幕末の三傑「大久保利通」特集!「なぜ地元(薩摩)で嫌われていた?」「主な功績は?」

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はじめに

8月10日は幕末に活躍した薩摩藩士・大久保利通の生誕日。

1830年のこの日、下級武士の家に生まれた大久保ですが明治維新に大きな功績を残し、西郷、木戸らと共に「維新の三傑」と呼ばれています。また、初代内務卿(現在の首相)を勤めるなど、維新後も政界のリーダーとして尽力しました。OKWAVEでの大久保利通に関連したQAをまとめました。


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大久保は近年まで地元の鹿児島で嫌われていたのですか? また主な功績は何でしょうか

大久保利通の地元での評価

大久保利通は地元の鹿児島県では近年まで嫌われていたというのは本当でしょうか。理由はなんでしょうか。また、大久保の主な功績というのはどういうものがありますか?

西郷人気が高く、西郷を裏切った形になった大久保は長らく嫌われていたそうです。没後100年記念まで銅像などもなかったとか何とか。

功績としては「自殺しようとした西郷を止めたこと」(笑)
あとは維新の後、200万人以上の武士が失業したわけですが、その混迷期のなかで新しい日本を作るために尽力したことは今の日本にも大きな影響を与えた大きな功績だと思います

迅速に中央集権国家を作り上げたことでしょうね。
当時の国際情勢ではうかうかしていたら列強諸国に攻められ、すぐに植民地にされかねない状況でした。そのため強引な政策や非情とも言えることもしています。しかし、すべてを国のために捧げた人物である証拠として、絶大な権力を持ちながら、死後、2億4000万円もの借金があったことが発覚したそうです。もっと評価されてもいい人物ですね

ひとつは初期の明治政府を作り上げた中核人物が大久保利通、木戸、伊藤博文です。
もうひとつは維新志士としての活躍、これがどの部分が大久保が担ったのかよくわかりませんが、藩父(藩主の父親にして実質的支配者)島津久光と西郷隆盛は非常に仲が悪く、その間をとりもったのが大久保といわれています。
よって実際に薩摩藩の藩論を統一し維新に導いたのはおそらく大久保の内部工作の賜物です。西郷一人じゃなにもできなかったでしょう。
でもこういう裏方仕事というのは記録に残りにくく、どの程度の働きかよくわかりません。それがいまいち知名度が足りない理由でしょう。竜馬や木戸みたいに筆まめだったら自分で自分の功績を後世に残せるんでしょうが、そんなの有事の政治家としては情報管理失格ですしw

大久保はどんな人物だった?

大久保利通とはどんな人?

大久保利通はどのような性格の人だったのでしょう?
薩摩藩士ですが剣術の腕前はどうなんでしょうか?
馬車に乗っているところを暗殺されたのでそれほど強くないのかなというイメージもなくもないですが。

あまり詳しくはありませんが、

地元薩摩の為や、私利私欲では動かなかった人のようです。
“日本国家のため”だけに生きた人と思います。
自身の生活は苦しいのに、寄付はしていたようですね。

現在 大久保利通のような、日本国家の為だけに生きる政治家が欲しいですね。

無理かぁ~、、、。

幕末である意味最強の男です。
維新三傑の中でも最も心が強く、志が高く、思想を実行に移せる男だからです。
私情やを地元愛を仕事に持ち込み、征韓論問題で現実から逃げて鹿児島に帰った西郷隆盛は最終的には思想に殉ずる事をリタイヤしたことになる。
西南戦争など度重なる内輪モメに意欲を失った木戸孝允も心が弱い。
大久保だけは徹底していた。改革に大なたをふるい、新政府を乱す者は盟友だろうと潰し、親友の西郷さえも許さなかった。それこそ鬼となって中央集権化を進めた。しかし西郷が死んだ時、大久保は大粒の涙を流したらしい。
地元びいき(利益誘導・郷土人脈を優先)や私的感情で動く政治家が多い中、大久保だけは日本全体を見て新国家の成長だけを願い行動した。
明治政府で大久保は、地元びいきをしなかったおかげで地元から嫌われた。さらにワイロを嫌い私利私欲に走ることもしなかったおかげで借金を残して死んだ。
私情を挟まず、折れない心と思想と強い責任感を持ち、日本の強化にすべてを捧げた人生。
大久保は世間では冷酷で腹黒いイメージですが、実はこんな強い男だったんですね。

既に書かれている人がいますが剣術の腕前はそんなに上手くなかったのではないかと思います。
ただ暗殺時には刀を持っていなかったはずです。むしろ特筆すべきなのは、このレベルの高官が護衛を伴っていなかった事ではないでしょうか?
残念ながら理由は推測になってしまうのですが、同じ三傑の木戸が坂本や大村に護衛をつけろと言っていたにも係らず、自身には護衛をつけなかった事から考えると、大久保も自身の信条でつけることを望まなかったのでしょう。非常に肝の据わった人だと思います。

