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  • 登録日2011/02/26
  • いまだに「本能」の意味がわからないのですが、

     1999年に発表されて、300万枚近く売れた2000年の『勝訴ストリップ』にも収録された、「本能」(椎名林檎詞曲歌)の意味がいまだにわからないのですが、象徴詩のようで、イメージだけでも伝わればいいのかもしれませんが、なにかある程度でも解釈した方ですとかおられますか?  PVは必ずしも関連は無いのかもしれませんが、なにか「現代科学に対して怒っている」みたいなイメージはありました。  以下、数年前に書いた雑文ですが、西洋思想を背景にアプローチしてみました。皆さまも解釈ありましたらお聞かせください。 クリスマスソングに「本能」                                     犬儒  1999年に発表された椎名林檎の「本能」は案外クリスマスソングに良いかもしれない。  新約聖書の「ヨハネによる福音書」の著者のヨハネは古代ギリシャ語が堪能で、これは、それを母国語としていた者にしか書けなかっただろうと言われている。  ちなみに、このヨハネは洗礼者ヨハネや使徒ヨハネとは別人で、黙示録のヨハネとも別人である。伝聞で福音書を書いたようだ。  他の三つの「共観福音書」と異なり、ヨハネのものは独自の雰囲気がある。  これは、彼がギリシャ思想を受け継いでいたことに原因がありそうだ。ギリシャに一般的にあり、「万物は流転する」のヘラクレイトスが定式化した、ギリシャの「ロゴス信仰」の影響が福音書にも出ている。  ロゴスというのは言語とか理性とかという意味を持っている。  理性への信仰が福音書の最初から書かれている。日本では、江戸時代頃に「初めに賢きものありき」などと訳されたようだが、 (新共同訳聖書 ヨハネの福音書冒頭) 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。  これは要するに、キリストをロゴスの化身と見なすヨハネの感覚である。  福音書家ヨハネがキリスト教の傍流かというと、そうともならなかったようである。ヨーロッパの歴史は中世でもギリシャからの流れを受け継いでいただろう。  ロゴスの対義語はなにかというと、大雑把にはパトスと言える。パトスは感情のような意味を持つ。キリストの受難は英語ではパッションだが、これは語源はパトスである。ロゴスを光とすると、パトスは優しくもあるような闇の豊穣といえるかもしれない。あるいは闇の中には悲痛なものもあるかもしれない。  キリストは受難しただけではなく、そこから復活したことが尊いとされている。これはロゴスの勝利という宗教体系であろう。  千数百年後、モダニズムの始祖デカルトは生涯をかけてロゴスを追及した。近代の科学技術の追求も宗教と違った形でロゴスを求めたことに他ならなかったと思う。  デカルトは自分の死を悟った頃、遺作として情念論を著した。デカルトは元来、……パトスは外部からの刺激により身体の内に起こるもので、受動的なものなのだが、精神それ自体とも錯覚される、……それをロゴスで統制してパトスを主体化する事が必要で、ロゴスが能動的なものである。  ……というようなことを主張していたのだが、死という現実に対しては、そう構えているわけにもいかなかったかもしれない。  さて、そこからまた数百年後の椎名林檎の「本能」だが、 「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか」 と始まる。これはキリスト教のファンダメンタリストからすると、まさしくパンクロックであろう。新約聖書には初めからあるというのだから。  曲調は短調で愛惜が感じられる。理性とか言葉というものの死があったとしたら、それを愛惜する曲調である。 「約束は 要らないわ  果たされないことなど 大嫌いなの  ずっと繋がれて 居たいわ  朝が来ない窓辺を 求めているの」  「約束」を男女の結婚のようなこととして想像することもできるが、それにしてはこの曲はあまりにも悲劇的な香りがしすぎる。  言葉とか理性の死と、そういったことが約束していたものに関する愛惜として捉えるべきかと思う。 「終わりにはどうせ独りだし  此の際虚の真実を押し通して絶えてゆくのが良い」  「虚(から)の真実」とはなにかと考えると、これはパトスに他ならないだろう。それは闇の豊穣というより悲痛さであろう。  十字架上のキリストの「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」という言葉があった。これは古来からキリスト教徒には認めがたい不可解な言葉とされていた。「神よ、なぜ私を見捨てたのか」ということだからである。(たとえばイスラム教はこの言葉とともに「精霊」がキリストを離れたと見なし、彼を神の子ではなく一預言者として捉えている。)  だが、人が絶望のうちに死を迎えることが少ないといえるだろうか。努力とか、理性もむなしく、絶望というのは決して少なくはないだろう。  もしかすると、それは、言葉とか理性とかがあったから絶望もあったのかもしれないと考えることはできないだろうか。 詩によせて  人々は理性をかざして進んできた筈だったのだけど、いつのまにかうまくいかなくなっていた。いつのことだかわからないのだけれど。  理性には光があったはずだった。命があったはずだった。今でもそう思う。  とにかく、どうしようもならないことは多いように感じてしまう。  こんな筈じゃなかったと、時折叫びたいようにも思う。たしか、真実のようなことがどこかにあったように思う。でも、確信がなくなってしまった。  陽の光は、はたして正義をもたらすのだろうか。憶えている事では、確か正義はもたらされるべきものだったと思う。  ……すべてのことは、裁かれるべきだっただろうか。  もしかすると、でも、自分の孤独のようなことに人との共感があるような気もする。  それが正義ではなかったとしても。その孤独が報われず、人生が徒労に過ぎなくても。  少なくとも私は、誰かが惨めに朽ちていくのをただ見過ごしたくない。  そこには悲しみがあった筈だ。  私は忘れたくないように思う。 「本能」椎名林檎詞曲、1999

