最強剣士「宮本武蔵」ガイド!「生誕地はどこ?」「なぜ果し合いを繰り返した?」

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はじめに

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4月13日は巌流島、決闘の日。1612年のこの日、山口県下関市・関門海峡にある無人島、巌流島で剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われました。OKWAVEで宮本武蔵に関連するQAをまとめました。


他の宮本武蔵QAはこちら

https://okwave.jp/searchkeyword?word=%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E8%94%B5


宮本武蔵の生誕の地は?

宮本武蔵の生誕の地は?

宮本武蔵の生誕の地として、作州説と播州説が有りますが、どちらが有力な説なのでしょうか?
それぞれの説について解説された本とか有りましたらご紹介下さい。

宮本武蔵の生誕地は播州でほぼ決まりのようです。養子で小倉小笠原藩家老の伊織が自らの生誕地の泊神社へ献上した棟札や小笠原藩に伝わる系図などから、武蔵は伊織の父、田原久光の弟であることが判明しています。久光と武蔵の父、田原家貞は播磨国印南郡米堕村(兵庫県加古川市米田)の人ですから武蔵もここで生まれたと思われます。
 その後、天正年間中に作州の剣士宮本(新免)無二之助藤原一真の養子になったようです。ですから武蔵の生誕地は播州、少年期を過ごしたのが作州ということになります。ちなみに養父無二之助は巌流島の決闘の時までは健在で、決闘後の武蔵を保護しています。

 現在の所、作州説から有効な反論は為されていないようです。

 『真説 宮本武蔵(原田夢果史著)』や『宮本武蔵のすべて(岡田一男・加藤寛編)』などがお勧めですが、最近は手に入りにくいようです。近刊では一般向けですが『宮本武蔵50の真説(高橋華王監修)』などが最新の説を紹介しています(ただし、考証が雑なので鵜呑みにしないでください)。

その他の回答はこちら

https://okwave.jp/qa/q207245.html

武蔵はなぜ果し合いをした?

宮本武蔵

宮本武蔵など剣豪(武士?)は果し合いをよくしたみたいですがなんのために切り合ったんですか?
それから宮本武蔵は剣豪というより兵法者だったと書いてある所があったのですが兵法者とはなんですか?

剣豪とは剣術の名人ですね。剣術において優れた人。文豪とかと同じです。
兵法は「ひょうほう」または「へいほう」と読みますが、剣術のことです。江戸時代以前は兵法の方が一般的だった(自信が無いけど)と思うのですが。詳しい方がいたらその辺補足又は訂正お願いします。
で、兵法ですが、戦の戦術なども指しますが、剣術などの武闘術も指すわけです。
で、果し合いというか何で斬りあうかといえば、武蔵の場合は武者修行。ただ、武者修行のためと言っても、自分よりも強い人とやって負けて死んだら意味無いですから、勝って名を上げてどこかに任官するとかの営業です。斬り合いといっても、もちろん喧嘩や仇討ちなんかもあるわけですので、なんでもありのケースバイケースです。仇討ちで有名な例としては荒木又右衛門の鍵屋の辻の仇討ちとか。幕末になると勤皇派と佐幕派の斬りあいなんかもあったわけで。

その他の回答はこちら

https://okwave.jp/qa/q3725580.html

武蔵の逸話ってどこまで本当の話なんでしょうか?

宮本武蔵って

どこまで本当の話なんでしょうか?
もちろん実在したのも五輪の書を書いたのも知っていますし、
絵や彫刻など意外に多芸でいろいろなものを残してるのも知っています。
でも多芸だからこそ
自分の価値を吊り上げるためにいろいろ吹聴して回ったんじゃないの?
という気がしてなりません。
その時代は禄の無い浪人があふれかえっていましたから
侍として召抱えられるためにはある程度大風呂敷を広げるものだと思います。
疑問に思っているのは
1.二刀流なんて日本刀で果たして可能なのか?
もちろん人並み外れた腕力があってこそだとは思いますが
人並みはずれた腕力があるなら小次郎のように長い剣を振るうほうがはるかに効率的なはず
2.その小次郎も武蔵と戦った以外はほとんど何の記録も残っていなかったと思います。この人って本当に実在したの?
武蔵は実在していたのは分かっているし、まるっきり剣が立たないなんてことはありえないのも分かっています。
でも「二刀流」「佐々木小次郎」に関しては武蔵のうそなんじゃないの?と思っています。
歴史と剣術に詳しい人よろしくお願いします。

小倉碑文による限り、「佐々木小次郎」のモデルとなった「岩流」なる人物は、実在したと思います。但し、実名・年令・経歴とも不詳です。もちろん、ツバメ返しなどという技は、小説・ドラマの中だけのものでしょう。

さて、武蔵の二刀流のことです。武蔵自身が「可能だ」と言っておりますので、ご紹介します。

五輪書をよく読むと、武蔵は、「太刀を片手にて取りならはせん爲」に二刀を持たせると言っております。つまり片手で太刀を振るえるようにするために、あえて練習のために、二刀を持つものだということのようです。少し読みにくいかもしれませんが、五輪書(地の巻)から引用します。

まず、なぜ片手で太刀を扱うかについて、こう語ります。
≪太刀を兩手にて持ちてあしき事は、第一馬上にて惡し。沼、ふけ、石原、嶮しき道、人ごみに惡し。左に弓鑓を持ち、其外何れの道具を持ても、皆片手にて太刀を使ふものなれば、兩手にて太刀を構ふる事、實の道にあらず。≫

つまり、戦場においては通常、片手で太刀を扱うのであって、両手で太刀を構えるのは本当ではないと言うのです。確かに戦場では走り回ることが多く、その場合は、必然的に片手斬りになるのかなと思います。

