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言語相対論の観点からの擬音語擬態語

検索してもわかりませんでしたので、質問させていただきます。 日本語には外国語に比べ3倍ほどの擬音語、擬態語があるといわれているそうです。そもそも日本語に擬音語、擬態語が多いのは日本語には、母音と子音を組み合わせたたさんの音があるからなのでしょうか? そこのところを詳しく教えていただけませんでしょうか?どこかの質問では包丁できる時の擬態語、トントンは英語ではchop chopがいいとありましたが。。 日本人の思考と擬声語の因果関係を言語相対論の観点から知りたいです。お願いいたします。

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noname#27172
noname#27172
回答No.1

擬音語、擬態語が多いのは日本だけではありません。韓国語、インドネシア語なども日本語に負けないくらい豊富にあります。確かに、英語の擬音語、擬態語よちも少ないと思いますし、フランス語だと英語よりも少なくなります。でも、漫画なんかを読むと辞書にも載っていないような様々な擬音語、擬態語が登場します。また、一般的な傾向として、子供より大人、くだけた会話より改まった会話では使用頻度が少なくなりますが、日本語はいずれにしても 英語よりも 漫画などを除けば 遥かに多く使いますね。 日本語に擬音語、擬態語が多いのは 音韻的なものより、文法的なものに負うことと、感覚的なものを表現するのを好む傾向が強いというのもあるでしょう。ですから 日本語では容易に擬音語、擬態語を文章の中に入れやすいですね。英語だと論理的な表現を好むので、もともと擬音語、擬態語である単語も 動詞や形容詞として取り込まれ 淘汰されたと考えられます。clickという単語も もとは 擬音語です。 それから こういう問題は Japanese onomatopeiaなどをキーワードにして英語のページを検索した方が 的確なヒントが得られるかもしれません。

SSE
質問者

お礼

cherry77 さん、早速のご回答をありがとうございます。英語だと論理的な表現を好む、言われてようやくきづきました!なるほど、日本人である私は自分の考えを英語にして表現しようとすると、戸惑ってしまうのはこの違いもあるのかなぁと思いました。Japanese onomatopeiaをキーワードにして、検索しみます!検索のアドバイスまでいただけ、大変ありがたいです。ありがとうございました!!

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  • shangyan
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回答No.3

私も心理学の領域は不勉強なので、うまく説明できるか分かりませんが。 私たちが思考の過程を意識できるのは言語化された部分だけです。 言語化されていない思考を意識で捉えることは至難の業です。ましてそれは言語でないので言語で説明することはできません。 しかし、今では言語以外の思考方法が確かにあることが分かりつつあります。また、言語をもっていなかったり、十分発達していない乳幼児やチンパンジーなども、いろいろな思考ができることが立証されています。 意識にのぼる言語化された思考は、思考全体のごく一部分だろうと考えられるようになりました。 そこで、思考=言語という言語相対性仮説の考え方をとる人はほとんどいなくなったというわけです。

SSE
質問者

お礼

なるほどなるほど!! 私の場合、思考=言語という考え方で捉えるから訳がわからなくなるのでしょうかね。考えれば考えるほど、複雑になってしまう私です。 何度もありがとうございます(‗ ‗)

  • shangyan
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回答No.2

日本語の音節数(子音と母音の組み合わせ)は、110くらいしかなく、世界の言語のなかでも少ない部類です。 擬音語・擬態語が日本語で多いのは、どの音がどういった動きを表すといった体系があり、造語力が高いからだと思います。韓国語も日本語より多いと言われていますが、非常にシステマティックです。 言語相対性仮説(言語相対論)をいまそのまま信じている人は少数です。 よく引き合いに出されたエスキモー語の「snow」でも、400を超える言葉があると言われていましたが、実際は不正確な引用が繰り返されるうちに数が増えていっただけで、本当は1ダースくらいしかないということがわかり、結局、英語と同じくらいだったことが分かっています。 英語には「ゆ」と「みず」の区別はありませんが、「hot water」と言えばいいだけであって、直訳できないからといって思考がないとはいえません。 そして、この説が否定される一番の理由は、言語を使わない思考の例が数多く確認されてきたからです。私たちが意識できるのは言語的思考ではあるけれども、それは思考のごく一部であって、非言語的思考の方が本体であるというふうに考えられるようになってきています。

SSE
質問者

お礼

shangyanさん、回答をありがとうございます。 ちょうど、今、エスキモー語のsnowは雪に対する概念が強いためたくさんある、といったことが書かれている本を読んでおりましたので、正しい事実を教えていただきまして、情報を改めることができました。 回答を読ませていただいて、私が不勉強なため、どうしてもよくわからなかったところがありました。「私たちが意識できるのは言語的思考ではあるけれども、それは思考のごく一部であって、非言語的思考の方が本体であると言う風に考えられるようになってきている」というのは、どのようなことなのでしょうか? 差し支えなければ、教えていただけませんでしょうか?

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