  • 障害年金(厚生二級)の配偶者加算について

     皆さん、こんにちは。  比較的最近、年金事務所あたりからだったかな、郵便が来て、いわゆる「後付け」で家族が増えても、障害年金の額が1万9千円ほど増えるとのことでしたが、調べきれなかったのですが、配偶者に収入がある場合などはどうなるのでしょうか?  例えば、夫が厚生障害年金二級受給で妻が厚生障害年金三級を受給しているようなケースですとか。  調べきれなかったのですが、ご存知の方おられたら教えてください。よろしくお願いします。

  • 再び問いますが、これは医療でしょうか?

     こんにちは。  以前にも質問させていただいたんですが。  不明の点は私のプロフィール等ご参照ください。  この文書ですが、二つの文書を対比しますが、例えば「金持ち」に「農民」はどう見えるか」というようなことで示唆的な文書になるかと思います。だいたい農民が「統合失調症を発症する」というのは知的障害者が反社会性をあらわにするというようなニュアンスで地方の精神科医療で解釈されているというような通念があるのかもしれません。  蛇足ながら、付記しますと、「知的障害者が性格がいいと思うのは、ある種の偏見」だとも思います。  公的予算も少なく、初診30分程度、あと診察時間2分、2分、2分、といった状況で、事実関係の確認すら適切に行われていない精神神経科の診療現場の状況はあろうかと見なせようかと思います。  どうも「反社会的な知的障害者」と見なされていたとも思しいのですが、統合失調症の治療薬などが処方されていたというのが、精神科医の関わる状況の困難さを示しているのかもしれません。 ●犬儒回想  十カ国人と会話した経験とかはありますね。  衆議院議員が当選する23年前に同じ職場でたまに一緒に仕事をしたりしましたが、二人だけのときに手の大きさを比べあった程度のエピソードはありますね。バイト先の5歳ほど年長のチャーミングな女性でしたが、まあ、僕の天然ボケぶりに彼女はあきれていたりしたのかな。  別にラジオのDJじゃないですが、ミュージシャンの椎名林檎さんから二回ファンレターのご返事をいただいたこととかあります。  新潮社の村上春樹先生担当の編集者のSさんに連絡が取れたことがあるんですが、お仕事中に、僕の文芸評論を読まれたようです。その日は、「犬儒のHP」のユニークアクセス数が60人ほど増えました。新潮社関連でメールニュースなどが駆け巡ったのかもしれません。  僕の司会した、往年のパソコン通信の精神保健フォーラムの特設会議室が、朝日新聞社の「アエラ」誌の巻頭特集で、一ページ程度のスペースを割かれて紹介されたことなどもあります。  現在のところ、日本のかなりの僻地の存在ながら、国内の統合失調症患者の個人ページとしては、全国第二位のアクセス数があるかと認識しています。  大学の学部の二年先輩の田中耕一さんはノーベル化学賞を受賞しておられますね。  医師が評価しても、僕の高校卒業成績は過半数の医師よりよかったと判断するかと思います。  まあ、そんなところかな。  防衛医科大学の学生に「繊細な天才」とか言われちゃったですね。  高校三年時で、部屋にあった電気製品は照明と短波ラジオだけだったですね。小遣いが月に二千円でした。  ぐらいかな。  統合失調症ですよ。 ●A科大学出身の精神科医の名言集  (中学で成績が学年1番から15番くらいに下がったころの通知表を見せて相談したら)「これは君が昔から反社会的な性格だったことを示している。」  (30歳で測量手元の仕事を一ヶ月休んで自動車運転免許を取っていたら)「君は真面目に建設労働をやっているかと思ったら、無断で運転免許をとっているなど、まったく残念だ。」  (当時の実家は、市街地から5km離れていた。)  (バブル崩壊直前、疲れて東京から帰ってきたら)「ご両親はもう君の尻拭いをしたくないと言っておられる。」  (38歳でやっと軽自動車を買ったら)「最近、車乗り回してるって聞いてますよ。」  「防衛医科大学の学生が僕を繊細な天才と評価していました。」「そうか、わっはっは。」  「よいニュースかと思うのですが、知り合いが代議士になりまして」「そんなこと誰も信じないぞ、5年だ!(ぶちこむぞ?)」  「君は100%統合失調症だ。わっはっはー。」

