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仏教では、被害者に落ち度のない事件をどう見るか

未解決事件などで、面識のない通り魔や強盗などにころされてしまう つまり思い当たるフシもない被害者がいますが、 仏教では、そういう事件をどう見ているのでしょうか。 まさか、被害者は前世で悪いことをした「因」によるから仕方ない、なんて言うのでしょうか。 それとも、人生は一切皆苦だからこらえなさい、ということでしょうか。 犯人に対しては、何かいうことはないのでしょうか。

みんなの回答

回答No.6

こんにちは! 仏教徒ではないけど仏教ならこうかな?というのを書いてみます Ⅰ 仮に未解決事件などで、面識のない通り魔や強盗などに殺された人間を下記の対象①~⑤としてどう思うか?それぞれ考えてください 対象 ①知りもしない赤の他人。会ったことのない、名前も知らない人、殺人事件の被害者としてニュースを見て初めて知った人など ②知っているけど個人的な知人でない。政治家、芸能人など ③個人的に知っている人。近所に住む人、会社の知り合いなど ④友人 ⑤恋人、家族など Ⅱ 考えましたか?考えたら続きを読んで下さい 大きい数字の項目ほど対象への執着が大きい 生じた思いの違いは対象への執着の大きさの差によるもの つまり仏教ではどう見るか?で聞きたかった質問者さんの答えは① 対象②ー⑤の原因について考えるのは質問者さんだからそれぞれ どうでしょう?

jipponge
質問者

お礼

理解を助けていただき、ありがとうございます。

回答No.5

貴方は、この件についての問題を、よくご存知ですね。 まず、仏教とは、BUDDHA『ブッダ』の教えであると同時に、BUDDHA『覚醒者・目覚めた者』になるための教えです。 日本の仏教では、時の為政者の統治を補う為に、 「被害者は前世で悪いことをした「因」によるから仕方ない」 「被害者に、人生は一切皆苦だからこらえなさい」 と諭すこともあったと聞いています。 その犯行を正当化するのではなく、是正を促すために、犯人に対して言うべきことはあると思います。 これらは、『業・カルマ』『カルマの法則』の悪用、もしくは誤用によるものだと思います。 この点については、部落差別の是正を方針とする部落解放同盟の方が、その内容を指摘されてきた歴史があります。 さて『業・カルマ』『カルマの法則』とは、 為した行為は、善い行為は喜びや利益として、悪い行為は苦しみや不利益として、返ってくる。 行為と結果の間には時間差があり、多くの場合、死をまたいで、「生前」の行為の結果が「今」、「今」の行為の結果が「来世」に持ち越される。 行為と結果の間の時間差は、生きている間に返ることもあるが、長い転生を経て影響する物語も仏典にはあります。 そういうカルマの法則があると考えられてもいます。 さて、 シャカムニが、端的に「被害者」や「犯人」ついて、語った内容は存じませんが、為した善行や悪行が返ってくる物語は、仏典でもよくあります。 また、 善人といえども、善行「善い行為」の結果が熟するまでは、悪い結果を見る。 しかし、善行の結果が熟する時、善人は善の結果をみるのだ。 悪人といえども、悪行「悪い行為」の結果が熟するまでは、善い結果を見る。 しかし、悪行の結果が熟する時、悪人は悪い結果をみるのだ。 という内容の詩が仏典にあると聞いています。 さて、仏教を信仰するといえども、司法に携わる人はいます。 その時に、その人は、 「被害者は前世で悪いことをした「因」によるから仕方ない」 「被害者に、人生は一切皆苦だからこらえなさい」 と言うことはないでしょう。 犯人に対して、捜査や逮捕、裁判や判決を通じて、警察が自白を促したり、検察や弁護士が尋問し、その裁判官が罪状や刑の執行を伝えると思います。 また、仏教は、輪廻転生からは解放させてないけど、現世で幸福になり、来世は幸福な天界へ行く方法・修行を教えています。 そして、輪廻転生、必ず変化する無常の苦しみから解放される、BUDDHA『覚醒者(真理に目覚めた者)』になることを教えています。 そして、その修行の基盤には戒律、一般的には五戒(五つの戒律)があります。 1、生き物を傷つけ殺さず、慈しむ。 2、与えられない者を盗まず、施す。 3、強姦や不倫、修行者なら性行為自体といった、性的に邪悪な行為をしないで、人々と和合する。 4、積極的な騙す嘘や、消極的な都合の悪い事を隠す嘘をつかず、優しく正しく綺麗に語る。 「悪口や、仲違いさせる言葉、必要のない軽薄な言葉も加えて戒められる内容もある」 5、お酒、酔わせるものを飲まない。 「タバコや違法薬物も加えられる内容もある」 つまり、 被害者には、「被害者に原因があるから」「一切皆苦だから」で、「泣き寝入りしろ」とか「大人しくしてろ」ではなく、 「戒律を守り、善行を為し、現世的な幸福とか、来世の天界への転生とか、BUDDHAとしてすべての苦しみを乗り越える為の修行」を促すと思います。 そして、 犯人には、「加害者には原因なく、更に一切皆苦だから」「むしろカルマを落としたという理由」での、「責任の回避」とか「肯定的な称賛」ではなく 犯行が戒律に反すること、それは、現世的な幸福や天界への転生、ひいてはBUDDHA「ブッダ」となる修行の妨げであることを伝えるべきでしょう。 修行の偉大な完成者、仏教の修行の達成者であるシャカムニをはじめとするブッダを、私は褒め称えます✨。 興味深く、真に皆に利益となる質問、有り難うございました❤️。

