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デカルトの、、、

nekomusumeの回答

回答No.1

土屋賢二先生の「われ笑うゆえにわれあり」など読んでみられたらどうでしょう。 「哲学」でも、気楽に読めます・・・ どんな方かは以下のURLをご覧になってね!

参考URL:
http://www04.u-page.so-net.ne.jp/gb3/kenji-ts/

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