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トー横キッズって昔のなんとか族と同じ?

昔、たけのこ族とか太陽族とかありましたよね。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11120/34614)
回答No.2

太陽族の頃には生まれておらず、竹の子族はまだ中学生くらいで原宿のホコ天で見かけましたけれど、当時全盛期だったツッパリ(不良少年少女)とファッション性などは近いものの、ツッパリともまた違う人たちだったように思います。今のダンス好きの若い子に近いんじゃないかな。ダンス好きの若い子もEXILEみたいなヤンキー系ファッションじゃないですか。 90年代に「援助交際」というのが流行りまして、そのエンコーと現在のトー横キッズは似ている感じはありますね。「居場所がない子供たちが集まってくる」というところですね。 90年代初期から中期くらいはそういう子たちが渋谷のセンター街に集まっていて、彼らは「チーマー」と呼ばれていました。チーマーがブイブイいわせていた頃は、センター街の治安は悪くてスーツ姿じゃちょっと近づけないって雰囲気でしたね。なぜスーツ姿じゃ近づけないのかというと、当時チーマーの間では「オヤジ狩り」といってスーツ姿のおっさんにインネンをつけてお金を奪い取る行為が多発していたからです。 当時チーマーに目をつけられていた出川哲朗さんや松村邦洋さんはNHKで仕事があるときは渋谷駅からタクシーに乗らないと、怖くて渋谷の町は歩けなかったそうです。 チーマーならびに援助交際をしていた不良少年少女とトー横キッズは、同じ空気感は感じますね。ただしチーマーのほうがずっと攻撃的です。トー横キッズは遠目に見てる割には危険はない感じです。トー横キッズがおっさんを狩ったという話もあまり聞かないですね。 90年代に援助交際をしていた子たちは「相対的貧困」の中にいた子が多かったそうです。当時は10代の子でもブランド物を持っているのが珍しくなかった時代。他の皆んながブランドのバッグを持っているのに私だけ持っていないのは恥ずかしいというので援助交際をしていました。 けれど当時は「一緒にカラオケ」だったり、あるいは当時あちこちにあったブルセラショップにパンツを売りに行ったり、直接的な売春ではなかったのがメインだったのではないかな。でも「JKとカラオケを一緒にしてもらって5万円」とかいわれていたし、パンツも1枚1万円で売れてたみたいなので、結構高いですね。 厳密なトー横、昔でいうところの「コマ劇前広場」は、東急歌舞伎町タワーが開業して賑わっていますので、一部それっぽい子たちが古いビルに張り付くようにしてたむろっている程度でかなり減りましたね。 広義のトー横キッズはそこからすぐの場所にある区立大久保公園の辺りで立ちんぼをしている子たちです。あれはもう20年以上前からチラホラいましたね。一度も声をかけたことはないです。だってヤリたくなるようなルックスの子はいなかったんだもん。それは昔から変わらないです。今でもFランク大学ならぬFランク風俗嬢みたいな子たちばっかりですよ。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6920/20475)
回答No.1

太陽族 はっちゃけた若者たち 竹の子族 人より目立ちたい若者たち トー横キッズ 家庭や学校から脱落した若者たち 核家族化が進んで 子育ての知識も 子育ての先生もいない親たちのところに生まれてしまった子供たちです。

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