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Aが偽のとき、Bの真偽によらず「AならばB」は真
学校で習った覚えがあります。 「AならばB」の真偽について、もしも、Aが偽の場合は、Bが真でも偽でも、「AならばB」は真であると。 ここで違和感があります。 特殊相対性理論は、 光速度不変の原理(前提)から、高速で運動する物体の時間はゆっくり進む(など)の帰結が導かれます。 (相対性原理は省略) これを「AならばB」に当てはめると、 「光速度が不変ならば、高速で動く物体の時間はゆっくりになる」です。 このAならばBを特殊相対性理論と呼ぶことにします。 で、 Aが偽なら、Bの真偽によらず「AならばB」は真ということになると、 光速度不変の原理が間違っているなら、そのあと、どんな帰結を言おうと、特殊相対性理論は正しいということになってしまいます。 これって、おかしくないですか。 光速度不変の原理が正しいと仮定して、妥当な帰結を導出したのが特殊相対性理論なのに。 どういうことでしょうか。
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- ddtddtddt
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>純粋に論理(数学)として・・・光速度不変の原理が真ならば、その帰結は必ず真になるのではないですか。 ・・・という事を、論理学は言っていません。「「A⇒B」が真」とは、 A(を真と仮定した)ならば(⇒)、Bは真. と言ってるだけです。論理学が保証する「「A⇒B」が真」は、「A⇒B」という推論自体の正しさを保証するだけで、AとBの内容とは無関係です。 例えばあなたが日本人だったとして、仮定Aに矛盾した(偽の)内容を与えてみましょう。 A:日本人は日本人でない. そうすると、次の結論Bを持つ推論、 日本人は日本人でない ⇒ 私は日本人ではない. は正しい推論です。でも現実にはあなたは日本人ですから、仮定Aが間違っていたことが、逆にわかります。論理(推論)って、こういう風に使いませんか?。 仮定Aが偽の場合、「A⇒B」は常に真なので、あらゆる結論Bが「真でなければならない」ことになります。従って、Bと現実との違いは、ほぼ確実にみつかるでしょう、という事になります。だから論理は使えるんですよ(^^;)。 だから、「運動物体の時間の遅れを測る」という「光速度不変の原理」の検証試験には、意味があるというわけです。逆に言えば、時間の遅れが反証された時には、「光速度不変の原理」は間違いだったと・・・。
- f272
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> 帰結の部分の真偽は、実際には実験とか観測で確かめないと分かりませんが(で、今のところ偽である証拠は見つかっていない)、 実験や観測でも確信の度合いが強まるだけで,真偽を判断できるわけではありません。 > 純粋に論理(数学)として考えると、光速度不変の原理が真ならば、その帰結は必ず真になるのではないですか。 なりません。「AならばB」の真偽についてわかっていないのであれば,Bの真偽はAの真偽とは関係なく判断できるのでなければ,何も言えません。
- f272
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> 「光速度が不変ならば、高速で動く物体の時間はゆっくりになる」です。 > このAならばBを特殊相対性理論と呼ぶことにします。 実際に特殊相対性理論と言われているのはちょっと違いますけどね。まあ,そんなことはどうでもよい。 > 光速度不変の原理が間違っているなら、そのあと、どんな帰結を言おうと、特殊相対性理論は正しいということになってしまいます。 > これって、おかしくないですか。 特におかしなところはありません。光速度不変の原理が正しいのならばその後の結論も考えないと全体の真偽は判断できませんが,光速度不変の原理が間違っているのなら,全体の真偽は真になると言っているだけのことです。「光速度不変の原理が正しいと仮定して、妥当な帰結を導出した」ことは関係ないですよね。
補足
帰結の部分の真偽は、実際には実験とか観測で確かめないと分かりませんが(で、今のところ偽である証拠は見つかっていない)、純粋に論理(数学)として考えると、光速度不変の原理が真ならば、その帰結は必ず真になるのではないですか。