彼の作品を読まねば文学は語れない? ロシアの歴史的文豪「ドストエフスキー」特集。

  • ガイド ( How to )
  • ありがとう数:0

はじめに

10月30日はロシアの歴史的文豪「フョードル・ドストエフスキー」の生誕日。

ギャンブルと女性が大好きで、常にお金に困っていた人で「さて、さしあたり何をするか。それが問題です。何しろ借金があるのですからね」という名言(迷言?)を残しています。また、当時の反社会的サークルに入会し、シベリア流刑などの苦難を経験しながらも「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」を書き上げ、世界的な評価を得ます。残した作品はアインシュタインや精神学者のフロイト、黒澤明、手塚治虫など様々な人物が影響を受けているそうです。


  • ドストエフスキーが文学界で特別視されている理由
  • 「カラマーゾフの兄弟」を楽しく読む方法
  • 「罪と罰」の中で語られている「罪」と「罰」とは何ですか
  • 「人間は慣れる動物である」という言葉はどの作品のどの場面?


★Q&Aサイト「OKWAVE」で、弁護士、社労士、管理栄養士、占い師、FP、薬剤師、心理カウンセラーなど、30人以上のプロの専門家への非公開&無料相談が可能です。ぜひ、ご利用ください           
https://project.okwave.jp/private_qa/?&slp=201810

ドストエフスキーが文学界で特別視されている理由はなんでしょうか。また、最初に読むのに適した作品を教えてください

ドストエフスキーの魅力

愚問かもしれませんが、ドストエフスキーを読んでないなんてモグリ扱いされるくらいに
文学において重要視されているのはなぜなのでしょうか??
また、最初に読むのに適した作品も教えてください。

一般社会か文学研究かによってドストエフスキーの位置は異なると思います。

個人的には、彼が偉大などと言われているのは彼の作品には一種の普遍性が存在すること及び彼の思想を見事に書物に著したからだと思います。夏目漱石なんかも個人的には同じだと思います。
文学研究(私は文学研究ではなくて、単に読書が好きなだけですが)では題材としてかなり研究されています。ドストエフスキー以外にもトルストイ、チェーホフなど。なのでまあ王道と思われているのかもしれません。また、ドストエフスキーの作品(及び思想)の後世に与えた影響はかなり大きいです。よって「読んでて当然」みたいなことになのかもしれません。しかし、私が思うに、年齢、環境によっては読んでいない人のほうが多いこともあると思います。今時の流行作家というわけではないですし。

私のオススメは「賭博者」と「カラマーゾフの兄弟」です。もちろん「罪と罰」も。私が最初に読んだのは「カラマーゾフの兄弟」でしたがいささか分量もあるので、質問者様がいきなり分量があるものは避けたいのならば「賭博者」をオススメします。

ドストエフスキーのデビュー作は「貧しき人びと」という作品です。これは小説ですが、いわゆる書簡体小説というもので、2人の人物がやりとりする手紙の文面が、そのまま小説になったものです。
 後に書かれた「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」などでもそうですが、登場人物が自分の考えや見聞きしたことを延々と語り続ける場面がありますが、「貧しき人びと」における書簡体形式はいわばその原型のようなものかもしれません。

 すごく大雑把に言うと、ドストエフスキーより前の小説というのは、作者が自分の思想なり世界観なりを具現化するために、作者の考えをいわばその分身である登場人物に託して喋らせたり、物語を一つの結論に向かって動かしていくというようなものだったとしましょう(といっても、現代でもこういう小説はいっぱいあるかもしれませんが)。
 それに対してドストエフスキーの小説では、登場人物の一人一人が、作者の考えを代弁するのではなく、あたかも現実の人間と同じように自分なりの考えを持っています。また、このような登場人物同士が自分の意見を戦わせることによって、作品は、もはや作者一人の思想の反映ではなく、いくつもの異なった世界観が主張しあい、ぶつかりあう場となります。言ってみれば、登場人物の一人一人が「作家」であるようなものかもしれません。
 じっさい、この世界そのものが、神様が空の上から下界を眺めるみたいに、たった一つの正しい視点から見られるものではなく、そこに生きている人間同士が話しあったり、争いあったりしている、現実そのものをドストエフスキーは描いたと言えるのかもしれません。

 最初に読むのに適した作品は、ぼくは「罪と罰」を読んだのですが、ドストエフスキーの小説はどれもけっこう長いので、気軽に読めるということなら、「貧しき人びと」や「地下室の手記」あたりがいいんじゃないかと思います。もうちょっと長くてもいいよ、というなら、「死の家の記録」をおすすめします。でも、とりあえず本屋で立ち読みしてみて、気に入ったのから読んでみるのが一番いいと思います。

「カラマーゾフの兄弟」がなかなか進みません。楽しく読むにはどうしたらいいですか?

