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  • 登録日2012/03/04
  • 鐘を撞かれたら わが鐘の音を鳴り響かせるだけ。

     わが鐘を撞かれたら その度合いや撞き方にしたがって わが鐘の音をそのまま成り響かせるだけ。  これが さとりなる境地ではないのか?

  • ひとは やわらぎを得ることができるか

     (あ) あやまちを犯したひとを 存在としてとうとび あやまちについて 赦すことも赦さないこともしないし 出来ないし してはならないという境地になるとき ひとは やわらがしめられる。か。  (い) 赦す・赦さないについては 裁いてはならないということ。 (犯したあやまちの内実を説明してやるということ)。    (う) 社会との――世間との・そしておのれみづからとの――根本的な和解が成るか? ということ。  この不案内のまま 問います。自由なご見解をお寄せください。

  • 悪は 善と同じように存在していますか?

     1. ひとには 良し悪しという感覚とそしてやはりそれとしての主観的なともかくの判断があります。  2. 《良し》と見なしたことを 広く《善》と呼ぶとします。  3. この善なるものごとは 存在しています。何らかの危険に遭って助かったというとき そのわれなる存在の存続は 善だと一般に呼べるはずですから。  4. このとき・だとすると 《助からない》ことが 善ではなく負の善であり 一般に悪とよばれることだと捉えます。とにかく《良くない》ことでしょう。  5. このように捉えた悪は それとして善が存在するのと同じように 存在しますか?  6. 回答は ふたつに分かれると思います。   6-1. この趣旨説明での悪の規定にしたがって それが善と同じように存在する・または存在しないとして見解を述べる場合が ひとつ。     6-2. もうひとつは いやいや そのような悪の定義では 話が成らない。ゆえに これこれの定義を提示します。それによると 悪も存在すると見るか または 別の定義によっても 悪は存在しないと見るか。として見解を述べる場合です。  どうでしょう。  

  • 他人の言葉で 自分の心が傷つくか?

     1. あり得ないのではないだろうか。  2. あらためて問います。  というのは 他人の心の状態を――ミラーニューロン現象のように――わが身に帯びて しかもその相手の人生ないし思想を見守るがごとく〔主観的にですが〕引き受けるというとき じつはその相手と同じような心の傷を引き継いだ状態になることはあると考えられるからです。  3. 《すべての人に対して――こちらはまったく自由人であるとき それと同時に――それぞれ相手の人と同じようになる》ことはあり得るからです。その相手の問題をともに〔ただしむろん主観的にだけです〕解決する方向にわが身を置くということ。  4. そのような場合 わが身もわが心もあたかも傷ついたような状態になる。ことはあり得る。  けれども 相手が述べたイツハリの言葉はむろんのこと真実を伝える言葉であっても その言葉でこちらが傷つくということはあり得ない。  ――この命題を提出し 成否・当否を問います。    *  5. おのれのやましさ〔なる心とその行為〕によるよりほかに 自分の心が落としめられたり傷ついたりすることは あり得ないと考えられる。マチガイを侵さないのに どうして心が沈むのか。  6. この質疑応答の場でも やり取りの中で 相手の言葉づかいが原因で傷つき ついに退会したといった議論が聞かれます。  おのれの心のやましさによるのでないなら どうして傷つくことがあるだろうか。  7. 情況が自分にとって必ずしも良くはないときにさらにその思いを必要以上に噛みしめねばならなくさせるような酷い言葉やののしりの言葉などを聞けば まづひとはおどろく。    8. しかも きよらかなおそれをつねに持つひとは ひとたびはおのれの身の振る舞いについて返り見ることをおこなう。心に――その心なる海のおもてに――波風が立ちそのような一時的・心理的なゆらめきさえを覚える。  9. けれども 心がやましくなければ 心が傷つくなどということは あり得ない。  せいぜい 相手がまだ人間における心の深さに気づかずその高みにも到っていないことをおもんぱかり 何とか助けにでもなれないものかと心をいためるのみである。  10. もし傷ついて去って行ったとするなら それは そのひと自身のあやまちであるしかない。おのれの心にやましいところがあったからである。  11. 精神が傷つくことはあり得ない。  心なる海の上に波風が立つのみ。  深く傷つくのは 自業自得のみ。

  • 他人の言葉で 自分の心が傷つくか?

     1. あり得ないのではないだろうか。  2. あらためて問います。  というのは 他人の心の状態を――ミラーニューロン現象のように――わが身に帯びて しかもその相手の人生ないし思想を見守るがごとく〔主観的にですが〕引き受けるというとき じつはその相手と同じような心の傷を引き継いだ状態になることはあると考えられるからです。  3. 《すべての人に対して――こちらはまったく自由人であるとき それと同時に――それぞれ相手の人と同じようになる》ことはあり得るからです。その相手の問題をともに〔ただしむろん主観的にだけです〕解決する方向にわが身を置くということ。  4. そのような場合 わが身もわが心もあたかも傷ついたような状態になる。ことはあり得る。  けれども 相手が述べたイツハリの言葉はむろんのこと真実を伝える言葉であっても その言葉でこちらが傷つくということはあり得ない。  ――この命題を提出し 成否・当否を問います。    *  5. おのれのやましさ〔なる心とその行為〕によるよりほかに 自分の心が落としめられたり傷ついたりすることは あり得ないと考えられる。マチガイを侵さないのに どうして心が沈むのか。  6. この質疑応答の場でも やり取りの中で 相手の言葉づかいが原因で傷つき ついに退会したといった議論が聞かれます。  おのれの心のやましさによるのでないなら どうして傷つくことがあるだろうか。  7. 情況が自分にとって必ずしも良くはないときにさらにその思いを必要以上に噛みしめねばならなくさせるような酷い言葉やののしりの言葉などを聞けば まづひとはおどろく。    8. しかも きよらかなおそれをつねに持つひとは ひとたびはおのれの身の振る舞いについて返り見ることをおこなう。心に――その心なる海のおもてに――波風が立ちそのような一時的・心理的なゆらめきさえを覚える。  9. けれども 心がやましくなければ 心が傷つくなどということは あり得ない。  せいぜい 相手がまだ人間における心の深さに気づかずその高みにも到っていないことをおもんぱかり 何とか助けにでもなれないものかと心をいためるのみである。  10. もし傷ついて去って行ったとするなら それは そのひと自身のあやまちであるしかない。おのれの心にやましいところがあったからである。  11. 精神が傷つくことはあり得ない。  心なる海の上に波風が立つのみ。  深く傷つくのは 自業自得のみ。