  • 家計簿を付けていました。(障害年金)

     皆さん、こんにちは。  ご不明の点はプロフィールご参照ください。  今日は家計簿を付けていました。  老両親と同居していますが、一人世帯主という事になっています。  年金額が厚生2級で10年も勤めてない分くらいかな。  今気になっている女性がいるんですが、彼女と生活可能かどうか計算してみました。彼女は厚生年金3級で、国民年金はかける義務が残っているのですが、今度障害年金制度が改正されて、「後付け」で家族が増えても、厚生2級だと、一人増えると1万9千円くらい年金額が増えるよう。で、なにやかにや計算すると、一人当たり、7万9千円以下で過ごせれば、結婚は経済的に可能という計算になります。  まあ、それだけで結婚できたら楽だけど。(爆)  先月は焼酎を馬鹿すか飲んでいたのですが、何かアルコール性の、    怯え    ↓↑    錯覚  みたいな悪ループ出てきたなー、とか思って、アルコール依存症の身体依存状況に近いなと思って、別に、考えてみればQ&Aでの活動などにも意義を感じてきたので、夕食の食中酒ワイン一杯だけに減らしました。約10分の1の酒量にしました。これで今月は酒代が3千円で済みました。僕が何か見境なく暴言を吐いているときは、だいたい酒飲んでるときでしたかね。(ほんと、すいません。)  代わりに去年末から4か月くらいやめていた煙草代が、エスカレートして、ひと月で3万9千円以上かかりました。  それで、過去3回くらい禁煙できたのですが、またニコチンパッドで禁煙しようかなーと。  エスカレートし過ぎでした。  もっとがんがん外にレジャーに行ったりした方が健康的ですよね。  で、計算するに嗜好品費(酒、煙草)が月3千円で済むとして、ひと月出費が7万6千円で済むという、ぎりぎり一人当たり3千円持ち越せるという支出になります。  ちなみに、同居している両親には月、5万円渡しています。なんとか「人的貢献」の件を抜かせば、僕の生活にかかる金額より多いようです。これも家計簿に付けています。  防水デジカメとiPodを買って、携帯電話も解約しました。ほとんど電話機としては使わなかったですね。  あと、家計の癌は煙草代としか言いようがないです。  あと、お袋が国民老齢年金で月額6万6千円しかないので、親父と相談して、親父の代わりに投資信託を買い集めて、これの「分配金」が月額3万円くらいに成る予定ですが、その際は親に7万円渡そうと思っています。豪ドル債券投信を買っていたのですが、リスク分散で今度ブラジル債券投信買う予定です。  これはお袋とかの生活費としても、まあ、将来的には僕ら夫婦?の副収入に充てられるでしょうか。  ……といような楽観材料もあるのですが、なかなか厳しいところです。  結論的には、今のうちに禁煙して金貯めようという事で、来月への現金預金残高は野村證券の口座を抜かすと6万円台くらいでした。  今度彼女に会ったらら、なにかそんな話でもしておこうかと思います。  まあ、将来に向けて楽観材料はほしいですね。  何か質問の体をなしていないような気もするんですが、ご意見とかありましたらお寄せ下さい。  人一人、月、7万9千円で生きていけるんですかねえ。  ちなみにこの土地家屋は北海道のど田舎にありまして、固定資産税年6万円以下、火災保険年4万円の物件です。それも親に渡している5万円のうちに入っています。