jipponge
質問者

お礼

理解を助けていただき、ありがとうございます

回答No.4

仏教的な見解は知らないけども、「被害者」の他に「犠牲者」とも表現できる。宗教では犠牲は尊いと考える風潮があるから、問題が厄介になる。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2310/5141)
回答No.3

>面識のない通り魔や強盗などにころされてしまうつまり思い当たるフシもない被害者がいます ゆとり教育の弊害・道徳教育廃止の弊害・権利だけを尊重して義務を教えなかった弊害ですね。 >仏教では、そういう事件をどう見ているのでしょうか。 加害者は、当然宗教的に最大の罪を犯した者となります。 じゃ、被害者は? 神仏が決めた寿命が(意思に反して)短くなった者としか、見なしません。 ※仏教でも、意志によっての自殺は罪です。 時々、「こういう定め」と割り切る人がいますがね。 単純に、生きていた期間をどの様に生きてきたのかを判断します。 短くなれば、短くなった時点までの期間。 あと、「10年生きていれば〇〇だった」という設定はありません。 一休禅師も蓮如上人も、同じことを言っています。 「どうせ死ぬんやから、今を一生懸命生きようや!」 深い教えですよね。 この説法には、続きがありまして。 「過去をくよくよするな。過去は買える事はできない」 「将来を悲観するな・悩むな。誰にも、明日の事は分からない」 この説法を実行した有名人が、パナソニック創業者の松下幸之助です。 「どうせ死ぬんやから、今を一生懸命生きようや!」 この説法が、この質問の回答でしようか?

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (422/1314)
回答No.2

そうゆう事が起こらない様に啓蒙・啓発するのが、あらゆる宗教 の役割だと思いますが。 キリスト教には悩みを告白する仕組みが有りますが、仏教には 有りませんし、葬式仏教化した僧に、その様な能力が有るとは 思えません、相談に来られれば、当たり障りの無い、お茶を濁す 程度の回答をするだけですね。 心理医療のカウンセラーの方が頼りになると思います。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1726)
回答No.1

殺されたのに堪えなさいは、無いと思います ただ、現世も六界(六道)のひとつであって、天国ではないのです 輪廻を信じている仏教では、人生(人間道)さえもひとつの道であって、それが全てではないのです また、殺生ですが、例えば子どもが飲み物の缶を道に置いたとします それが後日、風で倒れて転がり、それに自転車が乗り上げ転倒して死んだとしても、それが誰のせいなのかは不明で終わります あなたの持っていたチラシの紙が風で飛ばされて、いつか数十キロ先の自動車事故を引き起こしてたとしても、誰もわからないのです あのとき、あの人に声をかけて少し会話をしていれば、その人がその数時間後に、車に轢かれなかった・・とか そのような意味では、この世のすべてが加害者であり被害者であることも知っておくと良いでしょう

jipponge
質問者

お礼

理解を助けていただき、ありがとうございます

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