私は大久保という人物は自分の意で国家を動かそうとしていた人間だと思っています。(理由は後述)動機が私利私欲ではなく、日本の為にというのが今日の評価に繋がったのだと思います。

彼は岩倉使節団以後は変化するのですが、それ以前は旧幕臣の登用に非常に批判的でした。この為、渋沢栄一からは酷評されています。
また、彼は木戸を如何に抱き込んだ形で自らの政策を進めるかという事を考えました。
これは大久保一人では政府運営ができないからです。その為、非常に礼を尽くして辞職した木戸を引き戻そうとやっています。しかし、決して木戸の政策に賛同しているという事ではなく、交渉材料に過ぎないというべきで、そうした所に木戸は不信感を抱いていました。

廃藩置県においても旧来の殿様を県令として据える大久保と旧来の殿様の排除を求める木戸で対立します。結局木戸に引きずられる形になりますが、如何に廃藩置県が最大の改革かといわれるポイントは、この部分にあります。ですが主君との関係を見ると木戸と毛利敬親が良好な一方で大久保と島津久光は非常に険悪でした。
ここで注意して欲しいのは大久保一人で改革をやり遂げたのではないこと、彼が自分に不都合な施策でも最後まで責任を担い続けた事です。

三傑の他二人と比べると非常に人間離れした人だと私は思います。

一介の武士だった西郷や大久保、木戸が力を持てたのはなぜでしょうか?

西郷や木戸が力を持ってたのはなぜ?

薩摩の西郷隆盛や大久保利通、長州の木戸孝允は一介の武士だったのに家老よりも実権を握り、その藩を代表するような行動ができたのはなぜですか?

日本が高度経済成長の中にあった頃、
なんとなく年功序列や縁故や学歴で出世した人達が
いましたが、このご時世で、皆
「早期退職」や「リストラ退職」
してしまいました。

「仕事はやるが、若いのにプライドが高く生意気」
くらいの連中が、現在は幅をきかせているような
気がします。

要するに「時代が変われば求められる人材」も
変わる、と言う事でしょう。

平安な時代では「邪魔がられる人材」も、
乱世や戦国時代になると、頭角を現すものだと
思います。

ちなみに銀行ではバブル時代、
「ドケチ、真面目すぎ、頑固」が干され、
今はその逆なんだそうです。

上に立つ人達もバカばかりではないですからね。

ジョン万次郎とか、ただの漂流者と言ったら言い過ぎ
ですが、大抜擢されましたし。

幕末の日本は戦国時代より切迫していましたから、
役職や身分に関係なく人事や政治を行う必要性
に気が付いたのだと思います。

幕末ともなると、代々世襲の家老は、ボンクラばかりになって
しまいました。
よって、激動する幕末の時世を正確に見抜き、藩主の
期待に応えることが不可能だったんですね。

薩摩の西郷や長州の桂小五郎は、激動する時世を見抜き、
困難な藩政の運営にこたえるだけの見識と実力をもって
いました。
両者とも登用されたり失脚したりと、浮き沈みが激しかった
ですが、明治維新が近づくにつれ、彼らなしには藩政
が進まなくなるところまでに藩が頼るようになりました。

また桂小五郎は、上士であったため、直接藩政に携わる資格も
もっていました。
西郷については、小松帯刀という家老が西郷のより理解者で
あったため、彼を通して藩政を動かすことも多かったようです。

大久保利通は少し違います。
彼は、西郷が島流しになったあとに、当時藩の実権を
握っていた、島津久光の直接接近し、その側近にとり
たてられます。
大久保はその才能ゆえに島津久光に重用されたため、直接久光を
動かして、政策を実行に移すことができました。

安倍晋三氏の総理就任は明治維新の原動力となった長州閥の影響があるのでしょうか?

明治維新と安倍晋三総理大臣

明治維新の原動力となったのは、やはりなんといっても薩摩と長州が輩出した人材だと思います。また、明治から大正の時代を担ったのも、維新の動乱の中から生き残った薩摩と長州の人たちですよね。この人達の功罪は別にして、また、私利私欲に走った輩がいるとか、さらには個人的な「好き・嫌い」の問題も別にして、評価されてしかるべき面はあると思います。

そこで歴代の内閣総理大臣を調べてみると初代伊藤博文(明治18年)から、第18代の寺内正毅(大正5年)までは、出生地別に見ると、前半は、山口県と鹿児島県の「たらい回し」ですが、9代以降はほぼ山口県一色という感じです。(大隈重信と西園寺公望を除く。)第19代の原敬(岩手)が平民宰相と言われた理由が、この歳になってやっと分かりました。(笑)

何故、歴代総理大臣を調べてみる気になったのかというと、ふと、現在の安倍総理大臣(第96代だそうです。)も山口県のご出身ではないか、と想い出したからです。調べてみると、やはり「山口県」でした。そんなこと、調べなくても、当たり前だろう……なんて笑わないで下さい。政治や歴史は、まったくのオンチなのですから。