  • 強迫性障害の疾病恐怖で不治の精神病だと思う可能性

     T/Oくらいなんですが、ほんと申し訳ないですが、よろしければ僕のホームページなどもご参照くださってご意見いただければ一番いいですが、お読みくださらなくてもかまわないのですが、結構面白いと感じられることもあるかもしれません。  短いものだとショートショート集の『犬儒の本』が一押しかな。  まあ、読んでくださらなくてもかまわないです。  ほぼ、親父の権限で閉鎖病棟に強制入院させられたので、自分が重い病気なのではないかと感じたのですが、十数年経った頃、親父曰く「怠けていたので懲罰で入院させた」とのことでした。  がくっときました。  なにか病人の脆弱性とか、まったく分かっていないのですね。  メーカーが休職処置にしたのは、僕が仮免「学科」試験に3回落ちて自動車学校退学したのが最大の理由だと思うのですが(当時研究開発職をやっていました)、親父ですが、人事の方からその事を聞いていなかったようです。  虐待にあって(父は柔道黒帯です)、帰郷後3カ月くらいして入院することになりました。  精神科医も事実関係すら把握してないヤブかと思いました。  それで、強迫性障害の「疾病恐怖」で、自分が不治の精神病だと思ったのではないかとも。  精神医学の本とか買いこんで読んで、2回目の入院の時(またもや都会で仕事に失敗して帰郷)、精神科医に「自分は精神分裂病なのではないか」とか言ったら、そのような事を診断していました。  『犬儒の本』を自分で読み返すと、「縁起恐怖」的な要素も感じます。  ただ、僕が親だったら、そんな強制入院処置はしないと思います。  だいたい、都会で疲れても、家に帰ると元気になるので、元気になった時に入院させるなんてのはナンセンスとしか言いようがありません。  親父(中卒~農業~建設業)が、病人の脆弱性とか、まったく理解できなかったせいかとも思います。  単純に言うと、家に二人男がいて、片方が無職だと必然的に喧嘩になります。そういう事だったかもしれません。  それで、今ですが、自分では単純型統合失調症(陰性症状タイプ)かとも思うのですが、そう思い込むのも変かもしれないので、アスペルガー症候群、強迫性障害の可能性なども考えています。  プロフィールに書きましたが、くそ田舎の出身で、必然的に都市生活に慣れられなかったような環境因、心理的トラブルのようなことも考えています。  T/Oとか書いたのに長話失礼ましたが、強迫性障害の疾病恐怖で、自分が不治の精神病にかかっているとか思いこむことはあるのでしょうか?  医師の診断では認知の障害と無為自閉の症状があるとのことでした。