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中国史について教えてください。

中国史について 春秋戦国期における社会変革の諸問題をあげて、それらの変革の意義を教えてください。 徙戒論について漢の武帝より八王の乱にいたる民族問題を教えてください。 隋、唐を考える上での北周、北斉の歴史的位置付けについて教えてください。 (nontanpandaは地理学専攻なので地理のことは教えられますが…皆さんお願いします)

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回答No.1

ご質問の内容がかなり広範囲なので、詳細部分をここで述べることはできませんので端的に考えます。 春秋時代の社会変革について ・鉄器鉄製農具の使用→開墾が進み耕地拡大→深耕・除草・刈り入れの容易  →牛耕と結びつき生産力の増大  「これらは春秋の中期(紀元前六世紀中頃)から開始された) ・冶金・漆器・製陶・製塩・紡織などの手工業者が民間の間で大規模に行わ  れた。「これらは戦国時代(紀元前453~)に入って現れた」   これらの産業発達は流通経済の発達・金属貨幣へとつながる。 ・諸子百家の登場(孔子・孟子・荀子・墨子・老子など)  「これらは孔子(紀元前551~前479)が始まり。社会経済の変動が  庶民の地位を上げ、学問の自由を生んだ」 変革の意義については「次代の統一国家成立の準備」でしょう。 戦国期の西方の秦国の孝公(在位前361~前338)は富国強兵のもと 中央集権国家をめざす改革を行った。のちに秦の始皇帝が登場。 政治的なことは先に述べた経済・文化の発展に裏づけされている。 民族問題については武帝のモンゴル地方遊牧民族「匈奴」征伐の敢行による ことに端を発している。これが匈奴の分裂におよんで民族大移動を起こす。 漢民族の間にはいりこんできたのである。 この波は西方のゲルマン民族の大移動も引き起こし、八王の乱をきっかけとして、もともと内地に移住していた異民族のほう起を起こし大混乱となる。 異民族とはモンゴル系の匈奴・羯・鮮卑、チベット系のてい・羌の五胡。 匈奴の劉聡は西晋を滅ぼした(永嘉の乱)ことで華北が異民族の手にゆだねられることになってしまった。その後、五胡が十六の国を起こし五胡十六国の乱世となる。鮮卑族拓跋氏の北魏の太武帝が439年華北統一する。 結果として異民族問題はその後の南北朝時代にはいるきっかけとなる。 (歴史のあらすじを述べたまでですが、細部の問題はよく知りません) 最後のご質問は難しいですが、仏教の隆盛と道教の躍進を考慮すれば、その後の宗教の繁栄と多様化の入り口期間となるのでしょうか。 あとは均田法(自営農民の育成)も重要でしょうね。 答えるには難しかったですが以上です。もう少し質問の焦点を絞っていただけたら答えやすかったのですが。

nontanpanda
質問者

お礼

地理を専攻していて歴史は日本史くらいしかわからないんです(ToT) 結局地理という学問自体が広範囲すぎて…。 『○○+地理学』ですべて地理になってしまいます。 例えば 行動論地理学、社会地理学、教育地理学・・・・ そして歴史も地理学になってしまいます。 歴史を専門としていなくても簡単に歴史を知ることが分かるような参考文献 はありませんか? 匈奴は騎馬民族で強いとか?鎮は匈奴から都市防衛のためとか?・・・ さらに中国史は特に寝返りとか裏切りとかが多くて全然覚えられません。 国境もころころ変わるし・・・ 回答ありがとうございました。大変参考になりました。

その他の回答 (1)

  • israfil
  • ベストアンサー率6% (5/79)
回答No.2

 中国史について概観するなら、十八史略がお勧めです。小説十八史略というのも出ていて、初学者でも楽しく読めます。あと古代中国なら、戦国策や春秋左氏伝などがおもしろく読めるものとしてお勧めできます。

nontanpanda
質問者

お礼

さっそく探してみますね。ありがとうございました。

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    どなたかご親切な方がいらっしゃいましたら 志望理由書の添削をお願いします! 私は様々な文化を多角的に学習することにより、現代における諸問題に対処する能力を身につけたい。また、より多くの人と交流することで広い視野を持ち、コミュニケーション能力に長けた人物になりたい。 高校の公民の授業の際に、「現在の日本では欧米化が進んでいて様々な制度が取り入れられているが、その制度の中には日本人の性質に合わないものもある」という話を聞き、日本人の性質、アメリカ人の性質とは何なのかということに興味を持った。私は国民性の違いや、文化の違いを学びたいと考えた。他にも世界では、民族対立、紛争、差別などの問題が多くある。私はそれらをもっと知り、文化を学びたいと感じた。 私は好奇心旺盛で打たれ強い性格である。趣味を通じて国際的な出会いがあったことや、洋画や洋楽が好きなことで外国に対する興味が人一倍強い。映画を見ている時や、音楽を聞いている時、英語と日本語訳の微妙なニュアンスの違いに気付き、自分の解釈で映画を観たり音楽を聴いたりしたいと感じた。 貴学部ではこの好奇心のもとをたどる文化が広く学ぶことができると考えた。貴学では、主副専攻制を利用することで、広がりを持った偏りのない学習ができるだろう。文化システムコースでは文化について幅広く学ぶことができる。さらに欧米言語文化コースでより深い英語の運用能力をつけたり、アメリカを始めとした欧米文化について深く学ぶことができる。入学できた際には文化論コロキウムや、○○先生のエスニシティ論、○○先生のテクスト分析論、○○先生の言語コミュニケーション論の授業を受けたい。貴学ではリーディングリスニングマラソン、学内留学、イングリッシュカフェなどのシステムの他、TOEIC,TOEFLにおける支援も充実しているため、積極的に勉学に励む環境が整っている。 私はそういった環境に甘んじず、自ら勉学に打ち込みTOEICやTOEFLのハイスコア獲得に挑戦したい。また、貴学の交換留学制度を利用して日本に多くの影響を与えているアメリカへ行きたい。アメリカで過ごす中で、実際にアメリカという国の文化や様式を体感し、英語の運用能力を高めたい。 また国際ボランティアプロジェクトに参加することで、現地の人の立場に立った文化理解を深め、人との繋がりを広げ、自身の貴重な経験として将来に役立てたい。 以上のことから貴学の国際文化課程を強く志望する。