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【日本史】京都三十三間堂の仏像は京都清水寺用の仏像

【日本史】京都三十三間堂の仏像は京都清水寺用の仏像のストックだったのでは? 京都清水寺の仏像が火災や地震などの震災で失ったときにすぐに三十三間堂のストックの仏像を京都清水寺に移すための予備の仏像庫だったのでは?

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2309/5140)
回答No.1

>京都三十三間堂の仏像は京都清水寺用の仏像のストックだったのでは? そういう逸話は、聞いた事がないのですが・・・。 まぁ、ご本尊が同じですから「権力者の意のままに」なる事も可能でしたね。 古来より、神仏は権力者と「持ちつ持たれつ」の関係でしたから。 ただ、質問内容に関しては疑問符が付きます。 蓮華王院(三十三間堂)は、比叡山系の天台宗ですよね。 対して、清水寺は「(明治維新までは)奈良・興福寺の末寺」です。 興福寺は、法相宗。 ※清水寺は、(独立後)北法相宗。 宗派が異なっても、仏像をやり取りする事は現実的ではありません。 余程の権力者(独裁者)の命令がないと不可能です。 ただ、「観音信仰」という点では共通性がありますがね。 実際、蓮華王院・清水寺は「洛陽三十三所観音巡礼札所」になっています。 ※平安時代に、後白河天皇が定めた。 「京都三十三間堂の仏像は京都清水寺用の仏像のストック」 面白い考え方です。 日本は「為政者が決めた正しい歴史」がないので、自由に発送する事は素晴らしいと思います。 誰も賛成・否定は出来ません。^^;

redminote10pro
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