また、19代以降では、山口県出身者が4人(田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三)に対して、鹿児島県出身者は1人(山本権兵衛=第2次内閣、第16代総理大臣を経験している。)です。

そこで質問の一つは、安倍晋三氏の総理大臣就任というのは、明治維新の原動力となった長州閥の恩恵を受けているといえるのでしょうか?それとも、単に彼の実力なのでしょうか?あるいは他の要因があるのでしょうか? ということです。

もう一つの質問は、上記したように、19代以降の総理大臣で鹿児島県出身者は山本権兵衛(第2次内閣、すでに第16代として総理大臣を経験している。)だけです。山口県に比較して少ないように感じたのですが、これは西南戦争で西郷隆盛が負けたこと、紀尾井坂の変で大久保利通が暗殺されたことと関係があるでしょうか?それとも、単に鹿児島県出身者に総理大臣になれるような人材が出てこなかったというだけことでしょうか?

確かに山県有朋が存命中は長州閥というものがありました。しかし、彼の死後一時期田中義一がリーダーという風にみなされたかに見えましたが、大したことはありませんでした。他に薩摩閥ですが、松方正義以後はこちらは牧野伸顕、上原勇作という人が出ましたが、いまいち器量不足でした。大正末年になると、藩閥政治を引きずるような時代ではなくなったのです。ほかの県からも優秀な人材が出てくるとともに藩閥の長老は亡くなり、相対的に低下していったのだと思います。また、これは今までの元老政治から踏襲されたのですが、日本的だというか総理大臣という表で最高の地位に就くよりも陰で糸を引くような政治家がはやり始めます。つまり、あえて権力さえあれば日の当たる地位に付こうと思わなくなったのだと思います。

戦前、うーん、大正時代くらいですかねえ、そのくらいまでは確実に長州閥というのはありましたよ。旧陸軍というと「自分は~であります」という口調ですよね。この「自分は~であります」という喋りは長州弁なんです。つまり陸軍の標準語は長州弁というわけ。日本陸軍創設時に半分近い兵を出したのは薩摩だったのですが、西南戦争から日清・日露戦争は長州人材が中心となりました。まあそうなりゃ陸軍は長州のものみたいな部分はあったと思います。

ただ、安倍首相はもう関係ないとは思いますよ。ただ、安倍首相がいわゆる二世議員の「お殿様」であることが大きいと思います。いわゆる「55年体制」ってのが終わったのが今何かと話題の細川護熙政権誕生のときだったと思いますが、あれがちょうど20年くらい前で、それからこっちは「お殿様」の天下です。
細川首相以降、首相は13人出ているのですが、うち6人が「お殿様」です。その原因なんですが、おそらくお殿様がお金を持っているからでしょうね。2000年頃からいわゆる派閥潰しってのがありましたよね。派閥政治はよろしくないと。んで、政治ってのは結局どこの国でも金がモノをいう業界ですので、それまで子分に金を配っていた派閥の親分が潰されたら、お金を持っているお殿様の地位が相対的に上がってきたのでしょう。なにしろお殿様議員ときたひにゃ、寝てても選挙に落ちることはないですからね。森喜朗氏や菅直人氏や野田佳彦氏が大逆風選挙になったら落選を囁かれるまで追い詰められたのとは好対照で、お殿様議員で引きずりおろされたのは稀代のバカ殿、鳩山由紀夫氏のみで、小泉純一郎氏、安倍晋三氏、福田康夫氏、麻生太郎氏が選挙で落選するってイメージも湧きません・笑。小泉さんは若い頃落選したことがありますけど、息子はイケメンだからありゃもう絶対落ちませんわな。

鹿児島県出身者がパッとしない理由は分からないですが、元々中央の政治には疎い土地柄です。というか、薩摩ってもう戦国時代からずーっと内部抗争ばっかりなんですよ。島津家ってよくこんなんで滅亡しないのが不思議なほどの内部抗争ぶり。例えば関ヶ原の合戦のとき、島津はあの島津義弘のわずか1500の兵しか送れず(というか、勝手に集まってきた家臣を集めたらそれだけの数になった)、戦史において空前絶後の「敵に向かって退却」をやって武名を高めたのはご存じだと思いますが、島津家が関ヶ原戦役においてこの「敵に向かって退却」以外に存在感が全くなかったのは、地元で「庄内の乱」というのを抱えていて身動きがとれなかったからです。もうね、それから叔父と従兄弟とか兄弟とか爺ちゃんと孫とかもう身内の抗争ばっかりでね。そんな身内で揉めてばっかりだとそりゃ中央で天下はとれませんわな。
今でも、鹿児島で仕事をしたことがある友人によると鹿児島で大久保利通を良くいう人はいないそうです。「鹿児島を裏切った奴」だからだそうで。つまり鹿児島県民の県民性は「中央より地元主義」なんでしょうな。

まとめ

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