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専門家

キリスト教徒です。何か質問ありますか?

キリスト教徒ですが、何か質問ありませんか?

ちなみに、

 進化論=肯定
 聖書無謬説=否定
 同性愛=問題なし
 パリサイ派、律法学者=偽善者ではない
 フリー聖餐=問題なし
 専門=新約聖書学

という立場です。

投稿日時:2017-06-01 12:26:41-質問件数:3件
カテゴリ:病気

このトピックスへの質問は締め切られました。

QNo.3

知識人

丁寧な回答 痛み入ります


書かれているとおり、同性愛の定義ってとても曖昧で、曖昧であるのに論戦の元となることに、疑問を感じています

おそらく、キリスト教以外の宗教も断じていたりしても、定義は曖昧のままだと感じます

そのように考えると、宗教的に断じてはいるが、定義があいまいなモノが多いのでしょうね

なのに、宗教は政治に多いに影響しているのですから、法律や心情だけでは語れない不安や疑問の元が、そこにあるような気がします

投稿日時:2017-06-02 23:03:23

専門家

自信あり

sutorama様。ご返信ありがとうございます。

医学と宗教の「同性愛」の定義の乖離は深刻です。ICD(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)やDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)において、同性愛が治療対象から外れているということを知識として知っているキリスト教徒は、残念ながらごく少数にとどまります。

キリスト教に限りませんが、宗教側の言う「同性愛」とは、いわゆる「男色」のことであるといっても過言ではないでしょう。そういう意味では定義はシンプルです。しかし、それは単なる無知でもあります。

宗教には良い面でも悪い面でも、「反知性主義」(原理主義、根本主義がその一例)というものがあると思います。知性では証明しえない事柄を信じるのが信仰ですから、やむを得ない面もあるのですが、狭量な反知性主義は、他者への共感といった宗教が持つべき根本的要素を排除するという決定的な致命点をも持ち合わせています。

原理主義、根本主義、聖書無謬説などが果たした役割を、私は一定程度は評価しますが、自分たちの属する集団の価値観だけを優先する思想は、本来の宗教の在り方には反すると思います。そのような集団がマジョリティになって、権力と結びつくことは非常に恐ろしいことです。ましてやそれが「神の国」の実現などと考えているのは、妄想も甚だしいことです。まさしく、それはイエスが批判した悪しき宗教の姿に他なりません。

そういった意味で、健全な政教分離が求められているでしょう。

蛇足が多くて恐縮ですが、政治と宗教に関しても書かれていらっしゃいましたので、私の考えを書かせていただきました。

投稿日時:2017-06-03 00:07:33

専門家

自信あり

書き忘れましたので、補足させていただきます。

現代になって、性の多様性が明らかになり、様々な性的志向や性自認があること自体が、神が創造された「自然な姿」であり、それ自体が祝福されているという考え方も、徐々にではありますが、広がってきています。

投稿日時:2017-06-03 00:10:28

QNo.2

知識人

キリスト教が言う同性愛の定義を教えてください

投稿日時:2017-06-02 00:44:20

知識人

自信あり

sutorama様。ご質問ありがとうございます。

旧約聖書、レビ記20章13節に以下のようにあります。

「誰か(男性)が女と寝るように男と寝たならば、二人は忌むべきことを行ったのである」。

また、新約聖書、ローマ人への手紙1章27節以下に次のようにあります。

「同様に男性たちも、女性との自然な〔性的〕交わりを捨てて、互いに対する渇望を燃やしののである。〔そして〕男性たちは彼ら同士で見苦しいことを行い、彼らの迷いのしかるべき報いを、己のうちに受けたのである」。

# 聖書引用はいずれも岩波の聖書翻訳委員会訳

さて、ご質問の「キリスト教いう同性愛の定義」ですが、これは単に生物学的に見て同性同士が性行為をすることといってよいと思います。ところで旧約、新約聖書が書かれた時代に、GID(性同一性障害)、性自認、性的志向というような概念はありませんでした。例えば、今日、FTMゲイという概念がありますが、この方たちは、聖書(キリスト教)的には「同性愛」者でなくても、今日の概念では同性愛者です。このように聖書が書かれた時代の「同性愛」の定義と、今日の同性愛の定義は大きく異なります(そもそも同性愛という概念ができたのが19世紀)。ですから、私は聖書は同性愛については何も語っていない、という立場です。

# FTMゲイについては、以下のサイトをご参照ください。

 http://lgbt-jp.com/ftm-gay-648

投稿日時:2017-06-02 08:34:21

知識人

自信あり

念のため補足説明いたしますが、キリスト教全体の同性愛に対する公式見解というものは存在しません。性的マイノリティに理解がある教派は、私と同じような考え方をしているところもありますし、保守的な教派は、聖書が書かれた時代とまったく同じ「同性愛」理解をしている場合もあります。

投稿日時:2017-06-02 13:54:04

初心者

エホバの証人しか勧誘(布教活動)に来たことがないのですが、どうしてなのでしょう。
他のメジャーなキリスト教は盤石なので勧誘する必要がない、勧誘を良しとしないなどでしょうか。
それともエホバの証人こそ日本で根付いているキリスト教だからなのでしょうか。
無知です。すみません。

投稿日時:2017-06-01 19:37:45

専門家

自信あり

morikensan様。ご質問ありがとうございます。

カトリック、プロテスタントの教会は、単に戸別訪問による伝道を行っていないからだと思います。戸別訪問ではありませんが、福音主義、聖霊派のキリスト教の方たちは路傍伝道(街頭で布教活動をすること)はまだ行っているようです。正直なところ、伝統的なキリスト教には、戸別訪問に人員を裂くほどの余裕はありませんよ。

ちなみにエホバの証人の方が戸別訪問に熱心なのは、マタイ福音書24章14節の記述に基づいているようです。

「そして、王国〔について〕のこの福音が、あらゆる異邦人に対する証しとなるために、全世界に述べ伝えられるであろう。その後にこそ、終末は到来するであろう」。

ですから、エホバの証人の戸別訪問は必ずしも勧誘だけが目的ではありません。彼らの理解では終末が近いから、人々に聖書のことをお話に行く、という論理です。

# 蛇足ですが、上に引用した佐藤研氏の翻訳の「異邦人」という部分は多少問題ありです。ギリシア語原典では「国民」という語が使われていて、そこにはユダヤ人も含まれています。キリスト教の伝道の対象にユダヤ人が含まれないのか?、という疑問です。このような翻訳にも、伝統的なキリスト教は布教活動という点においては怠慢だということが見て取れます。

投稿日時:2017-06-02 08:53:09

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