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最近の風潮などについて
僕はタブレットでこれを書いています。 僕は機械ものに弱く、スマホとかSNSとかよく分かりませんが、勉強が得意で英語とか数学を最近は趣味でやっています。 最近また文化庁の調査で、読書離れが浮き彫りになってきました。 以前は国民の半数近くが1ヶ月に1冊も本を読まないということでしたが、最新の調査では6割が読まないという結果になったそうです。 本を読まない人の増加。 道理で書店や図書館が閑散としているわけだ。 現在はスマホとか9時間くらいやっている人もいるそうですね。 もうスマホ依存性ですかね。 だから本を読む時間がないというのは嘘です。 本は読んだ方が良いと思います。 最近は暑いのと、英語の勉強をしているため、読書はしていませんが、以前はモーパッサンとか川端康成とか読んでいましたよ。 皆さんは、昨今の活字離れ、読解力の低下などについてどう考えるでしょうか? 回答宜しくお願いします。
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本を読む人が減る→本屋が減る→本を見かける機会が減る→ますます本を読む人が減る この繰り返しでしょう。普段通勤に利用している自宅の最寄り駅(東京の私鉄の小さな駅)の周辺でも、昔は複数あった比較的小さな書店がゼロになりました。 なぜ本を読む人が減ったかといえば、やはりスマートフォンやパソコン・タブレットの画面を見る時間が増え、1日24時間は昔から変わりようがないので、この影響を強く受けていると考えられます。もちろん電子書籍などこうしたメディアによる読書も可能ですが、この増加分は紙の本の読書の減少分には追いついていません。 しかもこうしたことを続けていると、ちょっと長いまとまった文章を読むだけの根気(変な表現ですが「頭の体力」)が低下し、微妙な表現の味なども理解できなくなり、本がますます読めなくなります。 昔の中国人は「讀書百徧而義自見」(難しい書物でも繰り返し読めば意味が次第にわかってくるものだから、すぐに「わからない」と諦めてはならない)と言いましたが、今の若者は「読書百遍」どころか「読書一遍でもコスパ・タイパが悪い」と考えるでしょう。 これで良いとは思いませんが、これは世界的な流れであり、「時計の針は元に戻せない」と思います。「文字の国」と言われた中国でさえ、「中国人の読書離れ」が顕著になり、危機感を抱いた政府が「読書キャンペーン」を始めた、というニュースが伝えられたのが十数年昔のことです。 それに「今の若者は本を読まない・読解力がない」という批判は、今に始まったものではなく、インターネットやスマホ・パソコンが普及するずっと以前からありました。こうした新しいメディアがものがもともとあった本離れの傾向を加速させたに過ぎないと思います。回答者が若者だった50年前にも親の世代や明治生まれで戦前に教育を受けた祖父母の世代と比べて、「自分の不明を恥じる」ことが多々ありました。親世代や祖父母世代には常識となっていた様々なことが、すでにわからなくなっていたのです。 回答者が懸念しているのは、「読書離れ」もさることながら、ある程度まとまった時間に本を読み続けるのに必要な「頭の体力」の低下です。効率性やスピードが求められる世の中では悠長に読書などしていられない、と考えているのならまだしも、「読みたいと思っても根気が続かない」のなら事情はもっと深刻だからです。 複雑な考える過程をはぶいて直ぐに単純な結論だけを求めることが続いているうちに、「複雑な問題を考えるスタミナ」なくなってしまうことにつながるからです。この問題は「大事なのは「文学国語」か「論理国語」か」などという不毛な二者択一では解決できません。どちらも「読むこと」と「考えること」が必要だからです。 「眼光紙背に徹す」という言葉が現代ではほとんど死語になっているのも「宜なるかな」です。
お礼