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これは妥当な指導?

中学時代の出来事です 中2の時 体育で「集団行動」というのがありました 6人ずつの班を作り、班ごと与えられた集団行動の練習をして発表するという内容のものです ある時、自分の隣の班(男子3名女子3名)のうちの男子2名が悪ふざけをしてたら学校の備品を壊してしまいました。 しかし、この班の6名はそのことを体育教師に報告しませんでした もちろんばれてしまうわけですが・・・ 体育終わりの整列の時 その班の6人が呼び出されて前に出されます そして備品を壊したことを問われ 壊した男子2名が背中を丸出しされて平手打ちされました(その体育教師の得意技 もみじ饅頭と言われてました) 体育教師は「見て見ぬふりをした」ということで残りの男子1名と女子3名に対しても同様のことを行いました 個人的にはやりすぎだと思う節もありますが皆さんはどう思いますか?

みんなの回答

回答No.4

昭和ならOK! 令和ならアウト!

noname#259313
noname#259313
回答No.3

今の時代なら、アウトのような気がする。 数十年前だったら、全然セーフ。

  • 5555www
  • ベストアンサー率48% (143/292)
回答No.2

これは妥当な指導?……どのようなケースであっても、「教師による体罰」というのは、「妥当な指導」だとは、私は思いません。ただ、私の中学生時代(もう60年も昔のことですが……)のことを想い出しますと、「教師による体罰……むしろ暴力にも近かったと思うけど」なんて当たり前だったように思います。私なんかもどのくらい叩かれたものか。太い竹の棒で頭を叩かれ、気を失いかけたことも想い出します。今だと、「あの野郎、即、懲戒免職」ですよね(笑)。でも、誰も問題にしなかった。当たり前として受け入れる時代だったように思います。体罰を受けたお前に問題があったんじゃないかといわれると、返す言葉もありませんが。 教育の在り方とか、教師への評価(昔の教師のほうが現在の教師よりも優秀だったとは到底思えませんが、……)というのは、現在とは全く様変わりのような気がします。時代により、社会の変化により、いろいろな評価があったんじゃないかと感じますし、「教育」そのものも時代の変化に翻弄されてきたように感じます。 私は、教育に携わったことがないので、「集団行動」という学習がどのようなものか知りませんが、「集団行動」という限りにおいては、グループ内の生徒の「協力の心を養うということと共同の責任を認識させる」ということはテーマにあったと想像します。ただ、その学習の趣旨・目的を達成できなかったからといって、「体罰」で応じようとするのは、やはりおかしいと思います。昔の日本の軍隊じゃないんだから。 ただ体罰を擁護する声のなかには「体罰がきっかけとなり、立ち直ることもある」とか「適切な荒療治も教育の一環だ」という声があることも確かです。教師や政治家のなかには、今でも体罰を容認する声はあるのではないかと想像します。宮崎県の東国原英夫知事(当時)が「愛のムチ条例、愛ゲンコツ条例ができないのか」と話して物議を醸しましたし、大阪府の橋下徹知事(当時)も教育問題の討論会で「口で言って聞かないと手を出さないとしょうがない」等と発言しています(橋下氏についてはその後、批判を受けて体罰否定派へ転向したそうですが)。東国原英夫知事(当時)や大阪府の橋下徹知事(当時)も単純に体罰を容認しようとしたのではなく、「程度の問題もある」ということが言いたかったんじゃないかと想像します。現在でも、政治家に限らず、体罰容認派というのは、潜在的にいると思いますね。 いろいろな意見があると思いますが、それでも、私は、「体罰は絶対ダメ」と思います。昔、中学生の時受けた体罰の恨みですかねぇ。それとも青春の苦い思い出ですかねぇ。(笑)

回答No.1

今の時代では 体罰です( ̄▽ ̄;) 問題になりますね

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