【社会ネタQ&A】特集!「上司命令の休日ボランティア出勤は拒否可能?」「中国はなぜメンツが大事?」

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はじめに

OKWAVEの時事ニュースや社会問題の質問が集まる「社会」カテゴリのQ&Aから、気になるQAネタをまとめました。


 

  • 上司命令のボランティア休日出勤は拒否できますか?
  • 秋篠宮真子様が一番幸せになる方法は何でしょうか
  • 中国人はなぜメンツを大事にするのですか

ボランティア参加の休日出勤は拒否できますか?

休日出勤を拒否できますか?

休日出勤を拒否できますか?

この日曜に取引先の地域清掃ボランティアがあり一月ほど前に上司から行くように言われてました。
しかし日曜であることと日曜にタダ働きをさされる事が馬鹿馬鹿しくて了承はしていませんでしたが、上司が勝手に参加にしていたらしく今週に入り「お金でないけど行けよ」と言われ納得いっていません。
そもそも強制の時点で出勤ですし、この行為がパワハラだと感じています。

本当は言われた時点でハッキリと断っておくべきでしたが、今からでも断る事は問題ないですよね。

どうぞ宜しくお願いします。

あなたは物事を損得だけで考えている。もしそうであれば、会社上司からの依頼を断ったらどうい得があるか、もしくは損が降りかかるか、そのトレードオフです。断った方が差し引きで得だと思うなら、そうすればいいだけの話です。ここで質問するまでもありません。世の中で最も大事なのは人間関係です。損得ではありません。損得は後から付いてきます。

正規の仕事での 残業 休出も同意が必要です。強制力はありません。
他社のボランティアは言うまでもなく 強制力などありません。
その上司が取引先から頼まれたのであれば 本人が行くべきことです。

どこの会社でも顧客があって商売なので「お客さまは神様です」が基本です。
取引先とあなたの会社との関係性、
上司と取引先の関係性、
上司とあなたの関係
などをしっかり考えて決断するのがプロの仕事人です。
それによってあなたの会社にマイナスになり、あなた自身の今後が決まる事も十分あり得ます。

出勤ではないですね、ボランティアへの参加ですね。
ボランティアへの参加を命令できる権限は会社にはないので断るのは可能です。
ただし、人間として対応がへたくそですね。
1カ月前に言われたときに返事を保留するのはよくある事、そして1週前か今週に声を掛けれた時に適当な理由をつけて不参加を告げるのが普通でしょ。
その時も返事をしないのはガキの対応です。
今週に入り「行けよ」と言われた時に返事せず今更いけないとは言えないでしょ。
どうしても参加できないなら当日に仮病になり朝、電話で告げることぐらいでしょうか

なお、この程度の会話ではパワハラではありません、普通の会話です。

>本当は言われた時点でハッキリと断っておくべきでしたが、今からでも断る事は問題ないですよね。

いかなきゃいけないかどうかは別の問題として、今から断るのは少々問題あります。おっしゃるとおり、言われた時点でハッキリ断ってれば、せめて今週に入って言われた時点で断っていれば、まぁ、それなりに正当ではあったのですけど。
あなたが最初からきちんと断っていれば、代役を手配するなり先方に断るなり、向こうもできることもあったでしょうが、たとえ行くと言ったつもりはないとしても、向こうは了承したと思ってるのをわかってて何も言わずにいて、今更「行きません」では、上司も先方も困るし、怒って当然だとは思います。

それでも「断る」というなら、それはあなたの判断ですからこれ以上はなにも言えませんが、私なら今更断るのは、申しわけなさすぎてとてもできないです。

秋篠宮真子様が一番幸せになる方法は何でしょうか

秋篠宮真子さま一番幸せになる方法は?

秋篠宮真子様の婚姻の件ですが
ご本人は彼と長い付き合いでもあり、結婚されたいご様子。
でも圭君の職業が確立されていないことや母親のわけのわからない借金問題等で、
頓挫している様子に一般庶民としても心を痛めています。
今後どうしたらいいか? この提案ですが
二人の決断が揺るがないのであれば、結婚したらよいのではないでしょうか?
ただしそれには条件があり一般庶民と同じように2人だけで経済をやりくりする。
皇室費1億数千万円は一時預かる。どうしてもやれなくて、
もし不幸な事態となった時にはそれを使う。
もちろん皇室費の主旨と全然違うことは分かって言っています。
でもそうでもしないと真子さまの今後を考えるとなかなか別の人と・・ 
という事はあとあと難しいように思いますが。

皇室を離脱して一般人になり、好きな男と結婚する。それが一番でしょう。イギリスの王室にはそういう事例があります。エドワード8世に即位したウインザー公は旅行中に知り合った一般人のシンプソン夫人とねんごろになり、結婚するために退位し、王室を離れてフランスに住みました。日本の皇室にもそれくらいのロマンスがあってもいい。でもちょっと相手が悪いですね。変な男に掴まったものです。

