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軍縮期の海軍兵学校生徒は優秀な人ばかりですか?
先日、ファミリーヒストリーを観ていたら大森南朋さんのお祖父さん(つまり麿赤児さんのお父さんにあたる方)が大森潤一といって第一航空艦隊の参謀までなったようでした。1944年に角田覚治・海軍中将らとテニアン島で亡くなられ最終階級が海軍大佐だったと思います。 さて、大森潤一・海軍大佐の事を調べていたら海軍兵学校の54期を卒業した事実を知ったのですが、この54期頃は軍縮の影響で採用が極端に少なかったようです。 という事は大森南朋さんのお祖父さんはとても優秀だったのでしょうか? 軍縮以外の時と比べてどの程度、生徒の質は違うものでしょうか?
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- oska2
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回答No.2
>大森南朋さんのお祖父さんはとても優秀だったのでしょうか? その通りでしようね。 海軍兵学校は、広島県江田島に存在しますよね。 今でも、海軍兵学校を引き継ぐ「海上自衛隊の幹部候補生養成学校」が存在します。 つまり、海軍兵学校も「将校養成学校」だったのです。 ですから、入学基準も高かった様です。 ちなみに「予科練」は、海軍航空兵(戦闘員)養成学校です。 余談ですが・・・。 終戦時には陸軍が最期まで徹底抗戦を叫んでいた!と誤った情報が広まっていますよね。 実は、海軍部は「2000万国民が総員特攻攻撃すれば勝てる!」と、天皇(陸海軍統帥権者)に進言しています。
- shinotel
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回答No.1
海軍兵学校と言えば、広島県の江田島の兵学校が有名です。 戦時中あるいはどんな時期でもにここに入学できるものは、体力、知力共に優秀でないと入れなかったと聞いています。 半世紀以上前に「あぁ江田島」という映画を観ました。感動ものでした。 陸軍中野学校も諜報員養成学校として有名でしたが、こうした学校は幹部候補ばかりですから、国を左右する人物として優秀でなければ入れなかったわけです。