昭和初期の詩聖「北原白秋」ガイド。「薄らあかりにあかあかと 踊るその子はただ一人」

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はじめに

11月1日は明治時代〰昭和初期の詩人、歌人、童謡作家であった「北原白秋(きたはらはくしゅう)」の命日。「あめあめ ふれふれ かあさんが」(あめふり)や、「かえろかえろと なに見てかえる かえろがなくから かえろ」(かえろかえろと)などの優しく温かい童謡をご存知の方は多いと思います。OKWAVEでの北原白秋に関連したQ&Aをまとめました。


  • 白秋の「初恋」は読者に何を伝えたかったのでしょうか
  • 月にかがやくひと束は紫うすき根の蓮群れよ の句の出典は何ですか
  • 白秋の門下生について教えてください
  • 俳人としての白秋はそれほど優れてはいなかったのですか?


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白秋の「初恋」は読者に何を伝えようとしているのですか

初恋 北原白秋

「初恋」   北原白秋
薄らあかりにあかあかと
踊るその子はただひとり。
薄らあかりに涙して
消ゆるその子もただひとり。
薄らあかりに、おもいでに、
踊るそのひと、そのひとり。

ここで質問なんですけど、北原白秋はこの「初恋」の詩で何を読者に言いたいのですか?

明治時代の初恋とは好きな人を遠くから眺めるだけ。
彼女の着ているもの、その立ち居振る舞い、顔の表情から、彼女の境遇を想像し、涙を見れば哀れな過去や今の自由を縛られた境遇を思い、ため息をつき、ただ見ているだけ。でも彼女の姿は彼の脳裏に深く焼きつき初恋として生涯忘れることがない。薄明かりで時に涙を浮かべて踊っている娘は田舎から売られてきて水商売をさせられている娘でしょう。

同じ『初恋』でも島崎藤村の詩はもう少し踏み込んでいます。彼女と結ばれなかったがリンゴ畑で逢瀬を重ねた淡い初恋を歌っています。比較してみては如何ですか。

国語の宿題でしょうか?
学生時代に現国の授業で出された記憶があります。^-^;)

これだ!という正解はないと思いますので、
各自で勝手に物語を作っても良いと思います。

私が創作した設定はこうです。
「芸者の置屋に引き取られた女の子が毎夜のように踊りを練習していました。それをこっそりとガラス越しに見ている若き白秋。
やがてその女の子は半玉(芸者の一歩手前)になり、
旦那衆のひとり(エロじじい)に水揚げされることになります。
水揚げされる前夜にひとり女の子は涙を流します。
何も力になれず声も掛けられない白秋。
結局、まともに一度も口を利くことさえできなかった
女の子と白秋。
こうして白秋の淡い初恋は終わります」

樋口一葉の「たけくらべ」っぽいですか?

「月にかがやくひと束は紫うすき根の蓮群れよ  白鷺この空の霜の夜あけの濃き青をなにか  貧しきいよいよに心ととのふ世の母よ。。。」

北原白秋の詩の題名と出典

北原白秋の詩の題名と出典を探しています。
「月にかがやくひと束は紫うすき根の蓮群れよ
 白鷺この空の霜の夜あけの濃き青をなにか
 貧しきいよいよに心ととのふ世の母よ。。。」
自分でも探しましたが見つけられませんでした。
ご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。
よろしくお願いします。

詩集「海豹と雲」に採録されたこの詩題「野菜」は、昭和2年「近代風景」10月号で発表された馬込時代の作品ですね。

月にかがやくひと束は
紫うすき根の蓮。

群れよ、白鷺、この空の
霜の夜あけの濃き青を。

なにか貧しき、いよいよに
心ととのふ世の母よ。

白き野菜も籠ながら
燃えて豊かに息づきぬ。

白秋の門下生についてリストのようなものはありますか?

北原白秋の門下生について

どこかで北原白秋の弟子、門下生一覧みたいなのは見られませんでしょうか?
たぶん明治生まれの先祖の弟という人が、北原白秋の門下だったと伝え聞いたのですが、ご本人を知る人とはつながりもなく確認する資料がありません。
門下生リストのようなものをご存知でしたらお教えくださると嬉しいです。よろしくお願い致します。

もしご面倒でなければ、北原白秋記念館もしくは(財)北原白秋生家保存会のほうへ直接問い合わせされてみてはいかがでしょうか。

白秋が手放しで賞賛した「大木惇夫」という詩人がおりますけど、師を超えた弟子と大木の作品集の中に書かれています。もう、絶版ですが図書館にはあると思います。私は昨年会津の古本屋さんで見つけて求めました。感動する作品が沢山ありましたよ。ネットで大木惇夫と入れてみてください。サイトありますから

俳人としての白秋はそれほど優れていなかった?

俳人としての北原白秋について

北原白秋は童謡や詩人として有名な印象があるのですが
俳人としてのなにかの話をご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
以前、「俳人としては優れなかった」というような文章を読んだことがあるのですが…

以下は記憶で記すことです(インターネットのページで調べるのなら、「北原白秋 俳句」とでも入れて、以下の Google で検索すれば、色々出てくるでしょうし、そこに記されていることを繰り返しても仕方ないことだとも思います)。

白秋は「邪宗門」で詩人として鮮やかな作風でデビューし、次々に詩集を出して、新しい境地を開き、大詩人になったとも言えます。ただ、白秋の詩人としての名声が高すぎて、彼が色々な文芸活動を行っていたことは、あまり印象にないようです。

童謡の歌詞を書いたのはよく知られていますが、彼は「マザーグース」も日本語に訳しています。無論、彼一流の詩になっています。

白秋は、「邪宗門」で、隠れキリシタンなどを題材に取り上げたぐらいで、かなり国際意識があり、日本の文芸の行く末のようなことをまじめに考えていました。

俳句を作りはじめたのは、確か名声が確立した後で、詩を書くよりも、晩年は俳句の創作にいそしみました。弟子か友人が、すでに名声を得ている先生が、あまり認められることもない俳句の創作に没頭するのは、惜しいのではないか、というようなことを述べたとき、白秋は、「自分が頑張らなければ、誰が頑張るのか」というようなことを返答したそうです。

「俳句第二芸術論」と時代が重なっていたのかどうか、いまよく分かりませんが、白秋は日本の伝統文芸の一つとして俳句を高く評価していて、これを再興隆せねば、廃ってしまうという危機感を持っていたようです。

白秋は高名な詩人であり、その彼が、義務感のように創作を続けたのですから、俳人としての評価、その作品の評価は、どうであったかという疑問があります。別の仕事で名声を持ちながら、同時に俳人としても高名な人もいますから(折口信夫がそうです)、白秋の俳句は、やはり、俳人としての才能に彼があまり恵まれていなかったのだとも考えられます。

まとめ

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