さらに、片手で打ち倒したら、
『兩手にても打留るべし。手間の入る事にても有るべからず。』
と、止めを刺すことも教えています。まさに実戦です。

で、これらに続けて、二刀にする理由を
≪先づ片手にて太刀を振りならはせん爲に、二刀として、太刀を片手にて振り覺ゆる道なり。≫
と延べ、真意は「片手一刀」にあることを明らかにしています。

そして、片手一刀は、最初は難しいけれど「可能だ」と言っているのがこの部分です。
≪人毎に初て取る時は、太刀重くして振まはしがたきものなれども、其は太刀に限らず、萬初て取付る時は、弓も彎きがたし、長刀も振りがたし。何れも其道具々々に慣れては、弓も力つよくなり、太刀も振りつけぬれば、道の力を得て、ふりよくなるなり。太刀の道と云ふ事、早く振るにあらず。≫

なお、道場の稽古で二刀の方のお相手をさせていただいたことがありますが、非常にやりにくかったことを覚えています。もちろん私が弱いせいですが、同じ実力ならば、二刀のほうが強いんじゃないかと今でも思っています。

その他の回答はこちら

https://okwave.jp/qa/q1907549.html

日本の刀はいろいろありますが、二刀流は何の刀だったのでしょうか?

元祖二刀流 宮本武蔵

本家二刀流は、どの種類の刀でしたか?

日本刀剣は、直刀、打刀、太刀、刀、脇指、短刀、剣、薙刀、槍 等々が有る様。ですが。

剣とは長い諸刃の剣身を持つものを指し、日本国内では日本刀という優れた刀が開発された事により、日本刀が普及した以降は剣や直刀は廃れてしまいましたから、武蔵の生きていた頃は剣が使われなくなってから何百年も経過しておりますので、武蔵が剣や直刀を使用していたとは考えられません。

【参考URL】
 剣 - Wikipedia > 4 剣と刀
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3#.E5.89.A3.E3.81.A8.E5.88.80

 それに、宮本武蔵が生きていたのは戦乱の時代の末期から江戸時代の初期にかけてであり、その頃は戦乱があったため刀は消耗品でしたから、武蔵が使用していた刀は何本もあったと考えられますが、少なくとも宮本武蔵関連の収蔵品としてはおそらく日本一と思われる熊本市の島田美術館に展示されている宮本武蔵の刀は反りがある片刃ですから、どう見ても剣や直刀ではありません。

【参考URL】
 熊本の美術館 島田美術館 > 今鑑賞できる宮本武蔵
  http://www.shimada-museum.net/musashi.html

 また、二刀流とはその名の通り2本の刀を使用する剣法の事ですから、両手で使用しなければならないために1本しか持つ事が出来ない上に、そもそも刀ではない薙刀、槍 を使ったのでは二刀流にはなりません。

【参考URL】
 二刀流 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%88%80%E6%B5%81

 また、武蔵が創設したとされる二天一流は右手に大太刀、左手に小太刀の二刀を用いるものであり、この場合の大太刀や小太刀は太刀そのもののみを指している訳ではなく、太刀と打ち刀の総称なのですが、小太刀とは短刀よりも長く定寸刀よりは短いものを指す言葉ですから、武蔵が二刀流で戦う際に使用したのは短刀ではないと考えられます。(そもそも、短刀では短過ぎて、普通の長さの刀を持った相手に対して攻撃する際には、投げつけて使う以外にはまず使い物になりません)

【参考URL】
 二天一流 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%A4%A9%E4%B8%80%E6%B5%81

 大太刀 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A4%AA%E5%88%80

 小太刀 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A4%AA%E5%88%80

 短刀 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%AD%E5%88%80

 脇差 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%87%E5%B7%AE

 太刀と打刀の違いは、鞘に納めて身に着ける際のやり方の違いであり、刃がある側を下にして紐を用いて腰から下げる形で身に着けるものを太刀と言い、刃がある側を上にして帯に差す形で身に着けるものを打刀と言います。
 そして、描かれている武蔵の絵姿では武蔵は帯に刀を差していますから、打刀であったと考えられます。
 元々、太刀の佩刀方法は馬上で使う事を想定したものであるのに対し、打刀の身に着け方は徒戦(かちいくさ:徒歩で行う戦闘)を想定したものであり、武蔵は騎馬武者として合戦に参加した事はあるものの、両手に刀を持ったままでは手綱を握って馬を操る事など出来ませんから、二刀流を用いる場合には必然的に徒戦となりますので、二刀流を用いる場合には不利となる太刀を使ったとは考え難く、打刀を使用したと思われます。

【参考URL】
 太刀 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80

 打刀 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E5%88%80


 従って、宮本武蔵が"二刀流で戦う場合"において"主に"使用したのは、打刀の大刀と打刀の脇差であったと考えられます。

 尚、二刀流とは両手に大小の刀を持って戦う戦闘方法の事であって、特定の流派の名称などではありません。
 また、二刀流は宮本武蔵が生まれるよりもはるかに昔から存在しており、宮本武蔵が自らの流派の一部として二刀流を用いる事があったのも、その父親の新免無二が開いた流派である當理流(当理流)の中の一部として、二刀流で戦う戦闘方法が含まれていたためなのですから、宮本武蔵は二刀流の元祖ではありません。

【参考URL】
 二天一流 - Wikipedia > 歴史
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%A4%A9%E4%B8%80%E6%B5%81#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

 当理流 - Wikipedia
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%93%E7%90%86%E6%B5%81

その他の回答はこちら

https://okwave.jp/qa/q9249311.html

まとめ

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