とん挫している原因は、とりまきがあーだこうだと言っているからです。
たとえ男性側に問題があっても、真子さんはそれも含めて受け入れる気持ちでいたのでしょうから、その気持ちを尊重すべきです。
皇族の結婚=相手は100%純粋無垢を当然視する傾向がありますが、それは周りが決めるのではなくて当人同士で解決すべき問題です。
普通の主婦になって相手の家に入るのですから、持参金の使い道も含めてどうするかは2人で決めればいいです。
それが一番の解決策です。

本人がどうしても結婚したいと言えば
それをダメという権限は実は天皇にすらありません

皇太子だって雅子さまと結婚するとき周囲は猛反対しましたが
結局最後は本人の意志が尊重されました

本当に好きならそれこそ 王冠を掛けた恋ではありませんが
駆け落ちとかしてでも一緒になるでしょう

別に、日本人的な目線での「フツーの暮らし」を小室さんがやってくれりゃいいのです。仕事なんてできなくてもいいのです。国が担ぐ御輿の上で静かに座っていてくれればいいのです。
ところが、主にお母さんの問題でどうも御輿の上で静かにしてくれないみたいなのです。そこが頭の痛い問題ですね。

考えてみれば、24時間体制でボディガードがつくリアルにプリンセスな女の子に果敢に突撃して口説くなんて、よほどKYな変わり者じゃないとできないに決まっています。いい意味で能天気な人だったら良かったんですけどねえ。

中国人はなぜメンツを大事にするのでしょうか

中国人は何故メンツを大事にするのか

中国人は何故メンツを大事にするのか
いつもニュースを見ていつもそう思います
中国に詳しい方、教えて下さい
よろしく致します

『中華思想』

その1 世界は自分を中心に回っていると考える
その2 自分の家族・部族以外の他人は基本的に信用しない
その3 誇り高く、面子が潰れることを何よりも恐れる
その4 外国からの経済援助は「感謝すべきもの」ではなく、「させてやるもの」だと考える
その5 都合が悪くなると、自分はさておき、他人の「陰謀」に責任を転嫁する

やくざと警察もそうですね。
やくざ・・・素人になめられたらおしまい
警察・・・・まちがいを認めたら権威が落ちる 絶対に謝らない。
中国人は 過去にイギリスの植民地状態にまで落ちてしまった経験があるから 二度とあのようなことにはならないようにするためにメンツを大事にする。
そのとき阿片で痛い目に遭ったので麻薬犯罪は死刑という重罪。

面子は言い換えれば、日本人に取っては名誉、プライド、見栄 虚栄ということになります。
日本人も上下関係を大切にしますが中国の人達は他人よりも上か下かということに極めて敏感です。
この上下関係を維持することが社会秩序を維持する上で必用不可欠な人間関係だという考え方をします。
中国の人達に取っての上下関係というのは社会的な地位とか年齢の上下とかよりも人格が上か下かということを基準にします。
中国の人達が考える人格は儒教に基づく「徳」が有るか無いかという事が基準になっています。
徳に欠けるということは恥ずかしいことだと考えます。
徳が優れているということは人格が優れているという考えに繋がります。
この考え方に基づくと相手が自分の名誉やプライドを否定するということは自分の人格を否定していることになります。
つまり面子を潰されるということは人格を否定されたことになりますので何が何でも面子を維持しようとします。
逆に相手に自分の方が上だと認めさせるためには相手の面子を否定します。
 
