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江戸時代には日曜が有ったのでしょうか?
時代劇を見ていると休日の設定が出てきません。番頭さんはお使いに行って、帰りにつれこみで逢い引きしていたりします。休日のイベントを平日にやっているのでいつも奇異に感じています。江戸時代(以前も)には曜日の概念はあったのでしょうか。
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七曜の概念は古代バビロニヤに発すると言われていますが、わが国へは中国を経由し、平安時代に空海が伝えたとされています。 http://dict.threetree.jp/21/9395.html しかし、この七曜の概念は、吉・凶を占う占いのためのものであり、庶民の休日とは無関係 のものでした。 江戸時代には武士は「三勤一休」といい、3日勤務すれば1日休みが貰える、商家では丁稚奉公の 者が年に二日間だけ(1/16, 7/16)休暇を貰い、これを「薮入り」といっていたそうです。 (ただし、元服以降の成年には薮入りは無かった由) また、武家奉公の女性は「宿下がり」といい、7日くらいの続いた休みが貰えたようです。 http://homepage1.nifty.com/ooedo/ed_gyoji/ed_01/ed_g01_i.html 明治元年に太政官布告により、毎月31日を除く1,6の日が休日定められ、明治9年には これに換わり、欧米に倣って土曜日の午後と日曜日が休日と定められ、またこの間、明治6年 には上記以外に祝日が8日ほど設けられています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%AF%E6%9B%BF%E4%BC%91%E6%97%A5 http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/kyujitsu.htm (ウィキペディアの資料は有名なのですが、さすがに江戸時代についての書き込みは無いよう です。(^_^;)) 明治以降の資料は豊富にあるのですが、江戸時代の資料は少なく、この程度のことしか わかりませんでした。
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- sophia35
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度々すみません、#1です。 別に回答と関係ないので、うっちゃっててもいいかな?と、思いましたが・・・ 因みに半ドンは「どんたく」説と「号砲(ドン)」説と両方ありますので、好きな方で納得すれば良いのではないかと・・・ http://dict.threetree.jp/7/3790.html
- thirithiri
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#1さんの半ドンは違うと思いますが・・・。 オランダ語の日曜日を意味するドンタークからきているはずですが?
- ume70
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確か1日と15日がお休みだったような気がします。 明治時代になると31日を除く1と6のつく日が休みになったようです。でもすぐ日曜日が使われるようになったようです。
お礼
回答有り難うございます。 1、15ですか。それを思うと今はずいぶん休めるようになったんですねぇ。 1,6というのはごと日の翌日ですね。集金が終わったら休むんですか。なるほど合理的だ。
- sophia35
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おはようございます。 江戸時代に日曜の概念はありませんよ。 元々一週間の概念はカトリックの概念であり、聖書の創世記に記されているように、神が六日間かけて創造物を創りあげ、日曜日に休息を取った事に由来されています。 日本では江戸末期、出島のある長崎の役所で、外国人に合わせて日曜日に休みを取り入れたのが最初です。 開国してのち明治初期頃からは官庁にも取り入れられ、土曜日は半日就業(因みに、仕事の終了の合図として大砲が撃たれた事から、半ドンと言う言葉が出来ました。)日曜日は休み・・・と言う風に制定されました。 御参考になれば幸いです。
お礼
回答有り難うございます。 そうか、世界を作って休んだんですよね。 ということは、中国にも近代になるまで貴有った休日が無かったんですかね。
お礼
藪入り、宿下がりは時代劇で聞きますねぇ。三勤一休はうらやましい限りです。しかし、お店などはどうしていたんでしょう?盆暮れ以外は開いてたんでしょうか。まあ、今でもコンビニなんかはそうですねぇ。 工場労働者や、学校以外は休んでいい日なんて無いんですね。何となくわかってきた気がします。でも、キリスト教の国はどうしていたんでしょう。八百屋も土日休むんでしょうか。そうか、安息日は生鮮を食べない約束が有ればいいんだ。これは合理的。