• ベストアンサー

春宮と東宮の違いは?

春宮と東宮は意味が同じというのに、なぜ「春」であり「東」であるのですか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#15943
noname#15943
回答No.2

古代中国の五行思想で、つぎのような対応があると考えたところがもとです。 ┌水┐  ┌黒┐  ┌北┐  ┌冬┐ 金土木  白黄青  西中東  秋○春 └火┘  └赤┘  └南┘  └夏┘                       ○は土用、四季に配分 木=青=東=春 火=赤=南=夏 土=黄=中央=土用 金=白=西=秋 水=黒=北=冬 No.405751の回答、特に#2もごらんください。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=405751

その他の回答 (2)

  • junt
  • ベストアンサー率38% (97/254)
回答No.3

 参考になるかどうか分かりませんが、東宮と春宮は現在は同じものを指しますが、昔は東宮は皇太子の教育を担当し、春宮は皇太子の生活上の世話を担当していたのだと思います。  皇太子に奉仕する職員の確実なる初見は、697年持統天皇が軽皇子(文武天皇)の立太子に当たって任命した東宮大傳(ふ)、東宮大夫(だいぶ)、春宮亮(すけ)であるが、律令では、東宮傳・東宮学士および春宮坊が置かれた。傳・学士は皇太子の補導教育を任とし、春宮坊は皇太子の家政機関である。春宮坊には、大夫・亮・進・属の4等官を置き、舎人・主膳・主蔵の三監(げん)および主殿以下六署を管轄した。また、光仁天皇の宝亀七年(776)初めて春宮坊に帯刀(たちはき)舎人十名を置いたが、後増員して三十名を定員とした。東宮に侍衛し、非常を警備するのを任とし、後には武士を選任することも多くなった。    明治維新後の新官制では、春宮坊に傳・学士および大夫・亮などを置くことを規定したが、明治二十二年嘉仁(よしひと)親王(大正天皇)の立太子に当たり、東宮職官制を定め、東宮職に東宮大夫・東宮亮および東宮侍従長・東宮侍従・東宮武官などの職員を置き、更に二十九年東宮侍講を任じ、三十三年皇太子成婚後は東宮女官を置いた。  (参考)帝国学士院編『帝室制度史』第三巻(皇位継承)。  

  • haru-san
  • ベストアンサー率44% (114/256)
回答No.1

こちらのサイトを参考にしてください。 http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_mikado.html#Kotaishi

参考URL:
http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_mikado.html#Kotaishi

関連するQ&A

専門家に質問してみよう