「カラマーゾフの兄弟」を楽しく読むには・・・

「カラマーゾフの兄弟」(亀山郁夫さんの)を今読んでいるのですが、とても時間がかかってます。面白くないわけではないのですが、もともと読書スピードが大変遅いので去年1巻を読んで今2巻です。読むのが遅いので話の内容もちょっと忘れてしまっています。
2巻ではまだ父親は殺されていません。
どういうところに注目して読んでいくと楽しめますか?
皆さんの思うカラマーゾフの兄弟の良さって何ですか?
宜しくお願いします。

恋愛物、推理物、法廷物色んな側面がある作品だと思います。
自分のペースでゆっくり読むのが一番だと思いますよ。
ちなみに、本編とは別に「大審問官」の部分が有名なんだそうです。

真っ向から否定してしまいますが
「カラマゾフの兄弟」「永遠の夫」「死の家の記録」
「罪と罰」「白痴」を読んだ中で、
カラマゾフが一番つまらなかったです。冗長過ぎる。

大体ドストエフスキーは長編ばかりですが、
「罪と罰」「白痴」は、冗長な印象もなくハラハラして面白かった。
「死の家の記録」は、声を出して笑う程の部分が2ページ分あった。

カラマゾフは、あの3兄弟の差がおもしろいですね。
ドミトリーの迷走っぷり
ただ、彼の恋人(名前忘れた)の存在は正直いらない。
イワンの苦悩が後半で爆発して、ゲーテのファウストっぽくなるが
私はここが一番好きです。最後の方ですけど
アレクセイの能天気さは、物語があまりに重いから
必要なのかも知れないけど、どうもリアリティがないなあ・・・

私は原卓也訳で読んだんですが、
自分が好きなのは、鋭い人間観察が入っていることです。
時として腹を立てることは楽しいことだとか「民族的常識はずれ」とか。

あとは、自分が宗教性のようなものに惹かれるからです。
修道院とか。
クリスチャンではないんですが、西洋文学や西洋美術が好きだというのもあるし・・・・・
でもこれは興味ない人には興味を持てない部分でしょう。
ロシア人と大地の精神的関係なんかもいいですけど。

ロシア文学って人生の深みを描いていますが、
美女をめぐる色恋沙汰が多いんですよ(笑)
こういう見方はいかがでしょうか。私はこの読み方に賛成。
 ↓
http://blog.livedoor.jp/benica/archives/24179011.html


私は『罪と罰』が挫折し通しでした。
古本で買ってしまったので読みにくかったのかしら。
亀山訳が出たから読もうかな。でももったいないな。と思ってやっと読みきりました。
でも『カラ兄』のほうが好き。
『白痴』はわりとすぐ読めました。
公爵は特に好きというほどでもないけど(嫌いでもないけど。カラ兄のアリョーシャのほうがずっと好き)、ナスターシャが好きでした。

こう見てみると、私は共感できる登場人物がいるかどうかで読んでるのかもしれません。
『カラマーゾフの兄弟』も、それぞれの人物の描き方かな。
長老、イワン、カーチャ、リーザ、コーリャ・クラソートキン。
グルーシェニカ、ミーチャ、スメルジャコフ、グリゴーリイ。
司祭たち、その他の脇役の人々。

話が複雑で、一度読んだだけでは覚えられなかったです。

もしドストエフスキー的文体に慣れていないのなら、
準備体操として『白夜』(角川クラシックス)をさらっと読んでから『カラ兄』に戻るのもいいと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E5%A4%9C-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/4042087027

「罪と罰」の中で語られている「罪」と「罰」とは何なのでしょうか?

ドストエフスキーの「罪と罰」

ドストエフスキーの「罪と罰」の中で語られている「罪」とは何なのですか?また「罰」とは何なのでしょうか?どなたか詳しく教えてください。おねがいします。

「罪と罰」ですが、もちろん刑法上の「犯罪と刑罰」ではあるのですが、「罪」は「人の定めたおきてを踏み越える」だけではなく、さらに形而上的な意味合いとして「神のおきてにそむく」ことでもあると考えられます。ラスコーリニコフは、自尊心にもとづいて行動を起こしたが、それは「神のおきてにそむく」罪でした。「罰」は、ほぼ定説となっているのは、犯罪の直後からまざまざと実感するようになった人類との「断絶感、分裂感」ですが、それに加え、神による「罰」の最高形態である「愛の不能」もそうであるという論もあります。つまり、愛が不可能なところでの愛への渇望です。

僕が思うには、ドストエフスキーにとって、
罪と、そして、罰、とは、因果律に結ばれた
二つの概念ではなく、ひとつの物を、そのまま
差したのだと思います。

そのひとつの物、とは、彼の観る、人間そのもの
の、そのままの在りよう、だったと。

彼の処女作を思い出してください。
「貧しき人々」ですよね。
その後、流刑にあい、彼はそこで様々な人間の
形をした絶望を目の当たりにする訳ですが、
彼がそこで見たものとは、宇宙の根源まで行っても
癒えない、人間というものの深い悲哀だったので
はないでしょうか。

