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歎異抄を読んで

歎異抄を読んで、気になっていた文が有りました。 第五条 自分の父母のために 念仏をするのではない。 ならば、 お葬式で「盛大に行う葬式100万円、家族で行う葬式30万円」 執り行う葬儀は、極楽浄土への死者への往生の違いでしょうか? 第六条 師と弟子ではなく、ともに信仰の道を歩むものどうし。 寺院で階級の上下が有り上納金を納めるのは、師弟の差があるの ではないでしょうか? 後序① 信心する者には、上下・優劣がない。 死者の戒名に序列上下・優劣があるのは、お布施の多い少ない? 以上三点の質問をお答え願えませんでしょうか。 

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  • oska2
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回答No.3

>歎異抄を読んで、気になっていた文が有りました。 歎異抄は、弟子が「親鸞の教えと、その意味を記載した書物」ですよね。 ※親鸞本人は、弟子の存在を認めていません。 >葬儀は、極楽浄土への死者への往生の違いでしょうか? そもそも、親鸞は「葬儀は不要」と臨終時に述べています。 「葬儀は不要。屍は、鴨川に流して魚の餌に・・・」 >師と弟子ではなく、ともに信仰の道を歩むものどうし。 その通りで、親鸞自身は「誰一人弟子をもっていない」と述べています。 >寺院で階級の上下が有り上納金を納めるのは、師弟の差があるの ではないでしょうか? 現在の浄土真宗は、親鸞時代の浄土真宗ではありません。 親鸞の時代は、教団化する事も拒否していますよ。 が、親鸞の弟子を自認していた弟子が仏光寺を設立して教団化。 親鸞の娘も、親鸞亡き後に教団化を目指して(西)本願寺を設立。 蓮如の代からは、僧侶の上下関係が一般化しました。 寺院を優遇した江戸時代には、今の体制が完成したのです。 >信心する者には、上下・優劣がない。 信者には、上下関係は今でも存在しません。 真言宗・天台宗などの様な「先達制度」も、存在しません。 >死者の戒名に序列上下・優劣があるのは、お布施の多い少ない? 浄土真宗には、戒名は存在しません。 坊さんと同じ「法名」が付くだけです。 浄土真宗には、本来は「〇〇院」という院号は存在しません。 これも、江戸時代からの「あの世の沙汰も金次第」となった結果です。^^; 余談ですが・・・。 浄土真宗は、10派が有名ですよね。 浄土真宗の僧侶は、この10派のどこかに所属しています。 が、「本来の親鸞の教え」を重要視する集団も存在しています。 当然、10派からは「異端扱い」らしいですが・・・。

g0721475
質問者

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有り難う御座いました。

g0721475
質問者

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色々な派閥が存在する宗教ですが、本当の元となる 正しい教えは、世界で一つではないでしょうか。 どれもこれも、善いところおかしな処があり、他人 から、ああしろとか、こうしろとか、最後は自分自 身で判断すれば善いのではないかと思いました。 煩悩・欲・俗の塊、金が無ければ寺院も存続できな い、僧侶も葬儀寺の仕事で生きている。そんな気が します。

その他の回答 (2)

  • 5555www
  • ベストアンサー率48% (143/292)
回答No.2

g0721475さんのご質問の3点は、法然や親鸞の教えにはないことです。すべては「生きとし生ける人間」としての宗教者の現世における「欲」から生じているものと思います。この「欲」は、浄土真宗に限らず、他の宗教者であっても、私たち普通の人と何も変わりません。そして、このことは、今の時代に限らず、親鸞の時代にもあったのです。だからこそ「歎異抄」が生まれたのだと私は思います。 ただ、私は浄土真宗の宗教者・僧侶ではないので分かりませんが、法然にしても、親鸞にしても、葬式の規模だとか、上納金だとか、お布施の多寡だとか、そのようなことを問題にしているのではないんじゃないかと思います。「阿弥陀仏がこの世で生きているものをすべて救う、と約束されている。その約束をひたすら信じて、その約束に身を任せて、ナムアミダブツととなえることこそ究極の救いの道だ」と説いているのだと思います。ただひたすらに阿弥陀仏の本願を信じる心こそ大切なのだと教えているのだと思います。 まさに、第3の「善人ですら救われるのだ。ましてや悪人が救われぬわけはない。」ということに通じるのだと思います。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

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葬式もお布施も必要ないと言われています。死者にも 戒名という階級がありますが、信者には階級が無く皆 平等であると言われています。この世の中は全て幻想 の世界とも言われています。喜怒哀楽もその中に有る と、私は、一日一日(粍・秒)を大事に生きていく事 だけです。本音は、今の生活の現状維持で年金は減額 されたくないと思っています。金欲有りきです。最近 は、電気代やガソリン代、消費税で苦しんでいます。

  • yamada82
  • ベストアンサー率28% (15/53)
回答No.1

歎異抄は理解していないですが、私の考えとして。 1.葬式は亡くなった人に対して行うものではなく、残った自分たちのために行うもの。亡くなられた方への想いを整理するためだったり、自分が死んだ時にどうしてほしいか(亡くなられた方の考えも含む)でするものだと思います。 2.師が貧乏でも弟子が金持ち、師が金持ちでも弟子が貧乏。どちらが良いでしょうか。極端になるのは良くないのでルールを定めているのかもしれません。 3.戒名に上下・優劣がありますか?そう感じるということは信心が足りないということです。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

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親鸞聖人は、父母の葬式は一回もしていないし、今後も しないと言っている。親鸞自身の葬式でしょうか? 信心する者は、師とか弟子とかでは無く、皆同じレベル の事なので、身分とか金持ちとか関係ないと説いていま す。 戒名のランク、上に院殿号・院号・庵号・軒号・齋号、 下に(信士、信女)・居士(大姉)・大居士(清大姉、 大大姉)・の順位がある。差別は戒名によって受けな い。何故このような戒名があるのか解らない。 他人からの習わし、風習、しきたり、全ての行いをど うするかは、自分自身で決めること。葬式をするだの お布施を出すだの、自分自身で決めること。請求され て出すのはおかしいと、親鸞聖人は言われました。

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