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終戦以前に朝鮮から内地への人の移動は自由?

微妙な問題ではありますが、質問させていただきます。 当時、朝鮮から内地への外地出身の人の移動は制限なく行われていたのでしょうか。 さらに台湾からも同じことでしょうか。 ご存知なかたお教えください。 政治的な問題ではなく、まったくもって単なる疑問です。

みんなの回答

noname#69281
noname#69281
回答No.5

終戦以前が戦時中の話を指すのでしたら、昭和17年頃より朝鮮・台湾からの内地向けの一般旅行は制限されています。 <内地~北海道の連絡船も同様です つまり、乗船可能なのは公務、職務においての移動・転勤者か、軍隊輸送に限定され、国民徴用令に基づく内地向け移動(中韓の言う強制連行ですが)もこれに含まれます。 <あとは進学に伴う内地向け移動ぐらいですね これは、船腹不足と軍隊輸送を中心とした旅客数の激増に伴う制限措置ですので、物見遊山といった旅行に限らず、私企業による商談による利用なども大幅に制限されています。

noname#191689
noname#191689
回答No.4

朝鮮から内地への移動方法は船です。 少なくとも乗船の際に記録等を取って把握していたのではないかと思われます(注:左記は特に調べずに書いています)。 しかしこのサイトを見る限り、どうもトラブルが頻発していたようで、渡航制限をかけたことも何度かあるようですね。 http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1664/didi/zainiti_raireki.htm ------------------------------------------------- 戦前の新聞記事見出しより 『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30 『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日 1938/3/3 『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3 『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29 『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1938/5/2 『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞 1938/5/21 『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』 福岡日日 1938/7/24 『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/8/26 『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 中国 1938/9/1 『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17 『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/12/20 『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21 『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3 『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12 『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13 『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18 『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5 『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕 『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版 『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30 『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14 夕 在日朝鮮人人口の推移 (テーブルを使った表) 在日朝鮮人人口動態 内務省警保局統計 他 年度 在日朝鮮人数 増加人口数(前年比) 特記 1910 . . 韓国併合・朝鮮で「土地調査事業」~1918 1915 3989 1916 5638 1649 1917 1万4501 8863 1918 2万2262 7761 第一次世界大戦終了・日本で米騒動 1919 2万8272 6010 朝鮮で3.1独立運動起こる・朝鮮人の渡日制限~1922 1920 3万0175 1903 朝鮮で「産米増殖計画」~1934 1921 3万5876 5693 1922 5万9865 2万3989 日本への「自由渡航制」 1923 8万0617 2万0752 関東大震災 1924 12万0238 3万9621 1925 13万3710 1万3472 再び日本への「渡航制限」~1938 1926 14万8503 1万4793 1927 17万5911 2万7408 1928 24万3328 6万7417 1929 27万6031 3万2703 1930 29万8091 2万2060 日本に世界恐慌が波及 1931 31万8212 2万0121 満州事変(日中15年戦争の始まり) 1932 39万0543 7万2331 満州国建国 1933 46万6217 7万5674 1934 53万7576 7万1359 1935 62万5678 8万8102 1936 69万0501 6万4823 1937 73万5689 4万5188 盧溝橋事件で戦火拡大 1938 79万9865 6万4176 国家総動員法が成立 1939(昭和14年) 96万1591 16万1726 国民徴用令が成立(朝鮮に適用されたのは 1944年9月から) 「募集」 日本企業が朝鮮で自由に労働者を募集することを許可 1940 119万0444 22万8853 1941 146万9230 27万8786 真珠湾攻撃で日米開戦 1942 162万5054 15万5824 「官斡旋」 総督府が朝鮮人労働者を募集 1943 188万2456 25万7402 1944 193万6843 5万4387 「徴用」 法律により労働を強制された 1945(昭和20年) 210万0000 (諸説あり) . 終戦 1946年3月18日 64万7006 . 厚生省による在日朝鮮人の登録 (この時登録しない者がいたので100万人程いたと書く本もあり) . 1999年末 54万6553 . . ------------------------------------------------- なお、渡航関係はわかりませんが、台湾には内地同様昭和14年に徴用が適用されているようです(朝鮮では昭和19年に適用)。 それとやはり上記サイトに ------------------------------------------------- 第二次大戦末期に、台湾からも多くの少年工が来日している。しかし、彼らは「強制連行」ではなく、厳しい選考をへて、来日が許可されたのだった。 ------------------------------------------------- という記載もありますので、少なくとも許可制の時期があったのは確実です。ただ、最初から終戦までずっと許可制だったかどうかは厳密には謎ですが、台湾・朝鮮と内地の言語能力・勤務態度差等による給料差・物価を考えれば内地への渡航者希望が非常に多いと考えるのはおかしくないはずですし、これに伴う混乱を避けるべく渡航をある程度制限していたのは想像に難くないかと思われます。

noname#14405
noname#14405
回答No.3

昭和初期の山頭火の日記には、九州各地の木賃宿に朝鮮人の行商人などと泊まり合わせる記述が頻出しますし、当時の下関(昭和5年)に朝鮮人が非常に多く、女性が民族服でいる事や、門司も同様であるとの記述もあります。 北九州の若松(昭和7年)では朝鮮文字の立て札があるともあるし、長崎では宿の娘が朝鮮人の人参売りと駆け落ちした云々という話も出てきます。 山頭火の跡をたどる限り、九州各地には、ごく普通な(というか身分の余り高くないと思われる)朝鮮人があちこちにいたようです。 よほどの有力者ならともかく、内地に渡って商売をしていた、その辺の一般の朝鮮人に厳しい監視がついたとは思えません。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.2

原則的にいえば当時は日本の統治下にあったのですから内地同様自由であったはずです。 表向きはそうだと思いますがやはり監視下にあったでしょう。

  • LEOat
  • ベストアンサー率21% (6/28)
回答No.1

確か朝鮮半島出身者が日本へ渡航するためには「旅行証明」が必要だったと記憶しています。 これは所轄警察署から受け、出発地の警察署に提出する証明書だったのですが、当時朝鮮人の移動規制に関しては様々な議論がなされており、この制度も1922年12月に総督府令により一時廃止され、その後1923年9月の関東大震災を機に復活、更に1924年6月にまたも廃止されるなど、一定した規則ではありませんでした。 当時から密航者も多かったそうです。

sakura246
質問者

お礼

なるほど。ありがとうございました。監視下にあったという見方のほうが強いと言えますね? 同じように、内地に住んでいる人たちが、旅行をする(例えば朝鮮に)ときには、「旅行証明」は必要なかったわけですから。 震災が大きな転換点であったということもうなずけます。 台湾では、昭和になってから請求権問題というのがあったときいていますが、これはどうなんでしょうか。 とりあえずありがとうございました。

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