6月17日はドイツ統一の日!ベルリンの壁崩壊はなぜ行った?

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はじめに

1953年6月17日にドイツ民主共和国(東ドイツ)で発生した市民蜂起の日を国民の祝日としているが、最近は1990年に東西の統一がなされて以来、「ドイツ統一」の語は特に日本国内においてはこれを意味して使用する場合が多くなっているようです。ドイツ全般に関するQAを集めてみました。

東西ドイツの国境について

【ベルリン】
第2次大戦後、ドイツの敗北でベルリンは、アメリカ、
イギリス、
フランス、ソ連の 4 ヵ国の占領区におかれました。
その結果、ベルリンは1945年7月東西二つの都市に分断され、
東ベルリンは東ドイツの首都、西ベルリンは西ドイツの事実上の一州となりました。
1948年6月、ソ連はベルリン封鎖(西側占領地区からベルリンへの陸上交通路の封鎖) を開始しました。
西側はこれに対しアメリカを中心に食糧などの空輸で対抗しました。
これでベルリンは二つに分裂が決定的になりました。

【ベルリンの壁】
さらに1953年6月東ベルリンで大規模な反政府暴動が起き、
それを機に多くの労働者が西ベルリンに亡命しました。
このままでは東ドイツは若い労働者を失うことになると危惧した東ドイツ政府は、
1961年8月にベルリンの壁を造り、交通を遮断し亡命を阻止しました。
これがベルリンの壁ですね。

【壁を巡る攻防】
壁を越えようする東側の人々は、有刺鉄線の壁をよじ登ったり、
穴を掘って壁を越えようとしました。
成功した人も大勢いましたが多くの人々は射殺されました。
しかし1989年11月9日に民主化を求める青年によってベルリンの壁が崩されました。

【ドイツ統一】
1990年10月、ドイツ再統一に際して東西ベルリンも統一され、
統一ドイツの首都となりました。

壁を巡る攻防!まさに歴史を作った人々ですね!

フランス革命~ドイツ統一までの主な出来事とは?

フランス革命~ドイツ統一までの主な出来事とは?

フランス革命~東西ドイツ統一までの間の時代に起こった主な世界的出来事といえば何でしょうか?
大まかにまとめなければならないのですが、知識もなく学も浅く、あまりに広すぎて絞りきれません…;
フランス革命から直接影響を受けた出来事でなくとも全く構いません。
世界史的にこれはマストで知っておくべき、という出来事を教えてください。

1815年 ウィーン体制始まる

1830年 7月革命

1848年 アヘン戦争 東アジア問題が欧州列国の課題になる
パリ二月革命とか、メッテルニヒが逃亡とかで、ウィーン体制が終わります
ドイツ統一に向けてイロイロ動き出す

1860年代 イタリア統一、ドイツ統一、明治維新、アメリカ南北戦争<近代国民国家、あるいは遅れてきた帝国主義の担い手
ロシアが農奴解放も1861年で、要はこの時代に「国民一緒になって、頑張っていきましょう」という時代が始まる

1900年代 日露戦争<帝国主義国家同士の戦争 1898年の米西戦争も含めて、それまでの帝国主義国家VS植民地という戦争から、帝国主義国家同士の戦争が本格化

1914年 というので、帝国主義国家のバトルロワイヤル戦争

1930年代 資本主義どうしましょうかの時代
国家による経済統制をやらないと、国が立ち行かないのですわというので
共産主義 ロシア
ナチズム ドイツ
統制経済 日本
ニューディール アメリカ
経済ブロック イギリス フランスとか

1945年 第二次世界大戦終結(あるいは1914年からの長期戦争の終結)

んでドイツ再統一
1990

遠い記憶~歴史の授業がぼんやりと思い出されます。

第一次世界大戦の、遠因・近因・直接的原因

第一次世界大戦の、遠因・近因・直接的原因

を調べているのですが
自分なりには

遠因:普仏戦争
近因:帝国主義拡張政策の対立 バルカン半島での諸勢力の衝突
直接的原因:セルビア事件

という風に考えたのですが
どう思われますか?
特に遠因というものが分かりにくいです。
詳しい方、ご忠告よろしくお願いします。

遠因:普仏戦争+ドイツ統一と大国化
近因:各国軍部の錯覚
直接的原因:シュリーフェンプラン

セルビア事件:原因というよりきっかけ
帝国主義拡張政策の対立、バルカン半島での諸勢力の衝突:
この2つは対立の芽にはなってもヨーロッパ中心部で
戦争をする理由にはならないみたいです。