「罪と罰」の中の場面で、ラスコーリニコフが
ソーニャと二人きりで、ベッドの上に座り、
聖書を読む所がありますよね。
その時のラスコーリニコフの心裡のささやきを、
ドストエフスキーは冷徹に描く・・・、隣の部屋
に、ちゃんと或る人物を置くのを忘れず。
また、大地に接吻をする場面でも、更に、最終章
でも、ラスコーリニコフは、あくまでも醒めた
ままの状態にしたまま、ついに、彼は、そのまま
この大きな小説を閉じてしまいます。

これらは、いったい何を意味するか、と、考えると、
そこに、僕は、ドストエフスキーという人の、
直な、また、或る意味で、生な、人間存在そのもの
が持つ、いわば「原罪」、或いは、「実存」という
ものへの、非常にはっきりとした眼差しを感じます。
つまり、「天使」や「神さま」をそのままに感受す
るソーニャのような存在を肯いながらも、しかし、
それだけでは到底救い得ない人間の深い悲哀、絶望
というものを、彼は、まるごと、そのままの形で荷
おうとするかのように、苦悩や紳吟、天ではなく、
この地において、神ではなく、この人間の魂において、
いわば、地獄の自己救済という、大変リアルな
カオスに沈黙の予定調和黙示する、そのように、
感じられます。

例えば、マイスター・エックハルトは、人間の魂の
内側においてこそ、神の魂は最もよく自らを
露わとする、と言います・・・無論、ドストエフスキー
も、このロマ書の言葉に一人涙することの出来た
人だった事でしょう。しかし、彼はその道を取らなかっ
た。

僕には、「罪と罰」がそのまま、彼の「愛」だった、
そんな風にも感じられます。

「人間は慣れる動物である」という言葉が好きなのですが、ドストエフスキーのどの作品のどの場面で書かれたか教えてください

ドストエフスキーの名言

人間は馴れる動物である、という文句が好きなのですが、作品名とどの場面で書かれた文章なのかがわかりません。できればロシア語でも知りたいのですが、どなたか、この言葉を詳しく知っている方いますか。

たぶん「死の家の記録」(Записки из мертвого дома)の言葉ではないかなあと思います。第一章「死の家」に次のようなくだりがあります。

Человек есть существо ко всему привыкающее, и, я думаю, это самое лучшее его определение.「人間というものは馴れる存在である。そして私はこれが人間を最も適切に定義していると思う」

28歳のとき、ドストエフスキーはペトラシェフスキイ会の検挙の際に、会員ともども逮捕され、ペテルブルグの監獄に拘留されてしまいます。そして死刑宣告を受け、刑場に立って今まさに撃ち殺されようとしているときに、皇帝の使者が来て「恩赦」となりシベリア流刑になるのですが、「死の家の記録」はその時の体験をもとに書いたといわれています。

「死の家の記録」 工藤精一郎訳・新潮文庫 
この最初のほう(新潮文庫ではP15後半部分)に、

「……それにしても人間は生きられるものだ!
 人間はどんなことにでも慣れられる存在だ。
 わたしはこれが人間のもっとも適切な定義だと思う。」

というくだりがあります。これがもとになっているのではないでしょうか。
訳者によっては、”存在”をたとえば”生きもの”とか”動物”にしたということが考えらると思うのですが…。

この作品は、自身の獄中での体験にもとづく「小説」という形をとってはいますが、
ほとんど完全に「ノンフィクション体験記」のような作品です。
上記のくだりは、劣悪な環境の監獄で生きる囚人たち、
あるいは彼らと同じくそこで生きる自分自身に向けて、発した言葉です。

ロシア語はわかりません、原作を探してこのくだりを探すしかないかなぁ…
あるいは外国語カテに行けば、ロシア語に堪能な方からご回答もらえるかもしれない、と思います。
ご参考までに。

名言

・ある社会の文明の発達の度合いは、刑務所に入ってみることでわかる。


・楽園は我々一人ひとりの内にあるのです。

 それは今私の内にもあるのです。


人間には、幸福のほかに、

 それとまったく同じだけの

 不幸がつねに必要である。


コロンブスが幸福であったのは、

 彼がアメリカを発見した時ではなく、

 それを発見しつつあった時である。

 幸福とは生活の絶え間なき

 永遠の探求にあるのであって、

 断じて発見にあるのではない。

まとめ

<public relations>       

★Q&Aサイト「OKWAVE」にOK-チップが導入! 質問・回答をしたり、他人からのお礼でもらえるチップをためると、今後、様々な優待に利用できます。


OKWAVE

https://okwave.jp/ 


新規登録

https://okwave.jp/register


OK-チップとは?

https://project.okwave.jp/thanks-economy/?owad=myp&t=pc&w=20180626


多言語対応スタート!101の世界の言語で質問・回答が可能になりました

https://www.okwave.co.jp/press/20181025/

このユーザなら私の疑問や悩みを解決してくれそうと思ったら、
質問への回答をリクエストすることができます。

必要なもの

特集


感謝でトクする時代へ!感謝経済に参加しよう!

ピックアップ

ページ先頭へ