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庚申待の徹夜行事っていつ頃まであった?

庚申待という徹夜行事があったそうですが、いつ頃まで行われていたのでしょうか?明治?大正?昭和? 神社で庚申祭と称して参拝させたりもしているそうですが、三尸の虫を天に昇らせ無いようにしたという徹夜行事としてはいつ頃まで行われていたのですか? また、刻像塔は、徹夜しない為の見張り役としての身代わりの像だったのですか?

みんなの回答

  • nagata2017
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回答No.2

最後の二行が刻像塔のことです。

  • nagata2017
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回答No.1

平安時代から行われ、当初は公家や僧侶がやっていて、すごろくや詩歌管弦を楽しんでいた。『枕草子』にも庚申待の話が登場する。江戸時代に入ってから、民間にも広まった。庚申信仰は今では廃れたが、親睦会などに名前を変えて今でも庚申待を行っている地方もある。 ということで昔の行事とはずいぶんちがった形で残っている地方もあるみたいです。 三年十八回(庚申の日が60日ごとにやってくるので3年で18回)を重ねて供養のための「塚(塔)」を建立すると、請願が成就する ということで建てられたのが庚申塔で そのうちの庚申信仰の本尊である「青面金剛像」「阿弥陀如来像」などを刻んだ塔を指す。

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