近現代史、学校の授業ではこの辺りの歴史が一番の山場だったかも知れません。(現代史までは間に合わないんですよね~)

統一前の東西ドイツについて

(統一前の)東西ドイツについて

先日、ドイツ人の友達が、
「ベルリンの壁があったころは、
飛行機で東西を行き来しなくちゃいけなくて
大変だった」と言っていました。

私は、東西ドイツの行き来は、絶対に許されず、
もしも行こうとしたら殺されてたんじゃ…、
ある日、ベルリンの壁ができてしまって、
家族と離ればなれになった人がいたのでは…と
不思議に思いました。

過去のことですが、詳しいことを知っている方、
よかったら教えてください。

ベルリンの壁(西ベルリンを取り囲む壁)でなく東西ドイツ国境でしたら、国境線には爾来も敷設されていたそうですから、かつては町や村の境で自由に歩いてでも往来できたものが、地雷の上を飛び越さないと行き来できなくなったと言えますね。

西ドイツから西ベルリンへは、直通の列車や自動車と、航空路はありました。厳重に監視・警戒されていましたが。
東西国境や壁には検問所。

東西ドイツが分断されていたのはたった25年前のことなんですね。遠い歴史上の出来事のように感じますが。。。

冷戦or東側の国の雰囲気が分かる漫画ってあります?

冷戦or東側の国の雰囲気が分かる漫画ってあります?

東側の国が舞台の漫画とか、冷戦の裏事情を描いた漫画とか、
そういうのが読みたいです。
別に冷戦中に書かれたのでもソ連崩壊後に書かれたのでもいいですが、
プロパガンダ臭のきついのはご遠慮下さい。

新谷かおる「バランサー」
忍者の末裔の話で後半は東西ドイツが舞台になります。
河惣益巳「ツーリングエクスプレス」
殺し屋と刑事の話で、ロシアン・エクスプレス等ロシアやドイツを舞台にした話があります。

漫画で歴史の知識を得ることは案外良いきっかけになりますね!

ベルリンの壁が崩壊したそもそものきっかけは何だったのでしょうか?

この前テレビでもやってましたが、

記者会見の席上でいつから国外に出る規制を緩和するのかという質問を受けた
東独政治局の担当高官が、資料を見誤って
「Ab sofort !(直ちにだ!)」と言ったそうです。

それを通信員が打電し、世界へと広まり、東西ドイツ国内へもそのニュースが
広がっていきました。

ベルリンの検問所に東の人が殺到したのは1989年の11月9日のことで、
検問所の係官はテレビを見てなかったが、殺到する市民を見て、「暴動だ」
と感じましたが、あまりの数に恐れをなし、ゲートを開けちゃったそうです。

堰を切ったように行き来する東西ドイツ市民。結果的には追認状態で
壁が崩壊したというような話ですね。

最初は酔ったような感動の中で西側でも統一大歓迎ムード一色だったものが、
やがて酔いが醒め、これからの東の復興の為には多大な負担があるを意識し
始めて徐々に空気が変わっていったのです。

ドラマのような!でもこれが現実なんですね~

ドイツ統一に際するソ連軍撤退費の負担に対してのドイツ国民の不満

ドイツ統一に際するソ連軍撤退費の負担に対してのドイツ国民の不満

ドイツ統一(1990/10/3)でソ連軍にドイツは撤退費を払いましたが、多分膨大な金額だったろうと思います。これに対してドイツ国民から文句は出なかったのでしょうか?

