「天草の乱」特集!「天草四郎はハーフだった?」「聖人・殉教者になっている?」「軍資金はどこから?」

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はじめに

2月28日は「天草の乱」が終結した日。1638年のこの日、「島原の乱」とも呼ばれる、天草四郎を中心とする3万7000人の農民による蜂起は、立て篭もっていた原城の落城とともに終結しました。

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天草四郎はハーフだった?

いや日本人でしょう。ハーフ説は聞いたことありません。

島原の乱を起こした時は16歳の少年でしょう。

ウィキペディアによるとキリシタン大名の家臣の子となっていますね。

そういえば、先日、天草四郎の特集がやってましたね。

実は、領主の不当な年貢取り立てによる農民一揆だったものに天草四郎のようなキリシタンの暴動が重なっているだけであって戦っていた農民全てがキリシタンだったわけではないようですね。
徳川側(松平)にしてみれば、豊臣を倒し、やっと天下平定したところなのに
農民一揆がおきては都合が悪かったのでしょう。

キリシタンであれば、征伐の理由もつきやすいし、全国に飛び火しにくい。
この理由をとりたてて用いたのにはそういった事情も考慮する必要があるでしょうね。

天草四郎は海を歩いたとか色々いわれていますが、全部デタラメです。
伝説になることで、なんの希望もなくなった農民たちの一筋の希望の光になったのでしょう。
ただ一揆勢皆殺しという結果におわったのは、彼のカリスマ性も大いに影響していたこともは事実です。

天草四郎時貞が言った名言とは何ですか?

天草四郎「いま籠城している者たちは来世まで友になる」

「島原の乱」の天草四郎時貞は、現在日本のキリスト教会(特にカトリック)の中でどのような扱いになっているのでしょうか?  殉教者・聖人という扱いなのでしょうか?

現在のカトリックでは、天草四郎は聖人ではないですね。
聖人の前の段階の福者という段階があるのですが、それにも入っていません。
そもそも、教えに殉じたわけでもないというのが本当のところです。
困民のために立ち上がった立派な人物ではあるでしょうが(ここは僕の主観)。

余談の知識ですが、日本で殉教した人のうち、初めて聖人と見なされているのは、日本26聖人殉教者です。東京の本所カトリック教会では、通年この聖人を奉祝する祭日を設けています。また、長崎にあるその聖人のレプリカは知られています。

島原の乱はキリシタンの決起ではないとしたら 目的は何でしょうか? 天草四郎とは何者なのでしょうか? 3万7千もの民兵が4ヶ月も篭城出来た軍資金はどこから出たのでしょうか?

参加者にキリシタン農民は多くいましたが、
宗教戦争ではなく、天草藩寺沢家島原藩松倉家への
暴政に怒った百姓一揆です。

天草四郎は、小西行長の家臣であった益田家の生まれで、
島原のキリシタン農民に人気あるカリスマだったので
一揆の指導者である、天草島原の旧支配者の小西家有馬家の家臣だった
浪人郷士富農たちに利用されて、天草姓を名乗り
頭目に祭り上げられました。

原城に追い詰められ籠城する前に、
藩の蔵から、年貢米は、もとより現金、武器弾薬など
奪いました

重すぎる年貢から来る生活苦故の、百姓一揆が核になっています。

それに旧領士族が加わって、組織化された反乱になりました。

天草四郎は本名、益田四郎時貞で、天草は旧領主の豪族の姓です。

兵糧は藩の蔵を襲い、奪った物です。


乱に加わった者は、主に村単位で参加したらしく、貧しい者だけが起こした乱と言う訳でもないみたいです。

また参加しない村の中には、一揆軍と争って村を守った記録もあるようです。

一般的にキリシタンの決起といわれる理由は、圧政の責任回避に、また幕府はキリシタン弾圧の口実にする為に言い出したものでした。

実際はキリスト教徒だけが参加した訳ではなく、また教義に基づいてもおらず、更にキリスト教国である筈のオランダは原城に大砲を打ち込んでいます。

天草四郎はどのような最期を遂げたのでしょうか?火の中で自害したとききますが、その後母親が痘痕のある少年の首を見て泣いたという話しに矛盾を感じるので。またキリシタン大名の中には教えに基づき切腹を阻んだ方がいると聞きますが自害する事は教えに背く事なのですか?

キリスト教は自殺(自害)を禁じています。
なので天草四郎も炎の中で自害説より、幕府軍は原城立て籠もりの反乱軍を皆殺しにしているので熊本藩士陣野左衛門に斬首されたのが現実的と言えば現実的です。

はっきりとはわかっていません、
原城総攻撃のときに燃える城の中で自害をしたそうです。
ですが、キリシタンはカトリックなので自殺は赦されません。
ましてや火中に飛び込み自殺などはもってのほかです。
現在ではというか1940年代あたりに火葬は教義に反しないというローマ法王庁の見解が出るまでは、火葬で葬られると肉体が喪失し「復活」や「魂の不滅」の教義に反するという考えがありました(キリストの復活に基づいた考え。大雑把な説明ですが)

首実検の話は、幕府側には四郎の顔を知っているものがおらず、近い年齢で立派な服を着ていた人の首を持ち帰ったという説もあります。
ただ、確実に死んだということにしたかったので、母親が首を見て悲嘆して泣き崩れたという話を流布させた可能性があります。
四郎は生き延びて国外に行ったという話もあります。

まとめ

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