とまぁ~日本人に取っては恐ろしく分かり難い人間関係の考え方です。
分かり難いことからネットにも沢山の説明があります。
ご参考までに下記のような説明があります。
参考(1)
中国人について(6) 人間関係 その5 面子について - 歴史の世界
https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/chuugoku-ningenkankei-me...
抜粋
「面子」は本来、平等な人間関係に「上・下」の差をつけ、さらにその「優位」を利用して、さまざまな便宜が図られるようになった。
そのため中国には伝統的に「人間は平等」という概念は希薄で、最近、その意識が芽生え始めたが、まだまだの観があり、むしろ中国人の多くが自分と周囲の人間に「高・低」「上・下」の差をつけようとする。
そしてその差をつける最大の基準が「面子」にほかならない。
しかも中国人は「面子」を利用して、常に自分に利あるように図ろうとする。
中略
日本人の「顔」は恥の文化とかかわるので、露骨に「見て」も、「見せる」のもいけない。
目立たないように顔を立てなければならない。
露骨な振る舞いは空気が読めない行為として排斥される。
中国人のメンツはむしろ、だれがだれのメンツを立てたのか、みんなにわかるように表現しなければ意味がない。
状況を踏まえて人のメンツを立てられる人物には、非常に高い評価が与えられる。
その逆もしかりで、メンツをつぶす行為には忘れがたい恨みや憎しみがついて回る。
いい加減な空気は入り込む隙間を与えられていない。
参考(2)
中国人が命を賭けるメンツとは何なのか? ライトノベル創作教室ラノベ ...
http://lanovelien.blog121.fc2.com/blog-entry-861.html
抜粋
儒教の理念にとって大事なものとして「秩序」の概念があります。
簡単に言うと人には順位や序列が決まっていて、常に序列を守れば争いも起きず平穏に正しく暮らせるというものです。
中華皇帝を頂点として下は乞食まで1位からビリまで万人の順番が決まっている世界、それが儒教世界です。
中略
メンツとはこのような儒教文化圏における自分の順位を守る(できれば上げる)ことを意味します。
だからこそ自分が人脈が広いこと、あるいは金持ちであることを堂々と自慢してきます。
自分の周囲での評価を下げるような他人前で注意されたり怒られたりすることを異常なまでに嫌います。
そして、ここで重要なのが、このメンツを守るためならば何でもするし、してもよいと考えていることです。
メンツさえ保てればウソをつこうが卑怯な手段をとろうが、ときに犯罪行為だって許されると思っているのです。
もちろんメンツを一度でもつぶした相手とは絶交や敵対となり、関係修復はほぼ不可能になります。
中略
日本人は素直にミスや失敗を認めて謝れば、それは正しいことをしたとその人の評価があがる場合が多いですね。
見苦しく言いわけをするくらいならウソなどつかず正々堂々と振る舞うことが正しいと考えているからです。
これは「謝罪」というものがミスや失敗といった行為そのものに対しておこなわれているからです。
ちょっと意味が異なりますが「罪を憎んで人を憎まず」みたいな言葉もあるくらいですから
日本人というのはミスや失敗といったことを謝り反省すれば、それ以降はそのことについては不問とされ、いわゆる「水に流す」という文化があり、人間関係を円滑にしています。
中略
しかしながら中国人や朝鮮人など中華圏では、そうではないんですね。
「謝罪」は「失敗した行為」ではなく「失敗した人」に向けられるのです。
つまり謝罪というのは「私は悪い人間であり、正しいあなたよりも格下の存在です」という意思表示なんですね。
ですから謝罪することは儒教的な上下の序列が決定づけることにほかならないのです

中国の作家魯迅が1934年に、「『面子』について」(原題「説『面子』」)という、そのものずばりの表題の評論を発表しています。その中で次のような興味深い話が紹介されています。(以下引用「魯迅文集」第6巻の竹内好訳)

伝聞ではまだ清朝のころ、外国人が総理衙門へ権益のかけ合いに来たとき、おどしにびっくり仰天した大官たちが、二つ返事で承諾したあと、帰りは通用門から送り出したという話だ。表門から出されなかったことで相手は面子を失ったわけであり、相手が面子を失えば当然、中国側は面子を保ったことになり、したがって優位に立ったことになる。この話が事実かどうか、私には断定できないが、かなり広く「中外の人士」のあいだで知られている話ではある。

そのため私は、外国人たちは精いっぱい「面子」をわれわれにくれたがっているような気がしてならない。
(引用終わり)

権益を認めても、通用門から送り出せば「優位に立った」という発想は、今の私たち(魯迅もですが)から見れば、滑稽にさえ映りますが、ありそう(だと考えられていた)な話ではあります。

また魯迅が「階層ごとにそれぞれ特有の「面子」すなわち「顔」があるらしい」ことを、「たとえば、もし車引きが財布を盗んで見つかったりすれば、面子を失うことになるのに、上流階級のものが金銀財宝をごっそりかっぱらっても大して「顔がつぶれる」ことにならぬようだ」と述べていることは象徴的です。(昔も今も…)

そして、次の文章で締めくくっています。(以下引用)

 中国人が「面子」を重んずるのはよいとして、残念なのは、この「面子」が「融通無碍」で変化に富み、そのため「鉄面皮」と混同することだ。長谷川如是閑が「盗泉」について「古の君子は盗泉の名を悪(にく)んで飲まず、今の君子は盗泉の名を更(あらた)めて飲む」と述べているのは、「今の君子」の「面子」の秘密を道破したといえよう。(引用終わり)

「盗泉」は、孔子が「盗泉」という名前の付いた泉の水を、その名前が良くないと言って、いくらのどが渇いても飲まなかったという故事で、「渇すれども盗泉の水を飲まず」(いくら困っても、いかがわしいものの助けは借りない)という表現は今も使われます。長谷川如是閑は明治から昭和の戦後まで活躍した日本の評論家で、魯迅が引用した文章の初出は1915年、今から100年以上昔だそうです。

魯迅の言う通り中国人の「面子」とは「考えれば考えるほどわからなくなる」ものですが、「中国精神の鍵をにぎるもの」であることも確かなようです。意地悪な表現を許してもらえるならば、「「面子」とは「権益」を認めさせたり、「盗泉」の名前を変更して飲んだりするのに使える、外国人にとっても中国人にとっても便利なものである」とも言えるかもしれません。

まとめ

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