ドイツの統一に関連した諸問題の討議及び決定が行われた2プラス4会議(東西ドイツ、米ソ英仏)において、2プラス4条約(ドイツ問題の最終的規制に関する条約)が署名され、同時に駐東独ソ連軍の撤収が同意されていますが、ソ連軍の撤収にかかる費用を当時の西独が負担するという約束をしたかどうかは定かではなかったかと思います。

ただ条約締結に先立つ1990年9月に、西独コール首相とソ連ゴルバチョフ大統領は両国における金融上の協定を結んでいます。
ゴルバチョフは当時のソ連国内の経済改革を確固たるものにするために160億ドイツマルク程度の借款を含めた経済援助を求めましたが、コールはこれを150億ドイツマルクに抑えて要求を呑んでいます。

無理に考えればこれらの経済援助に駐東独ソ連軍の撤収費用も含まれているかもしれません。そうなると国家間の取り決めであり、また経済援助という名目も考えると、旧西独国民がこれらの決定に対してそれほど目くじらを立てることはなかったかと思います。

統一なったドイツ連邦の国土にいつまでもソ連軍が居座ることを考えれば、金で解決する手法も仕方がないと考える国民が大多数ではなかったかと思います。ある意味立場は違いますが現在の日本が日本に駐留している在日米軍に、多額の思いやり予算と称した用心棒代を払っている現状にどこか似通っているといえなくもないですね。

鋭い考察です。

ドイツ連邦

ドイツ連邦

ウィーン会議後に成立したドイツ連邦の境界は、
オーストリアのおおよそ西半分のみがドイツ連邦に組み込まれているのですが、
オーストリアの国境と完全には一致していないのは何故なのですか?

ウィーン会議の目的は、「革命前の状態への復帰」が名目でした。ですから、革命中に滅亡した神聖ローマ帝国も復活させねばならず、結果としてドイツ連邦は神聖ローマ帝国とほぼ同じ領土となりました。

その結果、オーストリアの全土が組み込まれていません。
(正確に言えばプロイセン王国も全土が入っていません)

そもそもこの「ドイツ連邦」というのはドイツを統一させるものではありません。

むしろその逆で、会議ではイギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアの勢力均衡をはかることも原則とされたために、実際のドイツ連邦というのはいわば、プロイセンとオーストリアがヨーロッパ中央部での覇権争いを抑止するための人工的な勢力均衡の枠組みでした。
(プラス、保守反動体制(ウィーン体制)による、ドイツ統一を防ぐ役目)

ですから、上記の、神聖ローマ帝国の復活と言うのは全くの名目でした。

その後、オーストリアを破ったプロイセンによってドイツが統一されるのはご存知の通りです。

なかなか私たち日本人には実感として理解することが難しい国境の問題です。

つくづくその土地に来たんだな~、と実感したこと

古い話で恐縮です。
ドイツ統一前のこと。
列車でハノーファーからベルリンへ向かっていたときの車窓風景です。
それまで可愛い童話のような家並みが続いていたのに、国境を越えたとたん殺伐とした荒地になりました。
張り巡らされた有刺鉄線の傍らに、ポピーのような赤い花が揺れているのを見たとき、点々としたたる血のように見えて「ここは東ドイツなんだ。」と実感しました。

歴史の本に載っているお話ではなく、実感がこもった回答です。当時の雰囲気を知るにはこういう体験が参考になりますね。

ドイツ映画

ドイツ映画?

映画のタイトルを知りたいのでお知恵拝借願いたいです。

・たぶんドイツ映画? 今から15~10年位前の映画?
・ドイツ東西時代に母親だか祖母だかが意識不明になる
・ドイツ統一後に意識が戻る
・東側にいた為、その女性は今も尚共産圏にいると思い込んでいる。
・息子だか孫は共産圏の振りをする(統一の事実を何故告知しないのかは不明。女性を驚かせては身体によくないからなのか?)
・シュ-ルなコミカル映画?(シリアスな戦争ものではありません)

東京で単館ロ-ドショ-っぽくやってたようでメジャ-な映画ではないと思います。
タイトルが分からないのでレンタルしようにも出来ず。
どなたかお分かりになる方いらっしゃったら、よろしくお願いします。

「グッバイ、レーニン!」ではないでしょうか。
http://movie.walkerplus.com/mv35073/

コミカルなのに、なぜかちょっともの悲しい感じで母親を思う気持ちがよく現れていた映画でしたね~

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