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冷戦が自民党政権を支えた?

米ソの冷戦は自民党の長期政権を支えた要因の一つであると言うことを聞きました。これは本当なのでしょうか?どういった理由からでしょうか?

noname#910
noname#910
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  • bazarakm
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回答No.2

要因の一つであることは間違いないでしょう 又#1氏の回答も大筋で正解と思います しかし一番の原因は自民党以外の政党で政権を取る努力、選挙態勢を整えた政党はありませんでした 先の回答にあるように旧社会党が票を伸ばす(政権を奪取する)可能性があった時期がありまして、社会党も「自民党の一党独裁を許すな!」などとスローガンを掲げたりしましたが選挙で議員の半数を獲得するべき候補者の擁立をせず、当時の党首は自らの選挙区で75パーセント前後の得票率を得ているにも拘らず他の候補者が同一選挙区で出馬することを許さず他の議員もこれに習い、同一選挙区で2候補擁立を拒んだため常に政権を手中に入れるための候補者数を立てることはありませんでした 自民党は複数の当選者を獲得する可能性が有れば二人でも三人でも同一選挙区で擁立し政権確立必要議員の絶対数を確保してきたことが政権を長期化させました 今思うと、社会党は政権を担う気は全く無かったと思います 政権を担えば当然国防、経済、外交等等あらゆる国策に責任を持たなければなりませんが、政府或いは与党の批判と中傷をするだけで前向きな議論は一切拒否していました マスコミは当時共産党や社会党を革新政党などと呼んでいましたがこの頃から革新とは呼ばなくなりました 反対するだけで政策案は殆ど無く次第に国民の気持ちは離れていったと思います 日本人にとってソ連という国は一つの不安の対象でした 先の大戦で、日本はソ連とは不可侵条約を締結していましたのでソ連軍が日本人を攻めることは無いと思っていました しかし日本の敗色が濃厚になると突然条約を破棄し満州に攻め込み、更に日本がポツダム宣言を受諾したあとに 北方四島に進駐し自らの領土とし現在に至っています ポツダム会議の前ヤルタ会談の際には日本を分割し、北海道の領有を主張していたことが知られていました そのためにも日本はアメリカとの安全保障条約が必要でした 安全保障条約を進める自民党と条約に反対する社会党の考え方の違い、こんなことも要因の一つになると思います

回答No.1

極めて個人的な見解の意見を述べさせていただきます。(ざっくばらんに)55年体制って知ってますか?1955年当時に保守:自由党と民主党が合併し、保守合同=自由民主党誕生となり、革新:社会党右派と左派が合併し、社会党=現社民党になって、この与党:自民党対野党:社会党という構図が長期に渡り続いたってことと認識してます。これは細川連立政権誕生(自民党は保守合同後初の野党に転落)まで続いていたわけで、これはちょうど冷戦の終結と時を同じくしているわけです。それでは、なぜ米ソ冷戦が55年体制を支えたか?ってことだと思いますが、これは一般論として言われていることと認識してますが、第二次大戦後、資本主義を標榜するアメリカと社会(共産)主義こそ理想国家とするソビエト連邦との世界を二分する冷戦が始まります。敗戦国の日本はアメリカに統治され、米ソの代理戦争である朝鮮戦争を契機に極東におけるソ連への防波堤として再軍備(警察予備隊~自衛隊)を行い、また資本主義のショウウィンドウ的役割(資本主義は素晴らしいというアピール)をも担い、多分アメリカの戦略に基づき「奇跡の復興」を遂げたのでしょう。それで、日本国内における自民党の役割として「資本主義を守る」側としてアメリカを擁護(というよりアメリカの支援のもと)する立場から日米安保を堅持し、ソ連から日本を軍事的にも思想的にも守ることが課せられました。これは資本主義において富を築いてきた経済界も全面的に支えました。これに対し、社会党は社会主義革命を民衆の手で成したソ連をモデルとして、日本を社会主義国家体制にしたいという理想をもって自民党に対峙しました。敗戦の厭戦気分覚めやらない当初は本気で革命(民主的手法による)を起こしたいと考えていたみたいですが、(共産党はまだ諦めてないみたいですが・・・)日本が豊になるにつれ、国民の大多数は保守を支持し、保守の怠慢を監視させるための革新という風に位置付け、「自民党独裁政権」と「万年野党:社会党」というカタチが長期に日本の政治体制を支えて来ました。ところが、ソ連が崩壊し、自由主義・資本主義国家ロシアが誕生したら、自民党の従来の役目がなくなってしまいました。ソ連から軍事的にも思想的にも日本を守るという命題が・・・。社会党に至っては理想国家としたソ連の崩壊でよりどころをなくしたばかりか、隠されていた社会主義の失敗が次々に発覚し、存在意義すら危うくなりました。こうなると、いままで社会機能を維持してきた55年体制は崩壊に向い、保守を擁護してきた経済界も社会主義革命の恐れもなくなり、ソ連から攻められることもないので、今まで通りに全面的に保守を支援する理由もなくなりました。そんななかから「歴史的直感」をもって突然出現した細川:日本新党を中心として「新保守主義」「社会民主主義」などなどの新しい社会体制を模索する動きが活発化し、小沢一郎が最後の55年体制の内閣:宮沢政権にピリオドを打つように自民党を離党、細川連立内閣を画策、樹立させることにより、55年体制は終焉しました。社会党も実質的に崩壊し、名前を社会民主党に変え、自民党と社会党の二大政党と言われた時代の影はなく細々と土井さんが頑張る政党になりました。以上、私の勝手な認識を述べましたが、もっと詳しく説明できる方、後は宜しくお願いします。

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