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見る→見られる、着る→着られる、歌わせる→歌わ…?
ずっと前からよく見る(聞く)日本語間違いのひとつに、ら抜き言葉があります。上一段活用の「見る」や「着る」などに「ら」をつけず「見れる」とか「着れる」とか言っちゃうやつです。 今回文章を書いていて気になったものの文法的に説明できない例が出てきてしまいました。それが質問題名にもあげた「歌わせる」です。 「歌わせる」とは、ワ行五段活用の動詞「歌う」の未然形である「歌わ」に、使役の助動詞「せる」が付いた形。という事ですが、この「歌わせる」を「歌わせる事ができる」としたい場合は「歌わせられる」とするのが正しいのでしょうか? 「歌わせれる」だとら抜きっぽい響きで、文法的に説明ができないものの抵抗感があります。 それとも、「歌わせられる」自体も実は正しい言い方ではなく、どうしてもそう表現したい場合は「歌わせる事ができる」のように表現するしかないのでしょうか? 今回の場合どういった言い回しが正しいのかという事と、日本語文法の何について調べれば今後同じような場面で迷わなくなるか、教えていただけますか?
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- 24jack
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ご質問タイトルの「見られる」「着られる」の場合の状態は、 「人に自分のノートを見られる」「間違って自分の洋服を着られてしまった」 という状態なんでしょうか。 この場合、「被害に遭ってしまった」状態だと思うので、 同様だとすれば、「歌う」は「歌わされる」になると思います。 「見られる」「着られる」が「できる」状態、 「私はそれを見られる(見ることができる)」、 「私はそのサイズなら着られる」、 つまり、「I can see it」「I can wear that size」であるならば、 「歌う」は「歌える」ということになるはずです。 学術的なことはあまり良くわかりませんが、 okwave7722taroさんが挙げられた「歌わせる」は、 sp550uzさんのご回答にあるように、相手に強要させている状態です。 だとすれば、「歌わせる」は、変えずに「歌わせる」で良いのではないでしょうか。 蛇足ですが、近年は「さ入れ言葉」が蔓延ってきていて、 上記の「被害に遭ってしまった」状態の「歌う」は「歌わさせられる」、 強要する場合は「歌わさせる」などと言ってる人たちも多くいますね。 「ら抜き」と「さ入れ」、これらが日本語の使い方として正しいと言われる日が、 そう遠くないのかも知れませんね。 私はイヤですが(笑)
- sp550uz
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自分自身が可能な行動を表す言葉の変化として 見る→見ることが出来る→見られる(見れる) 着る→着ることが出来る→着られる(着れる) 歌う→歌うことが出来る→歌える(『ら』抜き言葉では表現しない) 『歌わせる』は、相手に強要させている状態です。自分が行動や動作をすることでは無いので、違和感や抵抗感があるのだと思います。 なので、書き方としては『歌わせられる』で良いと思います。また、歌わせれるでも《ら抜き言葉》としては良いのですが、日常会話として使う状況はありません。 普通に『歌わせられる』と聞くと、「(上司にカラオケを)無理に歌わされた」という解釈になります。わざわざ「歌わせられた(または、歌わさせられた《さ入れ表現》)」とは言いません。 書いてて、自分でも良く分からなくなってきました。スミマセン。
お礼
考えれば感がるほどドツボにはまりますね。 本来あまり無い(あるいは全く無い)状況・条件なので対応する言葉自体が無いということもあるのかもしれないですね。 今回の場合は機械音声を利用して歌を歌わせることができるという状況での言い回しでした。
お礼
今回の例は可能を表現する「れる」「られる」になります。 先の回答者さんもおっしゃるように、「うたわせる」事が「できる」という状況自体が現実の場面としてあまり出てこないというのが、今回混乱を招いているひとつの原因かもしれませんね。ちなみに今回は「機械音声を利用して歌を歌わせることができるようになった」という状況でした。 この例のように時代と共に言葉で表現する状況が変わってくるのは、言葉は生きてると言って間違っていた文法が正しいと変わっていくのと同じく変化していくんでしょうね……私もイヤですが(笑)