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明治の新選組

新選組隊士は明治維新で 全てを失ったように見えるけど みんな警備員、小学校の用務員、仏具店の店員、 相撲取りの世話人をやったりで 新しい社会にすんなりと適応してますよね。 維新側に負けて挫折感や敗北感を感じたり、 自分は落ちぶれたなと感じて落ち込むとか そういう事はなかったんでしょうか?

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  • eroero4649
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回答No.1

明治維新て、なんだったんでしょうね。約200年間続いた徳川幕府の世の中が終わり、大日本帝国という近代国家が誕生しました。徳川幕府というのは中世の封建体制だったわけですから、19世紀が近づこうという近代の世界にはどうやったってついていけません。それは中国の清朝やオスマントルコなんかもそうだったといえるでしょう。 ならば明治維新は「革命」だったのでしょうか。でも革命というものは血なまぐさい処刑を伴うものでした。ピューリタン革命でもフランス革命でもロシア革命でも、旧体制の支配者たちは処刑されることを逃れることはできませんでした。彼らが何か悪いことをしたわけではないのですが。 ところが不思議なことに、明治維新ではそのような旧体制の支配者が処刑されることはありませんでした。徳川家最後の将軍の慶喜も、佐幕派の中で最後まで戦った松平容保も、慶喜と共に徳川幕府の死に水をとった勝海舟も、みんな天寿を全うしています。 死んじゃったのは近藤勇と土方歳三くらいで、しかも土方歳三は「俺ァ死なねえと収まらねえなあ」と覚悟して戦死したように思いますので、処刑されたのは近藤勇くらいです。土方と共に函館で最後まで戦った榎本武揚は後に明治政府の大臣をやったほどです。 また伊藤博文などのいわゆる「明治の元勲」も、博文を含めて元々は尊王攘夷運動の志士だった人が沢山います。博文はイギリス公邸焼き討ち事件まで起こしているほどのバリバリのテロリストでした。 そんな彼らが「外国人排斥」を叫んで実行していたのに、時代が変わったらアッサリ開国し、それどころか「憲法というものがないと国際社会から近代国家として認められない」となるとわざわざ留学して勉強するほどのことやっているわけで、その「変節」についても彼らが葛藤したという様子がありません。 実はその「変節」を日本人はそれから約80年後にやっています。 日米戦争で欧米諸国を「鬼畜米英」とまでいって激しく憎み、原爆を落とされるまで破壊されつくしてアメリカに敗北したのに、マッカーサー元帥による統治を日本人はアッサリ受け入れています。マッカーサーが赴任したとき、日本中からマッカーサー宛ての手紙が届いたそうですが、その9割はマッカーサーを歓迎するものだったと元占領軍の米軍士官がNHKのインタビューで証言していました。なにしろ日本兵は絶対に降伏しないで最後はカミカゼまでして狂信的に戦うので、アメリカによる統治は各地で反乱が起きて大変だろうと米軍兵士は誰もが思っていたのですが、そんなことはほとんど起きませんでした。 映画「日本のいちばん長い日」でもあったように、終戦のその日まで、終戦に反対して玉音放送の録音を奪おうとした軍人が何人もいたんですよ。だけど、そんな人たちも玉音放送が流れちゃうと諦めるか自決しちゃうかどちらかでした。「俺ァ最後まで山に籠って戦ってやる」という人は誰もいませんでした。 明治維新といい終戦といい、どうも日本人はそういう葛藤がほとんどない民族みたいです。新しい時代に順応できなきゃハラキリ(自殺)しちゃって、それ以外の人たちはみんな器用に新しい時代に順応して生きていくのです。 司馬遼太郎の短編に「おお、大砲」という作品があります。あくまで小説なので当時の人々のリアルな気持ちとはまた違うかもしれませんが、あんな感覚だったんじゃないかなあと思います。 オリンピックとワールドカップとWBCがまとめて来たようなお祭り騒ぎだったんじゃないでしょうかね。ちなみに終戦から今が約80年です。また変節の日が近いかもしれませんね。

o2b32
質問者

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ありがとうございます。

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