホゴホ、お礼をしないと言う、ムカつく質問に最初にご回答いただき、有難うございます。 お礼をしないとしたのは、私の意識や意図が回答に反映される事無く、色々な視点からの「所有」についてのご意見が聞きたかったのです。 他のご回答者の上手な手口に乗って、補足を入れてしまった以上、お礼をしない意味はなくなってしまいました。 慣れない事をするのは難しいですね。 此処をお借りして、Helfgott Sisyphe 様にもお礼いたします。

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